第11話

 風が止み、振り返った守矢の目に、楽しげに笑う烏丸の姿が映った。

 藍がしきりに口を開閉させているが、爆発の影響か、何を言っているのか聞こえない。たとえ聞こえたとしても、従っているかどうかは分からなかった。ふと、足下に誰かのライフルが転がっていることに気付いた。飛ばされてきたのだろう。

 守矢は迷わずそれを拾っていた。安全装置は外れている。烏丸に銃口を向けて、引き金に指をかけた。

 烏丸がこちらを見た。吹いてきた風が煙を運び、その姿を一瞬隠す。守矢の構えたライフルから発射された弾丸が煙を裂き、その向こうの何もない空間を貫いた。

 舌打ちすると、前後左右と視線を走らせ、烏丸の気配を探った。どこにもいない。藍も高千帆を支えながら、周囲を見回している。

 突然、銃身が動かなくなった。思わず力を籠めた守矢の腹に、重い衝撃が走った。力の抜けた腕からライフルが滑り落ち、空中で何かに弾かれたように明後日の方向へと飛んでいった。


「残念でした」


 回復しかけた耳に、烏丸の声が聞こえた。同時に、眼前に烏丸の姿が浮かび上がる。守矢の腹を殴った右の拳が開き、勢いよく顎を掴み上げた。そのまま片手で、軽々と守矢を持ち上げた。

「折角一年間、生き延びていたっていうのに、自分から死ぬ道を選ぶなんてね」

 烏丸の背から翼が生えた。左手を後ろへと伸ばし、羽根を一枚、指先に挟んで引き抜いた。一瞬にして、刃のように鋭いものに変わったそれを、守矢の首筋に向ける。

 守矢はどうにか腕を掴んで引き剥がそうとしたが、外れる気配は全くない。顎を締め付ける手も、見た目は普通の女性と変わらないが、その力は化物じみている。

「ま、博士を守ってくれたことだけは礼を言うわ。少しぐらいの怪我なら構わないけど、やっぱり無傷の方が」

 不意に言葉が途切れ、烏丸の笑みが固まった。守矢を掴んだまま視線を真下へ落とす。足下に這い寄っていた高千帆が、必死の目で烏丸を見上げていた。自分の腕に刺さっていた黒い羽根を握りしめ、ナイフのように烏丸の爪先に突き立てている。

「死に損ないは一人で十分なんだけど?」

 嘲笑うように言うと、烏丸は守矢をゴミのように放り出した。動きを封じようと、足にしがみついてくる高千帆の顔を蹴り、強引に剥がした。

 放り投げられ、近くの路面に転がった守矢に、藍が駆け寄ってきた。

「守矢さん!」

「っ……大丈夫だ」

 助け起こそうとする藍の手を払い、守矢はふらつきながら立ち上がった。殴られた腹は痛むが、動くことが出来るということは、随分手加減されたのだろう。高千帆は仰向けになった腹を踏みつけられている。一撃で仕留めようとしないのが、烏丸の嫌らしさを表していた。


「本部にさえ行ければ……」


 藍の悔しげな呟きを受けて、守矢はその横顔を見た。

 特災機関の本部に何があるのか。高機動戦闘員は既にいない。別の対抗策があるということなのだろうか。守矢は玩具にされている高千帆を一瞬見やると、藍に聞こえる程度の声で言った。

「お前が囮になれば、行けるかもしれん」

「囮?」

「烏丸の目的はお前だ。お前が逃げれば、奴は必ず追ってくる。ここにいる連中を無視してでもな。車はもう一台ある。運転は得意だろう」

「いえ私、大型は」

「言ってる場合か。このままだと、お前以外全員死ぬぞ」

 守矢の言葉に、藍は車両の方を見た。周囲には隊員達が倒れている。中には動かない者もいた。しかし急いで治療すれば、助かる可能性はあるかもしれない。このままここにいても、守矢の言う通りになるだけだろう。見捨てて逃げるという意味にも聞こえるが、この場合は仕方がない。

 残った一台の車両は、爆発の影響で傷だらけになってる。しかし並んで停めなかったことが幸いしたらしく、一見した限りでは、まだ走ることは出来そうだった。

 藍が決意した表情で頷くと、守矢は彼女の肩を軽く叩いた。

「俺が烏丸の気を引く。お前は走れ」

「守矢さんが来なければ意味がありません。すぐに乗ってください」

 頷いて言うと、藍は立ち上がった。


 彼女が駆け出すと同時に、守矢も勢いよく走り出していた。

 逃げる方向ではなく、逆に烏丸へと駆ける。瞬く間に距離を詰めた守矢は、その勢いのまま跳び蹴りを放った。

 高千帆を蹴り飛ばそうとした烏丸が、初めて驚いたような顔を見せた。咄嗟に掲げた腕に、守矢の靴底がぶち当たる。その反動を使ってとんぼ返りをした守矢は、数メートル離れた位置に着地した。

 守矢が足下のライフルを拾い上げるのと、烏丸の翼が羽ばたくのは同時だった。風と共に飛んでくる羽根を、横っ飛びに跳んで避ける。宙を飛びながら、引き金を引いた。

 空に飛び上がって弾丸を避けた烏丸は、口の端を吊り上げた。

「やるじゃない。そこらで転がってる雑魚より、よっぽどマシよ。一年間何の調整もされてないのに、体の性能は落ちてないのね」

 ふわりとした動作で着地すると、烏丸は地面で呻いている高千帆を軽蔑した眼で見下ろした。いくら烏丸が手加減していたとしても、高千帆の受けたダメージは深刻だろう。

「変に頑丈なんだよ。そのせいで死に損なった」

「なら、どれだけ頑丈か、試してみましょうか」

 言うなり、烏丸の姿が溶けるように消えた。

 守矢はライフルを構えたまま顔を伏せた。

 グリップを握る手に力が入り、神経が張り詰めていく。

 体中に浮かび始めた汗の一粒一粒が、しっかりと感じられる。

 実際の時間にしてみれば、ほんの瞬き三つ程度だった。

 いきなり銃口を真上に向けた守矢は、躊躇いなく引き金を引いた。一般のライフルに比べれば、かなり静かな炸裂音が連続する。数枚の黒い羽根が、ひらひらと舞いながら降ってきた。そして頭上で風の唸りが起こる直前、守矢は前のめりの姿勢で跳んでいた。

 アスファルトを転がり体勢を戻す。振り返るよりも先に、それまで自分がいた場所に銃弾を撃ち込む。手応えはなかった。


「……どうして分かったの?」


 銃弾が通り過ぎた横の空間から、烏丸の声が聞こえた。それまでの笑いを含んだものではなく、本気で感心したような響きだ。頭上に向けて放った弾丸も、当たりはしなかったようだ。

 守矢はそこにいるのであろう烏丸に向けて、面白くもなさそうに小さく鼻を鳴らした。

「姿を消して、相手の死角から攻撃。単調なんだよ」

「……言ってくれるわね。なら、別のやり方にしてあげましょうか?」

 風景が歪み、烏丸が姿を現した。背中の翼は消えている。翼さえなければ、どこから見ても人間の女性にしか思えない。準備体操のつもりなのか、両の手首と足首を軽く回すと、烏丸はニヤリと口の端を曲げた。


「もっと直接的な、ね」


 同時に、烏丸が地を蹴った。次の瞬間には、目の前に烏丸の顔があった。軽く握られた烏丸の拳が、大きく振り上げられ、力任せに打ち込まれる。

 守矢は反射的に、ライフルを掲げていた。楯となった銃身が、派手な破壊音と共に二つに折れる。宙に散った破片の向こうに、烏丸の笑みが見えた。

 拳はそのままの勢いで、守矢の胸元に迫ってきた。思い切って後方に跳ぶことで、どうにかそれを避ける。使い物にならなくなったライフルを投げ捨て、崩れかけた体制のまま側に転がっていた新たな一丁を拾い上げた。

 銃口を向けた時、烏丸の体は既に目前まで迫っていた。先程の守矢に対する意趣返しのつもりなのか、何の捻りもない跳び蹴りを放ってくる。反撃する間もなく、守矢は横に跳んでいた。烏丸の蹴りは、勢い余って一般の放置車両に突き刺さっていた。助手席側のドアが、粘土細工のように凹み、車体全体がその衝撃で、玩具のように跳ねた。

 全ての攻撃を紙一重で避け、直撃は免れているものの、守矢は全身が粟立つのをはっきりと感じていた。

 一年前まで『Peace Maker』の戦闘員として戦っていた。その時の相手は特災機関の戦闘部隊、そして高機動戦闘員。今の烏丸のような力を持った者達は、守矢達の仲間として存在していた。その彼らも、高機動戦闘員には破れることとなったが、守矢達のような戦闘員とは比較にならないほどの力を持っていたのだ。

 仲間である彼らと戦ったことなど、守矢は一度も無い。

 しかし今、烏丸を相手として直接向かい合い、改めてその力の差を思い知っていた。

 ただの戦闘員が、まともに渡り合える相手ではない。攻撃をどうにか避けるので精一杯だ。

「偉そうなこと言ってたけど、逃げるばっかりね。さっきみたいに抵抗しなさいよ」

 凹んだ車のドアに背中を預けた烏丸は、小さく笑いながら言った。守矢程度の力ではそれが出来ないと分かっていながら、あえて言っているのだろう。

「守矢さん!」

 藍の声が聞こえた瞬間、烏丸の視線がそちらを向いた。守矢は言葉を返す代わりに、ライフルの引き金を引いた。撃つと同時に、声の方向へと走る。守矢が乗り込むのを待つことなく、藍の乗り込んだ特災機関の車両は動き始めていた。それでいい。守矢は心の中で藍を褒めた。

「なるほどね」

 高く飛び上がり、銃撃を避けた烏丸が、鼻で笑うのが聞こえた。それを無視し、守矢は全ての力を走ることに使っていた。

 ただの戦闘員だったとはいえ、改造された肉体は普通の人間に比べて数倍優れた力を持っている。速度を上げ始めた車両との距離が、見る間に縮まっていく。

 車両は隊員達が降りてきた時のままだった。つまり後部ドアは開け放たれている。力を振り絞り、頭から飛び込む。そのまま床を転がり、運転席側の壁に背中をぶつけた。

 すぐさま上半身を起こし、開け放たれた後部ドアに銃を向けた。翼を広げて追い縋っていた烏丸と、視線がぶつかった。


「幼稚な作戦ね。だけどまぁ……いいわ。見逃してあげる」

「何だと?」

「戦闘部隊はあの程度だし、高機動戦闘員もいないじゃない。だったら、このまま本部に行っても結果は同じかなと思ってね。博士とあんたが駆けつけたところで、特災機関はもう終わりよ。どんな秘策があるとしても無駄でしょうし。どこまで悪足掻きするのか見てみたい、っていうのも本音だけど」

「黙れ!」


 守矢が銃弾を放つ前に、高笑いを残して烏丸の姿は消えていた。

 引き金に掛かっていた指から力を抜き、守矢は倒れ込むようにして座席に座り込んだ。

『守矢さん、大丈夫ですか?』

 天井に備え付けられたスピーカーから、藍の声が聞こえた。運転席と繋がっているらしい。スピーカーを見上げ、守矢は短く息を吐いた。

「何とかな。見逃してくれるそうだ」

『どういうことです?』

「俺達の悪足掻きが見たいらしい。どんな秘策があっても、お前らは――特災機関はもう終わりだから、だとよ」

 守矢は苛立ちを拳に乗せて、隣の座席を殴った。

 正式に藍達の味方になったつもりではないが、烏丸の言動が気に障る。元々の仲間という部分で考えても、守矢にはその態度が受け入れ難い。

『終わりにはさせません』

 少しの間があって、藍が声を返した。何かを決意したような、少し力強い声だった。うな垂れていた守矢は、僅かに顔を上げ、訝しげに眉を顰めた。


「……本部に行けばどうにかなるとか言っていたが、何があるんだ?」

『――秘策です』

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