第2話 クズのレッテル

「あっはっはっはー、それで、逃げてきたんだ? 猛将と恐れられた将軍が形無しだな」

「…………頼まれたから連れてきただけだ」

「いやいや、逃げてきてるでしょ!」


美生はなぜかベッドの上で正座をしていた。

目の前にはシェットランドシープドックが白衣を着て、体を揺すって大笑いしている。やはり二足歩行だし、普通に日本語が聞こえる。そうなのだ、彼らはしっかりと日本語を話している。そのように聞こえるだけかもしれないが、とにかく会話をしており意味が美生にも何を言っているのか理解できるのだ。謎である。


大笑いの小柄な医者の前には一回り大きなボストンテリアがいるが、彼はうなだれてしゅんとしている。

シャンプーのできる環境に連れて行けと言ったはずなのに、なぜか医者のところへ連れてこられた。そのままベッドの上に座らされている。

ボストンテリアは経緯を簡潔に医者に話した。他人の口からきいても荒唐無稽だとしか思えないというのに、医者はしっかりと理解した。

王太子がツガイとして召喚した娘が外れで、なぜか体を洗わせてほしいと懇願された、と。

そして、先ほどの大笑いにつながったというわけだ。


美生は何が面白いのかわからない。

それよりもボストンテリアの肌荒れのほうが重要である。


「貴方が医者だというのなら、話が早いわ。彼は皮膚病よ。早速治療しなければ悪化する一方だわ。適切なシャンプーとカットを提案します」

「ええと、お嬢さんは今の状況は理解できているのかな」


医者はまくしたてた美生にくりくりとした愛嬌のある瞳を向けた。

だが警戒心を向けられているのはわかる。

だから安心するようにほほ笑んだ。


初めてサロンに来店するペットの中には臆病なこも警戒心の強いこもいる。

いろんなこを相手にしてきたのだ。客の扱いにはなれている。


敵意がないことを示して、ただ穏やかに言葉をかけた。


「怖がることはないの。貴方が心地よく過ごせるようにお手伝いをさせてね」


医者はなぜかとろんと瞳を細めてくる。だから、美生はいつものようにそっとその毛を撫ぜた。


「なるほど、これは恐ろしいものだ」


横でボストンテリアが唸っている。


「あー、お嬢さん、ちょっと待ってくれ、少し説明させてほしい」


ボストンテリアの唸り声を聞いて、医者ははっと我に返った。

それから少し首を横に振って、目を何度か瞬かせると苦笑する。


「これは凄まじいな。なるほど、この手管に将軍もやられたのか。複数の匂いも納得だ」

「あの?」

「お嬢さんの匂いは本当に魅力的だが、指向性を持たせることもできる」

「え?」


訳知り顔で解説されるけれど、何を言われているのか美生には全くわからない。

けれど、彼はそのまま続けた。


「つまりお嬢さんの意思で、相手を従わせることも可能ということだ。今は召喚されたばかりで混乱しているところ、現実逃避に普段し慣れていることをしているだけなんだろうけど、かなり悪影響かな。この国というか世界にはツガイという概念が存在するんだけど、聞いたことはあるかい?」

「ツガイ?」


動物たちの夫婦のことだろう。

ようやく知っている言葉を言われて、美生はこくりと頷く。

先ほどからボストンテリアも何度も美生を王太子のツガイとして召喚されたと言っていた。つまりあの偉そうに二度と顔を見せるなと命じたあのシベリアンハスキーのツガイということだろう。彼と夫婦などとこちらからもお断り一択だ。


「知っているのか、よかった。国によってツガイの立場はいろいろとあるけれど、わが国では一対一なんだ。つまりツガイ関係になれば唯一無二で、他に変わりがきかない。ツガイ持ちを誘惑することは禁忌であるし、手を出すことは許されない。複数と関係を持つと社会的に抹殺される。クズ呼ばわりだ」


不倫とか浮気とかはご法度なのだと理解した。

さきほど、王太子は美生を愛人がいる辺境伯に押し付けるようなことを話していたが、それはクズだからということだろう。

だが、なぜ自分が淫乱などと言われるのかわからない。

恋人もいないし、誰かと体の関係をもったこともないというのに。それの何が淫乱につながるというのか。


「ツガイに手を出すっていうのは具体的には匂いをつけることだ」

「匂い?」

「お嬢さんにはすでに複数の匂いがついている。話を聞いていると、お嬢さんは医者のような職業か立場にあったようだが、こちらではよほどの証をもって立場を示さねばクズ呼ばわりされるんだよ」

「私、トリマーで……」

「トリマー?」

「ペットというか動物の美容師のようなものよ。毛をカットして整えたり、シャンプーして綺麗にしてあげたりするの」

「なるほど、それでその複数の匂いか」

「大きいこを相手にしているから、わりと密着することが多くて。匂いと言われてもぴんとこないけど」

「うーん、まあトリンには難しいよねえ」

「トリンって?」

「我々のような姿はヴァージ、お嬢さんのような姿がトリンだね。ちなみに異世界からはトリンしか召喚できないと言われている。そして召喚は五十年に一度しかできない。他の国でも同じような状況だ。こちらでもトリンは生まれるが、とても希少だ。そして誰とでも番えるという特殊な性質がある。我々ヴァージは番える相手は同種しか無理だからね。そして、召喚されたトリンはとりわけ特別だ。誰とでも番えて、皆からも好かれるんだ」

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