第二話 回復できない

 異世界の町で宿屋を経営している、Cさんという男性の話だ。

 Cさんの宿に泊まるのは、専ら冒険者である。

 冒険者というのは、剣や魔法でモンスターと戦うことを生業なりわいとした者達のことだ。武器と防具に身を固めて、森や洞窟などに出かけ、凶悪なモンスターに挑む。モンスターを倒せば、そのモンスターが守っていた宝物が入手できる他、冒険者ギルドから報酬が支払われたりもする。

 また冒険者の中でも、特に魔王と渡り合えるほどの実力があると、「勇者」の称号を得られる。これは冒険者にとって、最高の栄誉だという。

 とは言え、人間がモンスターに立ち向かうのは、容易ではない。

 たとえ装備が優秀でも、両者の基本的な身体能力には、大きな差がある。だから冒険者には、神々から加護として、「HP」と「MP」というシステムが授けられている。

 これは、冒険者自身の生命力と魔力を数値化したもので、力の消耗を肩代わりしてくれるものだ。

 例えば冒険者が敵の攻撃を受けた場合、実際に負傷することはなく、代わりにこのHPが減る。また魔法を多用すれば、魔力の代わりにMPが減る。

 特にHPがゼロになると、これ以上の戦闘は不可能と見なされて、近くの安全な町や村に強制的に転送される。このシステムのおかげで、冒険者の命は確実に保証される形になっている。

 ただ、減ったHPとMPは、きちんと回復させなければならない。そこで宿屋の出番、というわけだ。

 Cさんの経営している宿に限らず、あらゆる宿屋には、HPとMPを回復させる機能を備えた特殊なベッドが配備されている。

 もちろん利用料はそれなりにかかるが、一晩寝るだけで完全に回復できるので、冒険者にとって、宿屋は欠かせない施設になっている。

 おかげでCさんの宿は、日々冒険者で賑わっていた。

 ところが――だ。

 ある時、奇妙なことが起きた。

 早朝、フロントを訪ねてきた宿泊客の一人が、「回復できていない」とクレームを入れてきたのだ。

 彼は魔術師で、昨日はダンジョンでモンスターと連戦し、大量のMPを消費して町に戻ってきた。ところが、高い宿代を払ってここに一晩泊まったにもかかわらず、肝心のMPが、ほとんど回復していないという。

 これでは冒険に向かうことができない。魔術師はだいぶ苛立って、宿代を返せ、と言ってきた。

 Cさんはすぐに謝ったものの、さすがに全額を返すわけにはいかない。宿代には、部屋の使用料や食事の代金も含まれているのだ。仮にベッドに不備があったとしても、一晩ここで眠った以上、すべてを無料にするのは理屈に合わない。

 しかしCさんがそれを告げると、魔術師は顔をしかめて、こう言い返してきた。

「俺はろくに眠れなかったよ。何だか、嫌な夢ばかり見てさ」

 聞けば、昨夜は悪夢にうなされて、何度も飛び起きる羽目になったという。

 もしかしたら、まともに回復できなかったのは、そのせいかもしれない。もっとも――それはベッドが悪いのではなく、この魔術師自身の問題だ。

 ……結局、ほぼののしり合いに近い交渉の末、宿代の半分を返す形で、この場は収まった。

 後でCさんは、部屋のベッドを調べてみたが、特に故障している様子はなかった。

 やはり返し損だったじゃないか、とCさんは大層憤慨したそうだ。

 ところが、話はこれだけでは終わらなかった。


 翌朝のことである。

 Cさんがフロントで作業をしていると、客室の方から一人の冒険者が、ふらふらとやってきた。

 冒険者はやつれた顔で、Cさんに向かってこう言った。

 ――回復できていない。

 何でも、一晩中悪夢にうなされてまともに眠れず、朝になってもHPが回復していないのだという。

 その冒険者が泊まった部屋は、昨日魔術師が泊まった部屋と同じだった。

 Cさんは気になって、いったいどんな夢を見たのか、と尋ねてみた。

 冒険者は、こう答えた。

「知らない女が、寝ている俺の上に馬乗りになって、首を絞めてきやがるんだ」

 それで慌てて飛び起きると、誰もいない。だから「夢だったのか」と思い寝直すと、また女が馬乗りになって、首を絞めてくる。

 そんなことが、一晩中繰り返されたという。

 Cさんは仕方なく宿代を半分だけ返したが、相手はだいぶ不満そうだった。

 そして、さらに翌朝。

 ……また同じ部屋に泊まった別の冒険者が、やはり「回復できていない」とクレームを入れてきた。

 理由もまったく同じで、悪夢にうなされたからだという。

「変な女がね、私の首を絞めてくるんですよ。何度も何度も。もう、ほんと嫌な夢でした……」

 冒険者は青ざめた顔で、自分の首をさすりながら、そう説明した。

 ――きっと最初の魔術師も、同じ夢を見たんだ。

 Cさんは相手の話を聞いて、そう確信したそうだ。


 その後も同じことが、何度も続いた。

 問題の部屋に泊まった冒険者は、必ず女に首を絞められる夢にうなされて、ろくに回復できない。

 もしかしたら、悪質なモンスターの仕業かもしれない――。Cさんはそう考えて冒険者ギルドに相談したが、派遣されてきた冒険者達は、誰一人としてこの問題を解決できなかった。

 何しろ、まったく原因が分からないのだ。

 初めはモンスターの仕業かと思われたが、特にその気配はない。

 ならば、精神魔法による人為的な嫌がらせかというと、それも違う。なぜなら、どんなにベッドの周りに強力な結界を張っても、寝た者は必ず悪夢を見るからだ。

 こうなると、もはやお手上げである。Cさんは開き直って、この部屋だけ、初めから宿代を半額にすることにした。

 すると面白いもので、所持金の少ない冒険者が、事情を知った上で、敢えて泊まりたいと言ってくるようになった。何にでも需要というのはあるものだ。

 ちなみに冒険者達は、ベッドを使わずに床で寝る。これならば、回復量はささやかだが、悪夢は見ないで済むという。

 ともあれこの半額作戦のおかげで、Cさんの宿は、不思議と繁盛しているそうだ。


 なお――この話と関係があるのかどうかは不明だが、前回も登場した女神のLさんから、こんな体験談を聞いたことがある。

 例によってLさんが、別世界で勇者候補を探していた時のことだ。

 ふと死の気配を感じてホテルの一室を窓から覗くと、ベッドの上で一人の女性が、断末魔の呻き声を上げているのが見えた。

 これだ、とばかりにLさんは部屋に飛び込み、いつものように女性を異世界に送った。

 ……問題は、その後だ。

 調べて分かったことだが、この部屋では、かつて無理心中があったのだという。

 亡くなったのは三十代の男女で、女性が男性をベッドの上で絞殺した後、自身も毒を飲んで命を絶った。それ以来、この部屋のベッドを利用した宿泊客は、必ず夢の中で女に首を絞められる――というのである。

 ただしこの怪異も、Lさんが例の女性を異世界に送って以来、なぜかピタリと止んだそうだ。

「もしかしたら私、またのかもしれません」

 Lさんはそう言って、決まり悪げに笑ってみせた。

 さて、この彼女の体験談が、果たしてCさんの宿の話と関係しているのか――。

 ……特に証明するすべはない。なので、皆様のご想像にお任せしたい。

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