煮詰めて、マーマレード。

橘ひまこ

第1話とある幼き日の記憶。

朧げな記憶の中で、いつも思い出すのはあの人の姿。

白く、可憐で、抱きしめられた時に驚くほど細かった腕。

その弱々しさに、何度も会えないことを子供ながらに悟った。

そのほとんどが真っ白な病室は、俺の嫌いな花の色。

庭に毎年咲く、あの白い花があの人を思わせて、よく胸が締め付けられた。

俺は母親と名乗る人にも、甘えることなんてできなくて。

いや、きっと、甘えることはそもそも許されなかった。

俺には権利が無かった。

週末に両親と遊びに行く同級生を見ると、無条件に、つきんと胸が痛んだ。

羨ましくて、妬ましくて。

新しい服も、筆箱も、流行りのゲームも、カセットもいらない。

サッカーボールも、キックボードも、自転車も、いらない。

そんなものが与えて欲しいわけじゃない。

俺はきっと、同級生の望むものを何でも持っていた。

何でも持っていたけれど、その全てが色褪せていて脆かった。

基盤のない幸せなんて、意味がなかった。

無機物では埋められない、心の穴は深く、大きく、まるでブラックホールのように底知れないものだった。

どうして居てくれるはずの両親は、家にいてくれないのだろう。

どうして母親は病院に篭り、父親はご機嫌取りのようなものしか送ってこないのだろう。

贈り物に忍ばせられた、小袋に入った紙幣が憎かった。

こんなもので俺が満足すると思われているのが、悲しくて堪らなかった。

ばあちゃんが一緒にいてはくれたけど足腰も悪くて、家の中の仕事で精一杯だった。

皺の刻まれた手で、あの木を撫でる姿は母さんを想っていて、俺はそこに存在して居たのだろうか。

海が近いこの町は、バスも電車も本数が少ない。

当時の年齢では、一人で遠くへは行けなかった。

浜辺に座り、よくぼうっと海を眺めた。

いつか、波が意思を持って、俺を知らない世界に連れて行って欲しいと何度も願った。






まるで、籠の中の鳥だと感じたのは、10歳。

母さんの名前が刻まれたあの木の下。

柔らかな木漏れ日降り注ぐ中、俺は静かに絶望した。




見上げる度に、鮮やかな橙が目に眩しかった。

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