第十四話「教会の槍」


 シャルマーニュ王国、首都パルティア。都市の中心を流れるセレネ川の中州にある司教区〈聖堂島〉を中心として円環状に発展を遂げた巨大都市である。


「――大司教様! 大司教様!」


 時刻は夕暮れ。大聖堂で休日の最後の集会が終わったところだった。

 大司教アントニウスは大勢の人だかりに揉まれながら、にこやかに手を振り返す。齢七十。恰幅のいい体格と、皺と脂肪にたるんだ顔は、いかにも穏やかそうな印象を与える。実際にその人柄は聖人然として、貧しい人々への施しを惜しまない好々爺として有名だった。


「下がりなさい! 道を開けて下がりなさい! 大司教様はお疲れなのです!」


 押し寄せてくる人波を、護衛の聖堂騎士達が大盾を構えて払いのける。聖堂外に集まった人々のほとんどは貧民や難民の類で、大司教の『慈悲』の噂を聞きつけてのこの騒動であった。


「も、申し訳ありません大司教様。これでは、いつ司教館に辿り着けるか……」

「構わんさ。もはや枯れゆくだけのこの身に、こうして大勢の方々が会いに来てくれるのだ。こんなに嬉しい事はない」

「し、しかし」

「大司教様! 大司教様!」


 殺到する民衆の中から、一際甲高い女の声が聞こえてくる。やがて、護衛の盾の間から滑り込むように、赤ん坊を抱えた若い女と小さな少年が転がり込んできた。


「大司教様! どうかこの子たちにお恵みを! どうか! どうか!」


 アントニウスの前に膝まづき、若い母親は泣きながら懇願する。周囲の人々がどよめくほどにその姿はみすぼらしく、片目に包帯を巻いた少年ともども、腐ったような悪臭を放っていた。


「き、貴様! 気高き御身の前に、なんと穢らわしい姿を!」

「よせ!」


 武器を構える護衛を叱咤すると、大司教は母親の前にしゃがみこむ。


「……どうしたのだ、その赤ん坊は。それにその子の眼も」

「ずっと熱が出て、乳も飲まないのでございます。この子の目は、ずいぶん前に出て行った父親の暴力で……私一人では治療院にかけられるお金もなく、二人とも、日に日に弱っていくばかりで……まだこんなに小さいのに。うっ、うっうっ」

「おお、なんと、可哀想に……」


 大司教がすがりついてくる母親の肩を抱くと、周囲から大きな歓声があがる。噂通り――なんたる慈悲深さだ――あんな汚らしい者に――さすが大司教様だ。


「この子の名前は、なんという」

「メリル。メリルでございます」

「そうか、メリル。……ああ神よ、この哀れな娘の生命をどうか――」


 言いかけて、ふと。大司教は赤子の顔をまじまじと見て、奇妙な事を口にした。


「……美しい眼をしているな」

「……え?」


 大司教は赤子の頬に手を触れながら、言葉を続ける。


「この子の眼だ。とても、綺麗な色をしている。――神の御加護を受けた証拠だ」

「――アントニウス様、もしや」

「うむ。急げばまだ、間に合うかもしれん。――道を開けさせろ」

「はっ!」


 衛兵が強引に民衆を退け、大司教と母子の道を切り開く。司教館まで辿り着くと、取り囲んでいた群衆は門の外に締め出された。赤ん坊を抱えた大司教は、母親と少年を引き連れて館の中に入っていく。


「大司教様、よ、よいのでしょうか。私たちのようなものが、こんなところへ」

「構わん。この赤子は危険な状態だ。私みずから治療を執り行う」


 エントランスの階段を登りながら、大司教は足を速める。二階の廊下を進み、扉を開けると、王族もかくやというほどの豪奢な一室へと辿り着いた。シャンデリアが広々とした間取りを仄かに照らし、天井と壁に描かれた彫刻を映し出している。


「あ、あの。ここは……」

「わたしの私室だ」


 大司教は赤子を一度母親の手に返すと、円形のテーブルの上に置かれた銀の盃や燭台を乱暴に払いのけ、指で字を引くようにテーブルをなぞった。するとそこに、青い魔法陣が浮かび上がる。


「その子をそこへ」


 言われるがまま、母親が魔法陣の中心に赤子を置くと、大司教は赤子の頭に手を触れながら目を強く閉じた。すると紫色の光が火花を散らし、部屋の中に風が吹き荒れる。


「だ、大司教様! 一体何を!」

「話しかけるな!」


 手をかざす大司教の顔に脂汗が滲み、赤子を包む光がだんだん大きくなっていく。一体何が起きているのか。母親は少年を抱きかかえながら事の成り行きを見守るしかなかった。部屋の灯りが消え、激しい光が明滅する中、仰向けになる赤子の上に黒い靄が集まってきた――その次の瞬間。激しい雷鳴と衝撃が巻き起こり、大司教はテーブルのそばから吹き飛ばされてしまう。


「メリル!? メリル!」


 大司教と母親が急いでテーブルに駆け寄っていく。

 しかし赤子の肌は石のように青白く、もう事切れていた。 


「メリル……メリル……うっ、うっ」 

「すまない。……わたしの力が足りないばかりに」


 泣き崩れる母親にそう声をかける大司教の表情は、我が子の死を見るように苦々しかった。


「いいえ。いいんです。大司教様はお手を尽くされて下さいました」

「……さあ。その子に安息の祈りを捧げよう。もう一度、私の手に抱かせてくれ」


 大司教は両手に赤子を抱くと、その小さな頭をそっと撫でる。


「……本当に、本当に惜しい事をした。この子には才能があったというのに。世界を変える力が、手に入ったかもしれないのに」


 無限に、有り得たかもしれない未来。母親は娘が立って歩く姿を、兄である少年と元気に遊ぶ姿を想像して滂沱の涙を流す。


「だがもはや、何の利用価値もない」

「――え?」

 

 大司教が呟いた瞬間、床に黒い孔が開く。そこから青黒い肉塊がせり上がってきたかと思えば、肉塊は歯茎を剝き出しに大口を開けて、大司教が放り捨てた赤子の身体を一飲みにした。ばり、もぐ、ごくん。生々しい咀嚼音が悪夢のように鳴り響く中、大司教は悠然と母親の方へ向き直る。


「……《魔眼》というものは厄介な特性でな。遺伝性はなく、才があるかどうか開眼するまで判別ができんのだ。それゆえに、なりふり構わず数を生ませる必要があった。只人との混血だろうと、何だろうとな。お前もその一人だ。――我が胤の娘よ」

「だ、大司教様? な、何を。なにを、おっしゃって」

「ふん。――そういえばこの場に、必要のないモノがまだあったな」


 その言葉で、無意識の内に母親は傍らに居る少年に視線を投げる。


「ママ、――」


 何か言いかけた少年は、青黒い肉の触手に纏わりつかれ、一瞬で孔の中に引きずり込まれていった。骨が砕けるような咀嚼音が響き、着ていた服だけがプッ、と孔の中から吐き出される。


「トマス? トマス、……あ、あ、あああ……いや、いやああああああああ!!」

「騒ぐな、鬱陶しい」


 少年を引きずり込んだ肉の触手が母親の口の中に入り込み、全身を縛って床に抑えつける。


「息子の方は只人の血が濃すぎて使いものにならん。もっとも、混血など得てしてそういうモノだが」


 大司教は藻掻き這いつくばる母親の前に立つと、穏やかな口調で言葉を続ける。


「ごく稀に現れるのだ、お前や、お前の赤子のように。我ら魔術師の血を色濃く受け継いだ者が。幾百と撒いた胤のどの腹から生まれ落ちた女か知らんが――もはや滅びゆく我々に純血のみでの交配は難しい。ゆえに、娘よ。私はお前を歓迎しよう。なに、嘆くことはない。お前はまだ若い。また新しい子を産めばいい。後でいくらでも好きな相手を当てがってやる」


 目の前の男が何を言っているのか。女には全く理解できなかった。

 巻き付く無数の触手の凌辱に身を悶えさせ、来るはずもない助けを求めて、声にならない叫び声をあげる。

 その時だった。


「……?」


 コン、コンと。扉を叩く音が不意に響く。

 大司教は顔を顰めさせ、扉の方を睨みつけた。


「夜分遅くに申し訳ない。大司教殿はおられますかな?」


 低い男の声だった。貴人を思わせる格式ばった口調だが聞き覚えは無い。


「ふむ。……留守か、既にご就寝のようだ。仕方がない。また日を改めて――」

「居留守こいてんだろ? 外から明かりが見えたぜ」

「ならば、留守にしおきたい事情が――待て! やめろキーラ! それは不味――」


 慌てふためく男の声を遮るようにして、爆音が鳴り響いた。

 紫紺の閃きが扉を粉々に砕き、その残骸を部屋中に撒き散らす。


「ほらな。オレの言った通りだろ、ピエール」

「分かっている。だからこそ待てと言ったのだ。――これだから」


 果たして扉の向こうから現れたのは、異様な出で立ちをした二人組だった。

 一人は全身を余す事無く黒々とした金属の鎧で覆った騎士。もう一人は赤と金を基調にしたコートに身を包み、羽付きの二角帽子を被った貴人風の男。騎士は兜で、男は老爺の顔を象った仮面を着けてその素顔をすべて覆い隠している。


「……なんだ? 貴様らは」


 大司教の問いに、仮面の男は片膝を付くと、忠誠を示すかのように一礼した。


「多大なるご無礼をお詫び申し上げます、大司教殿。私はピエール。教皇庁からの使者です」

「教皇庁だと? ……使いを寄こすとは一言も聞いていないが。何者だ」

「我々は《教会の槍》。聖省の長、ガストーネ様の命によって参上しました」

「教会の槍――、ほう?」


 それは僅か十二名によって構成される秘密組織。

 異端の排除、要人暗殺を主任務とする、教皇庁の懐刀であるという。


「話には聞いていたが実際に目にするのは初めてだ。それで? 何の要件がある」

「ええ。それは今お話しします。しかしその前に――どうか人払いを」

「……ふん。まあいいだろう」


 大司教が頷き、触手で捕らえた女の方を見たその時。

 壁にもたれ腕を組んでいた黒騎士が、不意に右腕を翳した。

 現れ出でたのは、禍々しい光を放つ紫水晶の剣。直後、稲妻の如く宙を奔った晶剣は青黒い触手ごと女を貫くと、眩い光を伴いながら――爆発した。砕け散った無数の刃片が宝石めいて輝き、跡形もなく飛び散った肉片が壁に深紅の色を付ける。


「――手間を省いてやった。さっさと本題に入ってくれ」


 悪びれもしない粗野な物言い。兜を隔ててくぐもったその声は女のものであった。仕草や口調こそ男性的であるが、よく見れば厳めしい鎧は女性的な細い身体の線をそのまま形取っている。傲岸不遜なその在り様は、街に屯する荒くれ者どものそれとは一線を画し、さながら一呼吸で街を潰える邪竜の如くに、根本的な生物としての強さを物語っていた。


「貴様――」

「――大司教殿。時は一刻を争うのです。どうかここはお納めください」


 本来なら許し得るはずもない無作法を、大司教は飲み込んだ。

 教会の槍。かの組織には逸脱した武力を備える怪傑ばかりが属するという。

 黒騎士が放った破壊魔法の威力を見れば、それが真実であるのは一目瞭然の事。

 貴重なはらを潰されたのは不愉快だったが、あえて竜の尾を踏むほどの価値もない。


「キーラ。お前は今すぐここから出ていけ。これ以上無礼を働いて貰っては困る」

「へい、へい」


 気怠げに手を振ると、キーラと呼ばれた黒騎士は廊下の方へ歩き去っていった。

 アントニウスは忌々しそうに視線を切ると、ピエールに向き直る。


「……それで。一刻を争うと言ったな。どういう要件か説明してもらおうか」

「はい。巷を騒がせている《妖刀使い》そして《異端の魔女》についてのお話を」


 ピエールが放った言葉を聞くと、アントニウスはより一層顔を顰めた。


「妖刀使いに異端の魔女だと? まさかそんな与太話をする為に此処に来たのか」

「いいえ、真剣なお話です。失礼ですが大司教殿。巷の噂についてご存知では」

「知らんな。些事は耳に入れないよう言ってある。まして胡乱な民衆の噂話など」


 鼻で笑いながら、アントニウスは棚に置かれたワインに手を伸ばす。


「それでは、事実を申し上げましょう。調査の結果、今年だけでも既に司祭の役職を与えられていた四人もの《魔女》が殺されています。街に潜んでいただけの者達も含めれば、さらに。今のところ確認できた犠牲者の数は、およそ二十二名」

「……なん、だと?」


 予想だにしない言葉に、アントニウスは手に持っていた盃を床に投げ捨てた。


「馬鹿な! ……ありえるはずがない! 一体誰がそんなふざけた真似を!」

「定かではありません。ただ現在、魔女宗の間では《異端の魔女》の実在がまことしやかに囁かれています」


 にわかには信じ難い話の連続に、アントニウスは薄い頭を掻きむしる。やがて冷静さを取り戻すと、椅子に深く腰掛けてピエールを睨んだ。


「異端の魔女――例の裏切り者の噂か。そんな馬鹿者が、本当に実在すると?」

「ええ。これまでの事件の証拠を鑑みれば。実在は確かなものかと」

「ふん。百歩譲ってそれはいいとしよう。だが、……《妖刀使い》だと? 一体いつの話を持ち出しているのだ。そんなものが現れたのはもう何十年も前の話だろう。まったく只人の無知蒙昧さには呆れかえる」

「恐れながら大司教殿。妖刀使いの事件についてはまだほんの三年前の事です」

「そうだったか? ふん。まあいい。どちらにせよ、その妖刀使いとやらはとうに死んだのではなかったか? 少なくともそれは覚えているぞ」

「ええ。間違いなく死んだはずです。三年前、私は確かにこの目で見届けた」

「? 見届けた、だと? どういうことだ」


 アントニウスの疑問に対し、ピエールは懐かしむように中空を仰ぐ。


「三年前、私は異端審問官の一人として《妖刀使い》を追っていました。あらゆる手を尽くし私はついに彼を追いつめ――この手で殺した。その功績を認められ、私は《教会の槍》の末席、《焚刑》のピエールとして迎え入れられたのです」


 ふん、とアントニウスは鼻を鳴らした。末席か。堅苦しい口調からして、小狡い根回しで成り上がった男だろうとは思っていたが――あえて嫌味も言うまい。


「……成程。では《妖刀使い》の噂については、完全なでまかせというわけだな」

「はい。彼の生死については疑いようもなく。……しかし、噂についてはそうとも言いきれません。もっとも、これは私個人の推測なのですが」

「ほう? その推測とは?」

「異端の魔女は恐らく、三年前の妖刀使いに感化された存在ではないのかと」

「……感化?」


 突飛すぎる発想に、アントニウスは眉を顰める。


「三年前、妖刀使いは捕らえられた《魔女》を救い出し、聖職者たちを斬り捨てる非道の者だと罵られていました。しかし、実際は違う。ご存じでしょう。。《魔女宗》に属する者ならば彼の行動の意味が分かっていたはずです」

「……? 私には分からないが。いったい何の意味があるというんだ」

「お判りになりませんか。少なくとも私の眼にはあれは――義侠心からの行動として映りました。義賊、とでもいいますか。もっとも民衆に支持はされませんでしたが。その点も踏まえて、確かに彼の行動は英雄的だった。もし仮に《魔女宗》に反感を抱く《魔女》が居たとしたならば、そんな彼に同調してもおかしくない。異端の魔女が妖刀使いの名を騙るのは彼の死への手向けか、あるいは――」


 真剣に語り続けるピエールに対し、アントニウスは手を翳して遮った。


「くだらん話だ。そんな幼稚な感傷で我々を、《魔女宗》を裏切るような馬鹿者が居るとは到底思えん」


 そう。ロイエス教会の実権を握る《魔女宗》を相手取るということは、この西方全土すべての人々を敵に回すという事。然るべき教育を施された《魔女》であるならばそれは重々承知しているはずだ。


「フフフ。分かりませんよ。民衆が例のくだらない書物を妄信するように、人間は生来純粋なものだと私は考えています。年若い人間などは特にね。――これもあくまで私の推測過ぎないのですが。《異端の魔女》は恐らくまだ年若い。ひょっとすると子供なのかもしれません」

「子供だと? は。ますます馬鹿馬鹿しい話になってきたな」

「子供を侮ってはいけませんよ、大司教殿。驚くかもしれませんが三年前に妖刀使いと呼ばれていた男――彼は、少年だったんですよ。あの恐ろしげな噂とは似ても似つかないような、ね」

「……何?」


 アントニウスが眉を顰める。

 ピエールは後ろで両手を組むと、歩きながら滔々と語り始めた。


「……彼のことはよく覚えています。あれは勇敢で、そして愚かな少年だった。三年前、私は彼を捕える為に罠を張った。無実の者達の公開処刑をあちこちで行ったのです。私の目論見通り、彼は処刑の場に姿を現して人々を救おうとした。私はそんな彼の眼の前で無実の人々を殺してやった。お前のやっていることは無意味だ、とね。単独犯である彼が憔悴するまでにそう時間はかからなかった。そして――」

「死んだ、と。クク。小気味のいい話だな、それは」


 アントニウスが、それまで頑なにしていた顔を引き攣らせて笑う。

 ピエールは言葉もなく、その様子を見つめていた。


「――さて。少し話が逸れてしまいましたが。大司教殿に直接こうしてお目通りを願ったのは他でもない。三年前に妖刀使いを捕らえた同じ手法を用いて、《異端の魔女》をおびき出せないかと考えましてね。そのご助力を頂けないかと」

「なるほど。確かに全てが貴様の推測通りならば奴輩も罠にかかるかもしれんな」

「では、私に任せて頂いても?」

「ああ、任せよう。どうせ他に手立てもないことだしな」

「有難うございます。このピエール、必ずや彼の者を捕らえて見せましょう」


 胸に手を添えてお辞儀をすると、仮面の男は颯爽と部屋を出て行く。大司教はそれを見送った後、血溜まりに浮かぶ女の肉片を事もなげに踏み潰した。


                 ◇


 「あ"ー。やっと終わったか。なあピエール、もう飲みにいってもいいか?」

 

 司教館の中庭に出るとキーラは大きく伸びをした。月の光を反射する甲冑は夜空のような暗い藍色だった。


「言葉を慎みたまえよ、キーラ。全く貴様のせいで胃腸がねじ切れそうだ。我々は遊びにきたわけではない。このまますぐに次の目的地に向かう」

「けっ。かったりいな。……んで、その異端の魔女とかいうのは強いのか?」


 彼女にとってそれは最も重要な事柄であった。

 教会の槍、第三階位――《魔剣》のキーラ。十二使徒の内、最強の武力を持つ彼女の興味と言えば、戦いと酒と性交の三つにしかない。酒と男に関しては今のところ不満もないが、対等な戦いの相手だけは生まれてこの方恵まれていなかった。


「さて、ね。調べた限りでは派手な魔法を使うタイプではないようだが」


 ピエールはそう言うと、正面門を目指して歩き始める。


「ふうん。じゃ、妖刀使いってのは?」

「本物ならば、貴様に比肩する実力といえるかもしれないな」

「本物? なんだそりゃ。偽物とか居んのか?」


 キーラが首を傾げると、ピエールは滔々と語り始めた。


「妖刀使い――それはそもそも、かつては特定の個人を指す呼び名だった。数百年前、ヴァン・ディ・エールの狂王に仕えた異国の剣士達の長。呪われた魔剣を振るう彼が《妖刀使い》という忌み名を与えられた事から始まる。しかし彼の死後、その異名は、彼の恐るべき逸話と共に独り歩きをして、いつしか別の意味を持ち始めた。――そう。《魔女》という忌み名と同じ、単なる”悪逆”の象徴として」


 ふーん。明らかな空返事を返すキーラを横目に、ピエールは大きく溜息をつく。


「……つまり現代における《妖刀使い》とは。それを名付けられた者の通称に過ぎないということだ。今世間を騒がせている者についてもそう。民草が勝手に彼をそう呼んでいるだけで、その実態は知れたものではない」

「んだそりゃ。くだらねえ話だな。ま、《焚き木》のピエールにやられてるようじゃ、そいつもたかが知れてるか」


 キーラは興味をなくしたように言って門の前に立つと、扉を魔剣で吹き飛ばした。意味は無いが、何となくそうしたかったからそうした。ピエールは頭を抱え、猛獣に引きずられるような思いで司教館を後にした。


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