第38話 若《わか》

ワームホールをくぐり抜けると、再び前後不覚になるような状態が俺たちを襲い……そして、唐突にそれが終わりを迎える。その場は俺たちがワームホールの入り口に使った研究室だった。


「──少年っ!!!」


そんな俺を出迎えたのは、ジャーマノイドの声だった。彼は衣服に目新しいいくらかの傷をつけていたものの……健在そうに仁王立ちをしてワームホールの手前に立っていた。


「少年、無事かっ!?」


「ん、ああ……。なんとか」


「そうか、それならよかった」


「ジャーマノイドは? 超能力者たちの追手はいったい……?」


「全て無力化してきた。だからもう数分待って動きがなければ俺もそちらへ加勢に行くところだったが……それで少年、背負っているその女が──浜百合ツバメか」


ジャーマノイドがバチリと、彼の手の内に電気を走らせ臨戦態勢を取った。


「ジャーマノイド……大丈夫だ。もう、このツバメ先生が俺たちに敵対することはないよ」


「む……そう、なのか……?」


ツバメを訝しげに見据えるジャーマノイドに、ツバメはコクリと頷いた。


「ええ。もはや私には何の野望も悲願もありません……犯した罪は償います。煮るなり焼くなり、なんなりと。それよりも、今は」


ツバメの視線の先にあったのは、マシン。永久機関の核分裂炉だ。俺もまた頷いた。


「あの中にはわかがいる。ツバメ先生の処遇よりも、今はわかを解放するのが先だ」




* * *




ツバメの操作によって核分裂炉の稼働が止まった。研究室内に存在していたワームホールは、うねりながら次第に小さくなっていく。完全に閉じられるのも時間の問題のようだ。


稼働が止まったマシンの内部構造は、核分裂炉と……もうひとつ。超能力者による超高密度な鉄版作成技術によって作られた放射線遮蔽しゃへい板により、ウラン燃料とは完全に切り離された区画があった。その中に人ひとりが入れるカプセル状の部品があり……その中に、わかの姿があった。


わか……!!!」


俺はその体を抱きかかえて……マシンから離れた場所へと横たえる。


わか……っ」


呼びかけるが、わかは目を閉じたまま目覚めない。まるで息を潜めているかのように、その呼吸は静かで、深く、ゆっくりだった。


「……もう、手遅れなんです。ワームホールを開くために、わかさんの脳回路は限界を超えて稼働していたから焼き切れて──」




「──黙れ。少し、黙っててくれ」




ツバメの言葉を、俺は遮った。


「……わか、頼む、わか……目を開けてくれ……!」


俺の声だけが、その研究室に小さく響いた。


「……少年、お前は見たところ私との戦いで負った傷が無いようだ。回復魔法が使えるんじゃないのか?」


「使えるもんなら、とっくに使ってるよッ!!!」


当たり散らすように、俺は叫ぶ。


「俺が使えるのは……自分自身を癒す魔法だけだ……! 誰も癒せやしない……!」


「……そうか。それはすまなかった」


「……ごめん」


眠り続けるわかを前に……俺は何もできない。


……必ず守ると、そう誓ったのに。


「クソ……何が勇者……何のための、力だよ……!」


あまりの悔しさに……涙で前が滲む。泣いたって、何が変わるわけでもない。奇跡が起こるわけでもない。でも……どうしようもなく、この無力さが悲しかった。


「少年……泣くのも嘆くのも後だ」


ジャーマノイドはそう言うと、大きな携帯電話でどこかへと電話をかけていた。


「衛星電話でこの山へと日本へ潜入中のドイツ警察特務隊のヘリを飛ばしてもらうことになった。30分もすれば到着する」


「……え?」


「至急、彼女を脳外科の居る病院へと搬送しよう」


「……ジャーマノイド、なんでだ……? わかは、お前にとっては……」


「脳回路にダメージがあり、もはや永久機関を発現させるための超能力は無いのだろう? であれば、彼女は抹殺対象ではない……我々ヒーローが守るべき民間人のひとりだ」


「ジャーマノイド……」


「我々ドイツは日本の医療チームに全力で協力することを約束しよう。泣くのも嘆くのも、全力を尽くした後だ。そうだろう?」


「……ああ。そうだ、そうだな。ありがとう……ジャーマノイド」


「ヒーローとして当然のことだ。それに……少年や彼女には、借りもある」


ジャーマノイドはそう言うと、手近にある素材で慣れたように担架を組んでいく。俺もその手伝いをしていると、


「丸山くん……これ」


ツバメが何かを渡してきた。それは頑丈そうなガラスパッケージに包まれた、何かのディスクだった。


「M-DISCです。この中に……研究過程でわかさんの脳構造が映像ファイルとして記録されています」


「……!」


「もしかしたら、この先の回復治療の過程で役に立つかもしれません……」


「……受け取っておきます。ありがとう、ツバメ先生」


「……いえ、今はこんなことしかできず……でも」


ツバメは意を決するように、俺の目を真っすぐに見た。


「罪を償いながら、私も……できることは何でもします。わかさんの脳回路を誰よりも熟知しているのは私ですから」


「……ああ。ぜひ、そうしてほしい」


「……はい」


諸悪の原因は無論、このツバメにある。許せないこの気持ちが消えることはきっと、永遠にないだろう。もう俺たちに関わってほしくないとすら思う。


だけど……ツバメ先生の協力でわかの目が覚めるのであれば。自分の中の怒りを飲み込むことなんて容易いことだ。


わか……」


俺は組み上がった担架の上にわかを乗せて、その頬に手を添えた。温かく、柔らかい頬だ。それはわかが確かに生きている証拠だった。


「絶対に助けてみせるから……! たとえどれだけの時間がかかろうとも、お金がかかろうとも!」


こんなこと話しかけたって、わかには聞こえていないと分かってはいる。でも、それでも──俺は自分に言い聞かせるように、誓うように。


「今度こそ、絶対にわかを守り抜くから……!」


俺はそう言って、手を握る。




──ギュルルルッ! と。後ろから音がした。




「っ!?」


俺が振り返った先、ワームホールのある場所。ちょうどソレが閉じられたその場所に、いつの間にかひとりの──少女が座り込んでいた。




「──イタタ……ふぅ、ギリギリ、間に合ったぁ」




その少女は銀色の髪をしていた。手に持っているのは翡翠色の水晶が付いたロッド、濃紺のフードつきマントを羽織っている。彼女は、水晶と同じ色をした瞳を俺に向けると……目を細めるように、微笑んだ。


「え……」


俺は、彼女を知っている。


「シルヴィエ……?」


「……うん。久しぶりだね、コウ」


シルヴィエ──それは異世界で唯一、魔王討伐の旅の同伴者になってくれた魔法使いの女の子。そして、魔王との決戦の際に俺を裏切ろうとした……魔王の娘だ。


「どうして、シルヴィエがここに……」


俺を裏切るのに躊躇してしまったシルヴィエは、それゆえに魔王の攻撃が向けられ……俺はそれを庇った。大ダメージを負いながら。


……それでもなんとか魔王を討伐した後に、もうシルヴィエの姿はなく……その後一度もその姿を見ることはなかった、そのハズなのに。


あぜんとする俺へと、シルヴィエがゆっくり歩んでくる。


「コウ、あの世界で……君の力の波動を感じて居ても立っても居られなくなったんだ。君に……許されないとは分かっていても、謝りたくて」


言葉を慎重に選ぶように、シルヴィエが途切れ途切れに話す。


「本当にごめんなさい。私は、父に味方するのか、君に味方するのか、中途半端だった。本当は、旅の中で君が優しく正しい人だと分かっていたのに……最後の最後まで選択ができなかった」


シルヴィエは絞り出すように言う。


「その結果君の優しさに私は一方的に救われ、私の罪により、君に耐えがたい苦痛を与えてしまった……」


「……シルヴィエ」


「君にも、誰にも合わせる顔が無かった。だから、どこか誰にも会わない場所で、私は私の行いを死ぬまで懺悔しようと思っていた。でも……今日君の力を感じて、やっぱりどうしても君にもう一度会って……謝りたかった。そして、できることなら……今度は本当に、君の力に」


シルヴィエはロッドを握りしめて、俺を見つめた。


「コウ、私の犯した甚大な罪への贖罪しょくざいと、私が君に受けた莫大な恩を返すために……何か君のためにできることはないだろうか? この──光の魔法使いホーリー・ウィザードに」

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