30話
「ただいまぁ〜」
時刻は夕方に差し掛かるころ。
ひとりで狩りと探索をしていたリシルは、腑抜けた声を発しながらグレイア達のもとへ帰ってきた。
「ん・・・ああ、おかえり。早かったな。」
何かの作業をしていたグレイアはその手を止め、展開していたものを消してからリシルに声をかける。
「リシル、傷を治してやるからこっちに来い。」
「べつにいいよ、このくらい。」
「・・・すぐに終わる。放置するよりはいいだろ?」
彼の提案を冷たくつっぱねようとしたリシルだったが、結局はグレイアに押し切られてしまう。
彼女の体には見えるだけでも2,3ヶ所の大きな傷があり、地面を転がったのだとわかる汚れもあった。
「何かあったか。」
彼女の頭に手を置き、グレイアは短く問う。
「・・・うん、やらかした。魔法を準備する前に、体が勝手に動いちゃった。」
まるで試合に負けたスポーツ選手のように憔悴した様子でそう答える彼女。
どうやら、魔物に襲われていた冒険者を身を呈して守ったようだ。
それで怪我をしたため、探索を中断してきたのだろう。グレイアも、その判断をしたことに関しては肯定的なようだ。
「それは反省点として覚えておくといい。だが、怪我をした時点で切り返して戻ってきたのはいい判断だった。」
「・・・うん。」
心のゆらぎが故か、普段はしないミスをしてしまったであろう彼女は、本当に借りてきた猫より弱々しい感じになっている。
「それで、今回助けた相手のランクは?」
「Dだと思う。まだ活動を始めて1ヶ月も経ってないって言ってたから。」
「そうか。」
膝は膝枕にして、左手では膝枕で熟睡中のメイドのお腹をぽんぽんと優しくタッピングし、右手は後輩の頭の上にある。
ハーレムと言えばそうなのだが、なんだか普通のものとはベクトルが違う。これだけ甘やかして肯定しているということは、彼は周りの女性を甘マゾ堕ちにでもする気なのだろうか。
「にしても、相変わらずだなお前は。ルーキーを助けるのはこれで何度目だ?」
「・・・もう数えてない。」
「体が勝手に動くってのは困りものだな。」
「うん。」
回復魔法特有のふわふわとした感覚。我々の基準で言えば、少しだけ酒に酔ったような状態・・・と表現するのが適切だろう。
「よし、終わったぞ。」
「あ・・・うん。ありがとう、センパイ」
怪我によって分泌されていたアドレナリンも収まり、心の荒ぶりも収まったはずなのに、彼女の心拍数は上がったままだ。
文法としてはおかしいが、彼女からしてみれば「落ち着いているけど落ち着かない」という感覚だと言える。
「・・・ねえセンパイ、頭の上のそれはなんなの?」
だからこそ、他のものに意識を向けるために質問をしたはずだった。
しかし、焦燥が故に目に付いたものを・・・と判断して咄嗟に出た質問は、目の前の、彼女の気持ちが落ち着かない原因であろう男についてのこと。
・・・もう恋心くらい自覚すればいいのに(自我)。
「・・・秘密だ。」
「秘密?」
「ああ。誰にだってひとつやふたつ、秘密くらいあるもんだろ。とくに俺みたいな───」
彼がそこまで言った時、彼の膝の上で寝ていたお嬢様が不満げに唸った。
「んん・・・」
うるさい・・・と言わんばかりの顔と声に、グレイアは笑ってしまう。
「ふふっ、煩かったか。すまんな。」
なんかもう、彼女にとっては限界だったのだろう。
想像してみてほしい。
あなたに目をかけてくれている異性が、あなたが向けている感情を正確に認識したうえで、自分以外の異性を愛でている様を。
「ねえ、センパイ。」
「ん、どうした───」
彼が顔を上げた次の瞬間、とてつもない嫉妬に塗れた、問答無用の接吻が彼を襲った。
「んっ・・・んちゅ・・・れるれる・・・」
一言で表すなら「へったくそなキス」だった。
勢いよくぶつかったせいで唇は痛いし、舌も無理やり入れているおかげで少し気持ちが悪い。
ぶっちゃけ他人の唾液なんて体が拒絶するし、舌を入れるキスなんてもんを慣らしもなくやったらシンプルに苦痛だ。
「はっ・・・はっ・・・」
だらしなく唾液を垂らし、小刻みに呼吸をする彼女の思考回路は、よくわからない達成感と「やってしまった」という半ば後悔に似た気持ちとで板挟みになっている。
「はっ・・・ははっ・・・血の味しかしないじゃん。」
誰しも夢は見るが、大抵の現実なんてそんなものだ。
唇から滲んでくる血液の味。
体が先に動いてしまったという反省と、憧れの人にしてしまったことに対する現実逃避が彼女の思考を詰まらせる。
「───体が先に動く・・・か。」
小さいため息の後にグレイアから出てきた言葉は、怒りの言葉でも慰めの台詞でもなく、先程の会話に出てきたものの反芻だった。
(肉体の成長に精神が追いついていない。こればかりは距離感を見誤った俺の責任だな。)
彼自身も「やってしまった」という反省をしている。
だが彼は目の前の、自分に好意を向けているであろう哀れな少女に対して、とくに特別な対応をするつもりはなかった。
思考と行動の解離そのものは彼自身も経験したことだし、一日に2度もそれを自覚する事故があった以上、彼女を注意する気にも、叱る気にもなれなかったのだ。
「せんぱ・・・いや、グレイア・・・さん。私・・・」
(だが、べつに距離を離すほどの状態ってワケでもない。せいぜい、同じことがエルで起こらないように気をつけるだけだな。)
ついに敬称まで付けて話し始めてしまった。
そこまで気落ちしてしまった彼女の様子が少し気に入らないグレイアは、自分と彼女の思考の整合性をとることにした。
「リシル。」
「は・・・い・・・」
彼はリシルの名を呼ぶと、両腕で彼女の上体を抱き寄せた。
膝の上で寝ているエルを起こさないように気を配りつつ、そしてリシルを逃がさないように。
「っ・・・!」
(怒られる───)
何故かそう覚悟した彼女に待っていたのは、ビンタでもデコピンでもなんでもなく、単なるハグだった。
「俺をなんだと思ってる。べつに無理やりキスされたくらいで怒りやしない。」
自己証明を使って視力をミュートし、リシルの感情を読み取ったグレイアは彼女の思考を否定しつつ言葉を続ける。
「体が勝手に動いたんだろ。俺も昔・・・本当に昔に何度か経験したことがある。」
「そうなんだ・・・」
「こればっかりは仕方のないことだ。思考と行動の不一致は精神が不安定な証拠・・・だから、その問題そのものは時間が解決してくれる。」
それは彼にとって、この世界に来て間もない頃に得た経験則。
もともと彼は恋愛感情の有り無しに関わらず他人から愛されるタイプの人であったため、そういうトラブルも稀にあったのだ。
(べつに鬱ってわけでも無いようだしな。精神状態は良好、むしろ健康的な不安定さと言える。)
しかし彼自身、他人を労ったり笑わせたりするのはあまり得意ではない。
いや、正確に表すならば、ちょうどよく労うのが苦手なのだ。
人を労う時、彼はその観察眼と視界の広さを遺憾無く発揮するうえ、肯定の言葉に嘘や明確でない物言いは混ぜたくないと考えている。
「ただまあ・・・キスがへったくそなのは時間じゃ解決しない問題だ。」
「・・・?」
そのため、彼が人を労う際は必ず全肯定ASMRのようになってしまう。
「お前が望むなら、そっち方面の本職を紹介出来るが・・・どうする?」
対して、そこから話を逸らすためにはこうして「真面目なように見えて半分ふざけている内容の物言い」をするのだ。
「・・・真面目に聞いてた私がバカみたい。」
「バカだな。」
「そんなあっさり・・・」
気分が落ち込んでいたり、普通ではない精神状態となっている人を相手にする場合、彼にとってはこうして「呆れられる」までがひとつのやり方となっている。
「深く悩んだって仕方がないだろ。少なくとも、俺はお前に対して悪い印象を抱いていないことは教えたんだから。」
「でもさ・・・」
うじうじと縮こまっている彼女は、まさに年相応の少女といったイメージだ。
家族は気にしていないけど、何かしらをやらかしてしまった時の子供の態度・・・今の彼女は、まさしくその状態。
(まあいいや、とりあえず・・・事が済んだらすべきことが増えた。これに関してはリシルに感謝しないとな。)
普段なら仕事が増えることを嫌う彼だが、なんだから今回は嬉しそうな感情が伺える。
事務的でない仕事だからなのか、はたまた他の理由か。
(それにしても、異性の扱いはいつまで経っても慣れないもんだな・・・)
どちらにせよ、今の彼は非常に忙しい現状に、満更でもなさそうな表情をしているのだった。
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