第10話 苦行のドライブ
玄関の呼び鈴が鳴ったのは約束の時刻の3分前のこと。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
礼儀正しい挨拶を述べ、うやうやしくお辞儀をした。え……えええっ。さ、沢口くん、そ、そういう感じでいくのね? 学校とのあまりのちがいに戸惑いつつ呆れた。
うしろから沢口くんのお母さんと思われる人がにっこり現れて挨拶して、小さな、だけどどう見ても洋菓子だとわかる箱を差し出した。
「ごめんなさい。ケーキ屋さんに連れて行ってもらうっていうのに、うちの焼き菓子がいいんだってこの子が聞かなくて」
かわいらしい雰囲気の小柄なお母さんだった。沢口くんはやっぱりお父さん似なんだ。
あらあら、そんなそんな、どうもどうも、大人の話を聞き流しつつ、うちの玄関に立つ洋菓子バカの様子を観察してみた。
いつもと大して変わらない服装。緊張している様子も特になく、至って普通。普通すぎてもはや不自然なくらいだった。っていうかわたしの方が緊張してない!? く、なんだか悔しい……。もう。その図太さはなんなのさ。
沢口くんのお母さんが「ではお願いします」と帰っていよいよ出発、ということで全員で車に乗り込んだ。助手席にはいつもママが座る。だから必然的にわたしと沢口くんが後部座席ということになった。
んん……。やっぱり緊張しているのはわたしの方みたいだ。もう。なんでこんなことに。冷えた手をぎゅっと握りしめた。
「連休だからちょっと混むかもしれないな」
言いながらパパは車をゆるりと発進させた。
「沢口くんは転校してきたんでしょ? 前はどこに住んでたの?」
訊ねるのはママ。そういえばわたしも詳しくは知らないや。
「東京です。父の仕事の都合で」
お父さんのことを「父」なんて大人っぽく言うのがなんだか意外で。っていうかさ、沢口くん。
「お父さんの仕事って、ケーキ屋さんでしょう?」
「はい。前は東京の店で働いていて、独立開業を機に地元に戻ったんです」
小5にしては受け答えがしっかりしすぎてません?
そろり、と左隣を盗み見ると、沢口くんは気まずさの欠片も感じさせない涼しい顔で車窓を眺めていた。
「にしても、ケーキ屋さんの子と仲良くしてもらえるなんてね。
パパっていつも的外れなことを言う。「そういう人なんだから仕方ないでしょ」ってママが前に言ってた。
だけどここで機嫌をわるくしたらわたしの負けだ。わかってる。ドライブはまだ先長い。下手に反論して変な空気になったらわたしも困るもん。だからここはなんとか堪えて黙っておく。
「この前の、えーっと、マドレーヌ? あれもさ、急に上達したもんな。沢口くんが
──ただのホットケーキミックスの塊じゃん。
マドレーヌじゃないし。フィナンシェだし。ああもう。パパ、なにも喋んないでくれないかな!?
「ああ、はい。ぼくも作ったことのある焼き菓子だったんで。お節介かと思ったんですけど、少しだけアドバイスさせていただきました」
…………はいい?
今度は盗み見るんじゃなくて思いっきり目を開いて見てやった。だけど相手はどこ吹く風、というすまし顔。
こ、こいつ……〈ソトヅラ ヨシオ〉だっ!
〈ソトヅラ ヨシオ〉とはその名の通り外ヅラ、つまり外でだけ、それも必要な時だけ『いい子』のフリをするわるいヤツのこと。同義語に〈ソトヅラ ヨシコ〉。ちなみに名前を考えたのはわたし。
「はは。お節介だなんてことないよ。沢口くんしっかりしてるし頼りになるよ。
「沢口くん、勉強もスポーツもできるんだよ。ね?」
パパに続いてママが振り向き加減に言う。わわ、なんだかいつも家でわたしが沢口くんのことあれこれ喋ってるみたいじゃない!? 今朝いろいろ聞かれたから答えただけなのにっ!
「へえー。すごいな。オールマイティか」
パパはつぶやくように言うと「これからも
「そうだ、ついでに杏子の『アレ』も沢口くんにお願いしたらどう。俺たち親がやるよりさ」
名案だろ? とママに話しかけていた。もちろんいい予感はしない。
『アレ』とは。
「自転車練習」
ほんと、パパ。〈デリカシーのない男〉日本代表に認定しましょう。
「自転車……?」
訊ねるのは沢口くん。今度はわたしがじろりと見られる番だった。
「そう。じつはまだ乗れないんだよな、杏子。はは。なんとか中学に上がるまでに乗れるようになんないと、って」
走行中じゃなかったら、迷わず降りてたと思う。パパのバカ。これであとから「なんであんなこと言ったの!?」って問い詰めても「なんで? 杏子のためにと思って」とか平然と言うんだもん。信じらんないよ。
すると沢口くんは笑うことはなく「ふうん」という顔をして「ぼくで良ければ」と運転席に向かって微笑んだ。
くう。絶対バカにしてるくせに。心の中ではお腹抱えて笑ってるんでしょ? おれなんか保育園の頃から乗れたけど、とか言うんでしょ?
もう。わかってるもん。
勉強だって、運動だって、もっと努力しなきゃいけないって。苦手だからって逃げてるの、だめなことだってわかってる。だけどやっても全然できないんだもん。ちっとも楽しくないんだもん。
はーあ。やんなっちゃう。泣いちゃおっかな。
でもわたしが泣いてもパパにはわかんないんだよ。「え、どうした?」って、ただオロオロするだけなんだから。「どこか痛い?」って、そんなわけないでしょ? 何歳だと思ってんのさ。痛いなら痛いって言うわ! 言うなれば心のキズが痛いわ!
「なんか、いいですね」
…………はい?
いきなりそんなことを言い出す沢口くんをまたじろりと見る。
「本当に杏子さんのことが大切なんですね。なんか伝わります」
〈
言われたパパは、「そぉ?」とわかりやすく照れていた。
「ぼくは家が店だし、両親ともにフルで働いてて割とほったらかされて育ってるんで。羨ましいです」
え……。そう、なのかな。たしかに忙しそうではあるけどそこまでほったらかしには見えなかったよ……?
「よかったらまた、こうやって家族に混ぜて遊びに連れて行ってもらえると嬉しいです」
ん……え? それは、んんと。……どういう意味だ?
すっかり気を良くしたパパは「もちろん!」と振り向いて握手でもしそうな勢いの笑顔で答えていた。
「ありがとうございます!」と微笑む沢口くん。ああ、わかる。これは偽りの笑顔。こうやってパパを手玉にとってまた遠くのケーキ屋さんに連れて行ってもらおうとしてるんだ。絶対そう! ひいい。なんて恐ろしいヤツだ、沢口 翔斗!
そんなわけで、多少の道路混雑はあったものの大幅な遅れはなく予定通り1時間少々で車は目的地へと到着した。
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