第21話

 ガードレールに腰掛けていた黄田は、ふと顔を上げた。

 それまで退屈を絵に描いたような表情をしていたが、その眉間に訝しげな皺が寄っている。顔を傾け、道路の遠くを窺うように目を細めた。

「……篠原?」

 離れたビルの陰から道路に転がり出た篠原は、思わず腰を浮かした黄田を認め、そちらへと走ってきた。

 最初は右腕を押さえていると思っていたが、すぐに間違いであることに気が付いた。

 篠原の右腕は、肩口から影も形もなくなっている。黄田と同じスーツであるはずだが、あちこちが破れ、土なのか血なのか分からないもので汚れ、まるで別物になっていた。

「おいおい、どうした?」

 目の前で足を止めて膝を落とした篠原を、黄田は顎に手を当てて見下ろした。珍しいものでも見るような、そして感心しているような目。少なくとも心配している節は無い。

「……見れば分かるでしょう」

「結果はな。原因を聞いてんだよ」

「答える必要、あるのかしら」

 篠原は口元を歪めると、皮肉っぽく吐き捨てた。

「てことは博士の新兵器か。こっちの狙い通り……というか、お前がやられてんだから狙い以上だな」

 労うように差し出された煙草を軽く払い、篠原はふらつく足取りで立ち上がった。側の街路樹にもたれ掛かり、自らの傷口を見下ろす。出血は既に止まっている。それどころか傷口の肉が蠕動するように小刻みに動き、少しずつではあるが肉が内側から盛り上がってきている。


「……半分正解」

「半分?」

「……高機動戦闘員よ」

「はぁ……? あれはお前、欠陥品で、もう出てこないはずだぞ?」

「敵の内部事情まで知るわけないでしょう……!」


 怒りに燃える目で、篠原がずいと顔を近づけてくる。嘘をついてる目ではない。それ以前に篠原が嘘を言ったところで、彼女には何の意味もない。

 つまりは事実。本当に高機動戦闘員が復活したということだろう。


「……烏丸は?」

「他の所に偵察と応援に行かせた。部下が頼りないんでな」

「戻した方がいいわ」

「……そんなに強いのか?」

「前の高機動戦闘員とは、何か違うわ」

「ふん……何か、ね」


 まるで信じていない口振りで呟くと、黄田は篠原のやって来た方向へと視線を向けた。

 小さく鼻で笑い、車道の真ん中へと歩き出る。

「篠原。お前は休んでろ。かなり消耗したみたいだしな」

 ビルとビルの間から現れた人影が、陽光の中に躍り出た。

 光を跳ね返し、美しく輝く白銀の装甲。無機質なマスクが黄田を見据える。

 誰が着ているのか、顔は見えない。急ぐでもなく、一歩一歩確実に近付いてくるその姿からは、押し殺された怒りや殺意がにじみ出していた。

 黄田は自分から手を出すこともなく、腕を組んで相手がやってくるのをじっと待った。篠原の悔しげな視線が向けられもしたが、完璧に無視した。

 やがて高機動戦闘員の歩みが止まった。十メートルほどの距離を置いて睨み合う。黄田の視線が装甲を無遠慮に眺め回した。


「……確かに高機動戦闘員だ。一年ぶりってのは、結構懐かしいもんだな」

「違うな。さっき会ったばかりだ」

「その声は守矢か。……まぁ、そうじゃないかとは思ったが」

「分かってたのか」

「何となくだ。たかが戦闘員の利用方法なんか、解剖して俺達の科学技術を調べるか、新兵器の実験台ぐらいのもんだろう。で、今回は後者だ」


 準備運動のつもりなのか、黄田は手首と足首を数度回した。骨が鳴り、最後に首をぐるりと回した。ただそれだけの動作が、妙な威圧感を醸し出している。

 守矢はその威圧感の原因が、黄田の目だとすぐに気付いた。どれだけ首を動かしても、視線は守矢から外れていない。笑っている表情の中で、ただ一つ目だけが笑っていない。真っ直ぐに、守矢に向けられている。


「お前の人生だ。俺が口出すことじゃねぇが……それでいいのかよ?」

「お前等を殺せるならな」

「そうかい」


 言葉と同時に黄田の全身が輝いた。

 目の前に落雷したかのように、守矢の視界全てが白一色に染まる。

 守矢は防御姿勢をとることもせず、体勢を低くして真横へ跳んだ。同時に、それまで立っていた場所を黄田の拳が貫く。小さく口笛が鳴った。


「さすが博士の新兵器。昔のままかと思ったら、随分動きが良くなってるな」

「……だから言ったでしょう。昔とは違うって」


 篠原の言葉に納得したように頷き、黄田は突き出したままの腕を横に振るった。水飛沫が飛び散るように、電の残光が宙に散る。

 改めて守矢に向き直ると、黄田はだらしなく結んでいたネクタイを解いた。灰色の背広も脱ぎ、邪魔っ気に路上へと投げ捨てる。

「……意味があるのか?」

「別に。何となく身軽になった気がするだろ? それに篠原みたいにボロボロにしちまったら勿体ない」

 次の瞬間、黄田の体が跳んでいた。

 一瞬で守矢との距離がゼロになり、電光を纏った蹴りが迫る。

 守矢は後方へと跳んだ。黄田の蹴りがアスファルトに突き刺さり、爆破したように破壊された破片が舞い上がる。黄田の着地点を蹴った守矢は、勢いを乗せて拳を放った。

 攻撃を外した直後の不自然な体勢にもかかわらず、黄田は伸びてきた守矢の腕を掴み、反対側の地面に叩きつけた。

 装甲のお陰で軽減されているとはいえ、ダメージが皆無というわけではない。体内に僅かに響いてきた振動に、喉の奥で空気が詰まったような声が出る。

「――ぐ」

 黄田は強引に引っ張り上げた守矢の胸へ、容赦の欠片もないパンチを放った。

 守矢は自由な左腕で、迫ってくる拳を正面から殴った。電光が散り、二人の間の空間が震える。衝撃で黄田の手が緩んだ。

 守矢は咄嗟に黄田の腹を蹴って、後方へと大きく跳んだ。再び距離が離れ、対峙する形になる。黄田は余裕で口の端を吊り上げた。


「いいねぇ。面白くなってきた。やっぱバチバチに殴り合ってこそ戦いだよなぁ」

「今のうちだけだ。すぐに殺してやる……!」

「殺す殺すって、物騒な野郎だな。ま、そう言う奴に限って、負けたりするもんだけどな。だから大口叩いてると、負けた時格好悪いぜ?」

「お前が心配することじゃない」

「はっはっは! それもそうだ」


 黄田が豪快な笑い声を上げた。

 同時に、何かが弾けるような音が連続して鳴り響いた。

 小さな稲妻が黄田の体の表面を何度も走る。

 守矢も迎え撃つように拳を握った。西部劇の早撃ち勝負のように、緊張が満ちていく。

 黄田の左手が白い光に包まれた。

 何をする気かと守矢が身構えた直後、黄田が走った。瞬き一つの間に肉薄、白く光る手が振り下ろされた。

「――?」

 単純極まりない攻撃に、守矢は疑問を抱いた。

 しかし無意識のうちに、体は黄田の攻撃を避けていた。

 黄田の勢いは止まらず、拳は守矢の背後にあった街路樹に直撃した。

 瞬間、落雷のような轟音と共に、街路樹が破裂した。四方八方に飛び散る破片は、消し炭のように黒くなっている。

 振り返った黄田の笑みを受け、守矢の背に冷たいものが流れた。

「勘の良い奴だな。喰らってくれりゃ、一発で終わったのによ」

 守矢はマスクの中でごくりと喉を上下させた。

 黄田に対しては下手な接近戦が出来ない。防ぐのはもちろん、先程のように掴まれても、強烈な電撃を喰らい、街路樹と同じ運命を辿ることになる。

「……!」

 背後に迫る何かを感じ、守矢は咄嗟に宙に飛び上がった。

 それまで立っていた場所を、炎の渦が貫いていった。斜めに傾いた視界の中で、篠原が憎悪の目でこちらを睨み上げていた。残っている左腕が、再び守矢に向けられる。

 直撃を確信した篠原の顔に笑みが浮かぶ。

「篠原!」

 黄田の怒声が上がった。同時に黄田の手から雷が迸った。雷は篠原の目の前に落雷し、衝撃を避けるために後ろへ跳んだ。

 篠原は牙を剥いた獣のような表情を黄田に向けた。


「どうして邪魔をしたの!?」

「それは俺のセリフだ。俺が戦ってるのに、邪魔したのはお前だろうが」

「関係ないでしょう!? 破壊することが目的のはずよ!」

「だから、それは俺がやる。お前は手を出すな」

「っ……あなたの命令を聞く義務は無いわ……!」


 これ以上話す気は無いと言わんばかりに、篠原は黄田から守矢へと目を移した。黄田が制止する声を聞かず、残った左腕で守矢へと殴りかかる。

 拳を避けた守矢は、滑るような動きで篠原の懐に潜り込んだ。カウンターで胸に肘を打ち込む。体の中の空気を一気に押し出され、篠原の動きが止まった。

 しかし篠原の視線は守矢に固定されていた。

 密着している両者の間に、突然火球が生まれた。篠原の手が守矢の腕を鷲掴みにする。笑みが凄絶なものになった。

 次の瞬間、爆発が起きた。凄まじい爆音が空気を揺るがす。吹き飛ばされながら、装甲越しでもわずかに熱を感じ、マスク内の守矢の顔が一瞬歪んだ。

 一方、吹き飛ばされた篠原は宙で反転し、ビルの壁面を蹴って反動を付けた。

 そして守矢目がけて突進する。篠原の拳が、マスクの上から直撃した。勢いに乗せて連続で殴打し続ける。

 篠原の攻撃をどうにか防ぎながら、しかし守矢は一つの確信をしていた。

 地下鉄構内で戦った時よりも、篠原の動きは精彩を欠いている。

 冷静さを失って大雑把になっているだけではなく、動き自体の鋭さが無い。守矢の記憶にある篠原は、常に冷静に動くという印象があった。相当頭に血が上っているのか、それともスタミナが切れてきたのか。それらとは別の要因があるのかは分からない。

 何にせよ、篠原を倒すチャンスでもある。

『――さん。守矢さん』

 攻撃の隙をついて篠原を蹴り飛ばした時、守矢の耳に藍の声が聞こえた。

 悔しげに睨み付けている篠原と、手出ししてこない黄田とを油断なく見比べながら、守矢はその通信に返答した。



「弓埜か」

『はい、通信が突然回復しまして……無事ですか』

「どうだかな。二対一の上に、火達磨になるところだった」

『それはこちらでも把握しています。でも損傷は外装のみ、軽微です』

「お前、他人事だと思ってないか」

『思ってませんよ。守矢さんが負ければ、私達も終わりですから』

「援軍は」

『無理です』


 きっぱりと言い切った藍に、舌打ちだけを返す。瀬尾のことが気になったが、あまり色々と質問している暇はない。守矢は一つ深呼吸をすると、改めて構え直した。

 二対一という状況を打破しないことには、現状の不利は変わらない。まずは手負いの篠原を仕留めるべきだろう。それも出来るだけ短時間で。

 装甲の機能である『Extractor』は、今でも稼働している。地下での戦いのように、全てを避けることが出来ないのは、守矢自身のせいだろう。いくら知覚能力と身体能力が格段に上がっていると言っても、敵は元から同程度の力を持っているのだ。

 その時、守矢の脳裏に過去の光景が蘇った。

「弓埜」

『何ですか?』

「前の高機動戦闘員には武器があったはずだ。俺には無いのか」

 答えが返ってくるまで、やや間があった。

『……済みませんが、廃棄命令が出た時に処分してしまいまして』

「馬鹿が……! 装甲を作るなら、一緒に作ればいいだろうが」

『一応平行して作ろうとは思ったんですが手が回らなくて……それに第一、その装甲だって殆ど秘密で作った物なんですから』

 藍の声が、申し訳なさそうなものから、言い訳がましいものへと変わる。派手な舌打ちを返事とした守矢は、駄目元で質問した。

「何か無いのか?」

『一応、その装甲自体に、攻撃機能が』

 予想外の答えに、一瞬守矢の頬が引きつる。

「お前――それを先に言え」

『いえ、でも、それもまだ試験段階でして』

 てっきり完成しているものとばかり思っていたが、そういうわけでもないらしい。

 守矢は喉まで上がってきた悪態をどうにか飲み下した。今は文句を言っている時ではない。

「何でもいい。教えろ」

 恐らく躊躇っているのだろう。藍の答えが返ってくるまで、少しの間があった。微かに鵜飼いの声が聞こえたようだったが、それは気にしないことにした。

『……分かりました。まずパスを口頭入力します――』

 簡単な説明を聞き終えた守矢は、小さく頷くと、藍から伝えられた言葉を反復した。


「――『D・I Signal(ディー・アイ シグナル)、Set……!!』」

 守矢の両の拳に、青い光点が生まれた。

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