第8話 闇には左手がうごめいている

 少しばかり、おびえていると。


「どうした」


 とある男性教師だんせいきょうしが、心配しんぱいそうにこちらをのぞきこんできた。


 女子校じょしこうとはいえ、おとこに慣れていなくてはならないし、万が一の時に備えて、こういった、女性に嫌われないように振る舞うことができて、なおかつやわらかい微笑びしょうを浮かべることができる男性だんせいは、教師きょうしとして存在そんざいしている。残念ざんねんながら、この社会しゃかいも、おんなだけで政治せいじをおこなえるほど、成熟せいじゅくはしていない。


 異世界いせかいだ、なんだ言ったって、八割以上はちわりいじょう結局けっきょく男社会おとこしゃかいだし、男尊女卑だんそんじょひの、おとこによるワンダーランド、おとぎのくにが広がっている、夢の国だって、エスコート、紳士的しんしてきに振る舞えるおとこ先陣せんじんを切り、それに女は黙ってしたがう、誰もがダムンゼルインディストレス、とらわれの乙女なのだ、ロボトミーなどなくても、従順じゅうじゅんなおとめとして、だまっておりなかにいるのだ。


「いいえ」


 ひと呼吸こきゅうおく。


先生せんせいは、元軍人もとぐんじん、なんですよね」


「ああ」


 独特どくとくの受け答えをしてくる。


 この先生せんせい上着うわぎ脱いだら、上腕二頭筋じょうわんにとうきんがすごくて、この人に首しめられたららくに死ねるな、と思った記憶きおくがある。


「先生、」


「こんにちは、は?」


 しまった、この先生、ほほえみの爆弾ばくだんを隠している人だった。


「こんにちは」


 彼の名前は、忘れた。


「名前、覚えられないのかい」


「どうしても。


 これって何かの病気、なんでしょうか」


相貌失認そうぼうしつにん。他人の顔を見分けることが難しい病気。


 それほどではないが、わたしは人の顔と名前を覚えられない。


 わたしの中で特別な存在は、覚えられるのだが。


 教師しか、このことは知らない。どうしてか、その、生徒、同級生には打ち明けにくい。


「そもそも、生徒ってなんでこんな不自由なんでしょうか」


「そりゃあ、18歳以下だし、学生だし、善悪の判断がつきにくいし」


 くるくると、何かを振り回している。ボールポイントペン?


 いや、違うか。


 指示棒だ。


 いや、これは。


 乗馬用の。


「人以下だからな、思春期の生徒というのは。


 しつけが必要だ」


「だからと言って」


 エルメスの、と言いかけてこの世界にはそんな服飾ブランドがないことに気づく。


「これは特別製なんですよ。

 僕の身体、手、筋力を考えて、

 どんなに」

 と、むちで、壁をなぐってみせた。


「。。。人には向けませんよ。

 そこまでぼくも、人をやめたわけではないので」


 軍人として。


 人を斬ってきた、とは聞いている。


 とはいえ。


 ときどき、瞳の奥には、わたしの知らない、闇が広がっていて、その奥からは無数の左手がのぞいている。


 闇の左手、ってこういうことをいうんだろうか。


 わたしがそう、しげしげとながめていると。

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