第7話

 守矢と藍は、遊歩道の途中に設置されているベンチの一つに、並んで座っていた。

 遊歩道は病院の敷地内をぐるりと回るように作られていた。道は何本かあり、所々に花壇と植木がある。見通しは良く、リハビリのためか、時折入院患者と付き添いの看護師が歩いていくのが見えた。

「……高機動戦闘員が、もういないとはな」

 前方の植え込みを見つめたまま、守矢が口を開いた。

「どうしてだ?」

 少しの間を置いてから聞こえた藍の声は、先程と変わらず沈んでいた。

「高機動戦闘員になったこと。それ自体が原因です」

 守矢はその言葉に眉を顰めた。

 かつて自分達の前に立ち塞がった、高機動戦闘員の姿を思い浮かべる。科学の粋を集めたであろう、特殊装甲を纏った三人の戦士。守矢のように肉体を常人より多少強化されただけの戦闘員など、到底敵う相手ではなかった。特災機関がキマイラと呼ぶ、異能力と怪物の姿を持った者で、ようやく互角に戦える相手だったのだ。


「彼らが装着する、特殊装甲戦闘服……あれを、使用するべきではなかったんです」

「どういう意味だ?」

「問題があったんです。重大な」

「あいつらは十分強かったぞ。問題なんて」

「その強さを、装着者に与える方法。それが問題だったんです」

 藍は守矢の言葉を遮って、首を振った。

「人間が意識して出せる肉体の力は、本来持っている力の三〇パーセント程度です。一〇〇パーセントの力を出し続けると、肉体が破壊されてしまいます。人間の持つ力というのは、それほどに強いんです。しかし彼らの戦闘服には、その力を強引に、全て引き出す装置が内蔵されていました」

 藍が一度言葉を区切ったが、守矢は無言で先を促した。

「……肉体を制御しているのは脳です。そして脳から送られる電気信号が、肉体を動かして活動に必要な力を出します。そして、無意識のうちに体の力を制御するのも、同じく脳の働きです。装置の開発者は、脳を完全にコントロールすることで、力を引き出すことが可能だと考えたんです」

「……」

「人間は、脳を全て使っているわけではありません。実際に使用されているのは、限られた部分と機能だけ。……未使用部分を使うことが出来れば、人間は更なる力を得ることが出来るかもしれない。ありきたりではありますが、その考えから開発されたのが、脳に直接電気信号を送り、未使用部分を活性化させる『Extractor(エクストラクター)』という装置です」

「……で?」

「力が引き出せるか、ということでは、成功でした。でも」

 その後に続くであろう言葉が理解できた守矢は、耳を塞ぎそうになる衝動をどうにか抑え込んだ。


「使用者への負担が大きすぎました。強引に脳を覚醒させた後、装置を解除して平常時に戻ると、脳と精神面に影響が出ることが分かったんです。使用する時間や期間が長い程、その影響は大きなものになります。改良も試みましたが、結果は同じでした」


 藍の声が一度途切れた。握りしめたその拳が、膝の上で震える。

「……それなのに上層部は、戦闘の激化を理由に、完全な『Extractor』の完成を待たず、高機動戦闘員の選抜と戦線投入を決定しました。その結果が、今です」

 藍は俯かせていた顔を上げると、植え込みの向こうにそびえる病棟を見上げた。視線は第二病棟の六階を見つめている。守矢もつられて同じ場所を見た。

「戦うのが目的だったなら、戦闘服を強化するだけじゃあ、駄目だったのか?」

「当然しました。戦闘服自体が持つ機動力や、装着者の力を増幅する機能も、研究を重ねて強化・改良されました。でも、それだけでは駄目なんです」

「何故だ?」

「いくら戦闘服の性能を強化しても、それを動かすのは、結局は装着する人間です。保護機能を高めないと、肉体が機能に負けて大怪我をします。そして保護機能を高めると、運動性能が鈍くなる。……だから戦闘服自体の強化は、ある程度までしかできませんでした。でもそれでは、キマイラの強さには及びません」

「最後の望みは、装着者――人間自体の強さ、か。だが人間には限界がある……」

「人間離れした能力を持つキマイラと戦うには、装着する人間の持つ能力を、限界値か、それ以上に強化する必要があったんです」

「……」


「変身するだけで、何の問題もなく強くなる……。そんなカッコいい無敵ヒーローなんて……現実にはいません。テレビの中にしかいないんです」


 風が草木を揺らした。病院の方向からは、人の気配が確かに伝わってくる。開かれた病室の窓からは、遠くても、聞こえてくる声があった。敷地の外では車も走っている。周囲は様々な音に満ちているが、守矢はまるで無音になったような空しさを感じていた。

「装置を作ったのは、当時技術開発部の責任者だった、私の父です」

 藍が呟くように言った。

「ですが、装置を完全なものにする前に、父は拉致されました。そして元々父の補佐をしていた私が、父の後を引き継ぐことになりました。しかし私には、『Extractor』を完全な物にすることができませんでした。できたのは、戦闘服を改良することだけ」

 守矢は思わず目を見開いて藍を見た。その視線を受けて、藍は頷いた。


「――だから……私のせいなんです。水崎さんや南雲さんがあんな状態になっているのも、雨田さんが亡くなったのも……全部……!」


 藍が言っている自傷の言葉も、決して間違いとは言えない。

 だからというわけではないが、慰めの言葉は見つからなかった。あったとしても、簡単に言えるとは思えない。

 暫く、二人の間に沈黙が流れた。

 やがて藍が顔を上げ、口を開いた瞬間、どこからともなく拍手が聞こえてきた。


     §


 瀬尾は険しい顔を崩さないまま、高速道路方向へと車を走らせていた。

 訪れた弓埜邸に人はいなかった。とは言っても、不法侵入して確かめたわけではない。警報装置は設置されていないようだったが、周囲は住宅街だ。下手な真似をして通報されるわけにもいかない。

 瀬尾は邸の中に人の気配が無いと悟ると、警察を装って周囲の家に聞き込みを行った。その結果、予想していたよりもすんなりと、藍の姿を見たという人物と出会ったのだ。

 道路を挟んだ斜向かいの家に住む中年女性が、ベランダで洗濯物を干していた時、藍が男と一緒に出てくるところを偶然見かけていた。男の人相風体を聞く限り、瀬尾の知る人物ではなさそうだった。他の部署の人間を全て把握しているわけではないが、なんとなく違うという感じがする。

 自他ともに認める研究馬鹿だが、年頃の女性だ。外部にいる恋人と会っている、という可能性が無いとは言えない。

 しかし目撃していた中年女性の話では、そんな雰囲気ではなかったという。

 弓埜邸前の路肩に止めていた車に戻った瀬尾は、運転席で暫し考えを巡らせた。その時ふと脳裏を過ぎったのが、小宮総合病院だった。

 藍は高機動戦闘員に固執している。

 彼女は技術開発部であるから、装備や武器について色々考えるのは当然と言えるかもしれない。しかし瀬尾には、彼女が固執しているのはそれらの改良や開発ではなく、高機動戦闘員という存在そのものではないのか、という気がしていた。そしてあの病院には、瀬尾の部下だった、元高機動戦闘員の水崎が入院している。南雲のいる施設は、ここからではかなり遠い。

 ほとんど直感のようなものだったが、瀬尾は本部に行き先の連絡を告げると、車のエンジンを動かしていた。

 やがて前方に高速の入り口が見えた。

 とその時、車体に搭載されている通信機のランプが点灯した。

 速度を落としながらスイッチを入れた。


『小宮総合病院にキマイラ出現――!!』

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