04 王宮に連れて行かれました


 宮殿のようなパーティ会場の回廊をクリスティアン王子にエスコートされて出て立派な馬車に乗った。会場の外はもう暗かったが入り口は明々とブラケットが灯され、石畳の街路を街灯の薄暗い明かりが鈍く照らしている。

 馬車の揺れとか、時折すれ違う人や馬車や馬、そして家々に灯る明かりが元の世界とかけ離れていて、違う世界にいると思わせてくれる。


 これは異世界転移なのだろうか。

 小説とかゲームとか漫画の世界に転移したのかもしれない。しかし、ゲームはしないし漫画はデフォルメの世界だ。話は沢山読んだけれど、先程読んでいた漫画とは全然違う。

 つまり、これからどうなるのか全く分からない、のだ。


 大体、考えてみればヒロインはこの着ぐるみで、自分はヒロインでさえない。

 着ぐるみに負けた気がして最悪な気分だ。

 帰りたい。帰れるのだろうか。帰れなかったらどうすればいいんだろう?

 かなり不安になってきた。


「すまないが──」

 梨奈が馬車の中で鬱々と考えていると、向かいに座ったクリスティアン王子が声をかけてきた。

「その着ぐるみから顔だけ出せるか?」

「あ、ちょっとファスナーを下してもらえます?」

「分かった」

 王子が梨奈の横に移動して、後ろ頭のファスナーを掴む。

「下まで一気に下ろさないでくださいよ」

「分かった」

 王子はもう一度返事をして、慎重にファスナーを引き下げる。首のあたりまで下ろすと梨奈が顔を出した。


「ふう……」

 ブツブツという呪文が聞こえなくなって、息を吐く。隣でクリスティアン殿下も息を吐いている。

「どうも気分が良くなくてな」

 梨奈が王子の顔を見ると憂鬱そうな顔をしている。

「リナがそれを着ていないと大分マシだが」

 王子もあの呪文のような音が聞こえるのだろうか。


 この着ぐるみの娘、結構可愛い顔をしているし胸も大きい。そういや王子は好みじゃないとか言っていた。ロリで爆乳は男のロマンではないのか。この人何歳だろう。


「あの、殿下のお年を聞いても?」

「私は十八歳だ。リナは?」

「もうすぐ十七歳になります」

「そうか、私の事はクリスと呼べ」

「ええと、いいのですか?」

 そんな呼び方をしてもいいのだろうか。確か身分の高い方は、親しくないと愛称呼びなんて出来ないはず。小説で読んだ知識だが。

 まあ許されたからいいのかな、と、梨奈は軽く考えた。

「構わん。リナは親兄弟はいるのか?」

「はい、両親は仕事をしていて、兄は大学生、弟が中学生……」


 梨奈は家族の話をしている内に、急にホームシックに襲われた。割と普通の家族だったと思う。叱られたり、喧嘩したり。

 友達も梨奈が頭が痛いと言うと、たくさん本を貸してくれて……。

 何でこんな訳の分からない所にいるんだろう。


 帰りたい。帰れるのかしら。今更のように不安がどんどん膨れ上がる。

「うっ……」

 ポロポロと涙が溢れ出て止まらなくなった。

 クリス殿下が慌ててハンカチを出して、さらに抱き寄せてきた。

 なんかいい匂いがする。高貴な感じと爽やかな感じの。まだ大人になりきっていない、若い男の──。


「ヒクッ……」

 涙が止まってしまった。この状況を整理してみたい。

 しかし、さらに殿下の手が梨奈の頭を撫でて、心臓の音がやかましくなってきた。


 ドキドキドキドキ──。

 心臓の音に耐えられない。

 経験値が全然足りない。


 顔を上げると至近距離に青い目があった。手が頬に添って涙の跡を拭った。そのまま下に行って顎を持ち上げられる。

「え」

 唇に柔らかいものが触れた。

「きゃっ……!」

 梨奈の手が上がる。パシンと男の頬を引っ叩いた。

「何すんねんっ!」

 間の抜けたセリフが馬車の中に響く。

(ヤバイ!)

 本日二回目の引っ叩きをやらかしてしまった。


 梨奈に引っ叩かれて少し横を向いた王子はその顔をゆっくりと戻す。何か言うかと梨奈は身構えたが、青い瞳がじっと見透かすように見るだけであった。


 ガタンと音がして馬車が王宮に着いた。

 殿下は、毛を逆立ててフーッと威嚇する子猫のような梨奈の顔を、着ぐるみに隠してファスナーを上げる。頬に梨奈の手形を付けたまま馬車を降りた。



  * * *


 この世界の男は手が早いんだろうか?

 クリスティアン王子と知り合ったのはつい先ほどで、お互い何も知らなくて。


 しかし、彼は梨奈の素っ裸を見ている。

 身体だけ知っている男って、どういう関係?

(ぎゃああ!)

 梨奈は着ぐるみの中で身悶えた。


 王子にエスコートされて馬車を降り回廊を歩く。しばらく行くと建物の内側に中庭が広がる。夜の庭園は所々に置かれた庭園灯と回廊の明かりだけで薄暗い。

 回廊を進んでいるとバラバラと黒い軍服の近衛兵が来て二人を取り囲んだ。


「何事か。私は国王陛下に謁見を賜りたい。すでに先触れを出しお許しを頂いた」

「しかし、その女は逮捕するよう命令が出ております」

「クリスティアン殿下、その女、マリア・シェルツ男爵令嬢をこちらに──」

 近衛兵は二人を取り囲んで引き離そうとする。もう、先ほどのクリス殿下の所業が王宮に伝わっているのだ。

 今、この王子と引き離されたら断罪まっしぐらではないだろうか。牢屋とか塔とか嫌過ぎる。梨奈の顔が青くなる。着ぐるみの内部を冷たい汗が流れる。


「ならぬ!」

 クリス殿下は梨奈の腰を抱き寄せて近衛兵の要請を拒絶した。

 威圧感があるのだろうか? たった十八歳の若造に誰も手を出せないで、王子の行方を遮れない。

 そのまま真ん中に絨毯を敷いた広い階段に出た。殿下は梨奈を連れたまま階段を上る。近衛兵がぞろぞろと付いて来る。


 

 やがて階段を上って、広間の手前まで来た時、低い威厳のある声がした。

「騒がしい」

 そこにいた皆が跪く。

 王子に似た金髪と高い上背の偉丈夫が辺りを睥睨すると、床に崩れ落ちるほどの威圧感があった。

「ノイジードル国王陛下だ」

 何と王様であった。クリス殿下はこの王様によく似ている。


 王子は王の前で胸に手を当て片膝をついて挨拶をした。梨奈もドレスを摘まんでそれに倣う。

「三人で話さねばなりません。その上で陛下の指示を仰ぎとうございます」

 二人は睨み合った。やがて国王陛下はそのままの渋面で言った。

「話を聞こう」

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