第6話 金の延べ棒
「こいつは結構クセが強いんだけど……たしかに、フィナンシェに入れたらいい味出すかもね」
おもしろいよ。と言いながらその人はオーブンに近づいてわたしたちの間に立った。背が高くて、沢口くんとよく似た感じ。休日だからかイメージしていたコック服じゃなくて黒っぽいシンプルな普段着だった。
「……で。翔斗。勝手にこんなことして、晩メシ抜きの覚悟なの?」
へ……。目線がオーブンの中に向いたままなのがより怖いです。お父さん。
「そんな
「あ……あの、わ、わたしが無理にお願いしちゃったんです。すみません! わたしが悪いんです!」
必死で言うとお父さんは「ふは!」と全部お見通しというように笑った。ああ、だめだ。バレてる。
「こんにちは。お名前は?」
「お、お邪魔してます。天美 杏子といいます」
「どうも。天美さん、優しいね。けど理由はどうあれ事実は事実。不備があれば再発防止に努めるのは店として当然でしょう? なあ? 翔斗」
お……鬼だ。
その時オーブンがブー、と鳴った。いかにも業務用という感じのブザー音。
するとお父さんは一旦話を切って近くの水道で手を洗うとわたしたちにオーブン用の分厚い手袋を渡してくれた。「せっかくだし最後までどーぞ」
はいっ、とつい緊張してしまう。だってこの人は本物のパティシエさんだよ? ただのサラリーマンのうちのパパとはわけがちがうもん。
「出すのは俺がやるから」と言ってお父さんがオーブンから取り出した熱々のフィナンシェたち。焼き色は、ばっちり。そしてとってもいい香り。
作業台に置いた板の上に出すと思わず「わあっ」と声が出た。オーブンの熱のせいか、緊張のせいか、額や身体がじっとりと汗ばんだ。
「型外しは二人でやっていいよ」
いちばんドキドキする瞬間。
型と生地の間の隅っこに、そっと竹串を刺して、裏返しながら、出す。
ころん。
金の延べ棒の形をした、贅沢なお菓子。その昔、お金を扱う仕事をしている人たちに手軽に食べてもらうために考え出されたお菓子だった、と沢口くんが生地を作りながら教えてくれた。
──だから材料もムカつくくらいリッチなんだよ。
名前もそのまま〈お金持ち〉という意味なんだって。へえ、全然知らなかった。
「ああ、いいんじゃない」
お父さんの声にほっとする。
そうしてすべてを型から外し終えるとお父さんが出してくれた丸イスに座った。「水でわるいけど」そう出されたコップを受け取ってお礼を言う。そういえばのどはカラカラ。一気に半分以上飲んでしまった。
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