第三章「灰と火」

幕間・ある少年の追憶Ⅲ

              ◇

  

 白く痩せ細った身体が、死人のように横たわっている。

 ある夏の夕暮れ。母と、最後に会話を交わした日だった。


『おかえり、■■■』


 母は自分の名を呼びながら、そう穏やかに笑う。

 幼い姉は、母のすっかり骨ばった腕にしがみついて、泣きじゃくっていた。


『また喧嘩して帰ってきたの』


 清潔なこの場にそぐわない、泥まみれの服に。居た堪れない罪悪感を抱く。

 立ち尽くしていると、父がとんと背中を押し、自分はおずおずと前に出た。


『――今日は勝てた?』


 首を横に振る。母の優しい眼差しに、か細い声に、涙が零れ出た。

 愚かな自分を、何度も叱りつけてくれた人。

 空っぽの自分に、全てを与えてくれた人。

 掛けるべき言葉も見つからず、自分は黙ったまま、母の手をぎゅっと握る。

 弱弱しい指先が僅かに握り返し、母は微笑みながら自分の髪を撫でた。


『強くなくたっていい。そんなに、頑張らなくたっていいの』

『だけどいつまでも。誰かを思いやれる、優しい子でいてね』


 それが、母が最期に残した言葉。己を人間たらしめる、最後の楔だった。

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