限度超えの話(初回無料分)
本当はな、これも国島に渡すはずの話だったんだよ。まあ、一回くらいなら問題ないだろ。たまには違うもんも聞いてみると、意外な違いに気づいたりするもんだからな。俺としちゃあ、後輩の友達にどうこうするのは後味がよくないからこれっきりの方がいいんだけどね。まあ、そっちの趣味と縁次第だ。世の中大体そんなもんだろ。
井口さん、ってことにしとくか。俺と同い年か少し上、あとは……胃の悪そうな人だな。いや悪口のつもりはないさ、特徴があると覚えやすいだろ。胃の悪そうな井口さん。駄洒落じゃない、連想だよ。仮名だからな、この場で語って使い捨てだ。ついでに映画監督とも同じ苗字だからな、縁起が……よくはないけど、まあそうやって覚えとけ。
井口さん、どういう人かっていうと、普通の人なんだよ。平々凡々っていうと聞こえがちょっと悪いかもしれないが、順風満帆って言えばいい感じだろ? そういう具合で、特に波風なく地元で進学して就職して生活して、って生き方をしてきた人。
──なんでそんな人とかかわりがあるんですか、ってあれだよ。社会人の関係なんか大体仕事だろ。
で、井口さん、趣味があった。おおまかにいえば写真撮影だな。つっても機材とかそういうのにこだわるような本格派じゃなくて、何かあると気軽に撮るみたいなタイプの写真好き。デジカメとスマホだからな、主な道具。道歩いてて空が良かったら一枚、妙な表記の看板を見たら一枚、そんな具合でぱしゃぱしゃ撮影するんだな。
勿論、人もその調子で撮ってた。学生の頃、たまに学校に写真屋が来て写真撮ってくことがあっただろ。卒業アルバムの日常写真枠撮りに来るやつ。井口さんはそれを毎日……っていうと大袈裟だけど、そこそこの頻度でやってる。家族とか知り合いとか、許可はちゃんと取るけどな。父親がぼんやり煙草吸ってるとことか、飼ってる犬が床転がってるとことかな。一族郎党集まるようなイベントだったら大喜びだよ。お盆なんか仏壇も墓も拝まないで写真撮ってるもんだから、経上げに来た坊主に怒られたってさ。その坊主の説教聞いた後で、一枚撮らせてくれって頼んだんだから……撮らせてくれたってさ。ちゃんとポーズまで決めて。坊主も面倒になったのかもしれないな。
で、そんな調子で撮ってるもんだから、当然写真も大量にある。それをどうしてるかって言ったら、意外と雑なんだよ。スクラップブック、っていうかアルバムにべたべたって貼っておしまい。分類とかレイアウトとか、全然考えない。最初の頃なんか空缶にしまってたらしいから、本当に興味がないんだな。撮って、保管するまでしか意欲が持たない。データだって一定期間で消してるって言ってた。アルバムに貼れってのは身内から言われて始めたんだと。ぽっくり死んだ祖母さんの遺影にいいのないかって探したときに、缶からばらばら並べるのが手間過ぎたからだって言ってたな。探した結果見つかんなかったそうだし。徒労の二乗だ。
そういう写真を集めに集めたアルバムが、ずらっと本棚に並んでる。何冊あるか、本人もよく分かってないみたいだった。十冊よりあるとは言ってたな。そりゃもうどうでもいいよなと思った。俺の人生で写真なんか一冊分もないからな。嫌いなんだよ写真、未練がましいから。
で、これも井口さんの習慣なんだけど。週一でな、写真をアルバムに貼るんだと。大体週の日曜日に、その週の撮影データをPCに入れて印刷する。それをアルバムにべたべたっと貼って、終わり。凝ったことなんか全然しない。
じゃあ作業にかかるか、って棚の一番端っこにあったやつを取り出して、開いた途端に違和感があった。
手遅れの火事現場、焦げて燻る焼け跡に残る煙の気配に似た、煙草の匂い。
それが、アルバムを開いた途端に強く匂ったんだと。
井口さん、煙草吸わないんだよ。家の人間で吸ってたやつはいたけど、大体死んだか病気やって目下禁煙中。だから、アルバムからそんな匂いがするわけない。よそに持ち出しもしてないし、家族以外が見るようなもんでもないから尚更匂いのつく機会がない。
とりあえず中身の確認だけしようかと、さっき新しいのを貼ったところから、ページを逆さに繰っていったんだと。ページ一枚に、写真が四枚。風景と人物で大体半々で、たまに気が向いたかどうかして付箋で短い注釈がついてる。
いくつか捲って、ほぼ真ん中あたりだったそうだ。
はがき大の紙が一枚、挟まってた。
アルバム、台紙に貼って上からフィルムをかける方式のやつでな。基本的には全部、貼り付けてあるわけだ。
だけどその一枚、そいつだけただ栞かなんかみたいに挟まれてる。少なくとも井口さんには心当たりがなかったから、とりあえず異物だろうなと手に取った。
デカいクリスタルガラスの灰皿と、その中に使い終わって頭が焦げたマッチ棒が一本に、燃え残ったらしい焦げた紙片。
くの字に折れた煙草の吸殻が三本、灰皿の中央に転がっている。そういう写真だった。
当然覚えがない。でも写真は手元にある。その上、明らかに煙の匂いもそこから漂ってきている。
怖がる以前に訳が分かんなかったそうだ。しばらく呆然としてて、そのうちもう一つ気づいた。
もう一つはな、アルバムの方。
風景に混じって貼ってある、人物の写真。そいつがおかしくなってるのに気づいたんだと。
別に手が増えてるとか、知らない人が映っているとかそういうやつじゃない。覚えのない写真ってわけでもない。でも、おかしいのはすぐに分かった。
全員、同じ表情。職場の知り合いも、家族も、たまたま映り込んだ選挙ポスターも。およそ人の顔、その表情が同じものになっていた。
どんな表情かって?
こう、口がかァっと開いて、黒目がぼかっと丸くなってて……しいて言うなら笑顔が一番近いんだけども、そんないいもんじゃないっていうのは一目見て分かったそうだ──ああ、『捕食のときの顔だと思いました』ってのが井口さんの感想。飢えに飢えてようやく獲物に齧りつこうとする寸前、みたいな顔に見えたと、そういうことを言っていた。
何だったんだ、って言われたらあれだ。何かに成ったんだろうなっていうしかない。何かはまあ、分からんけど。実物見てないしな。井口さん、とりあえずアルバムは自分で燃しちゃったから。うちの会社に来たのは一応別件ってことだったし。
量が集まるとな、別物になるんだよ。人でも物でも、一定の基準みたいなものを超えると、いつのまにか違うものになってる。アクセサリでもそういうのあるだろ。最初はちょっとした気まぐれで買った指輪が、気づいたら着けもしないのに数だけ増えていってコレクションみたいになるやつ。この場合、もう目的が変質してるだろ。指輪だって装飾品から美術品? みたいなものになってる。ひょっとしたらもっと変わってるかもしれないけどな。
幸せな由縁、とか思い出、とかそういうのは些細な差なんだな。総合して『何かしらの記憶』というものになったんじゃないかって、井口さんは言ってた。
煙草の写真についてはよく分からないんだと。匂いのする写真ってのはまあ、因縁みたいなもんはありそうだけどな。井口さん本人も分からないって言ってたよ。何でも撮る人だし、それこそ机の上に転がってたのをいい画だと思って撮ったのかもしれないからな。撮ったデータも見当たらない。だからまあ、どうにもならん。煙草だけに火を点けた、みたいなふざけかたぐらいしかできない。結局そいつも燃やしたそうだけど。吸い殻だからな、燃え尽きたら全部終わりだ。これもおふざけの部類ではあるけども……。
要するに、何にでも限度があるってことだ。そうだな、塩気とか辛みとか甘味とか、味覚でも似たような話ができる。それぞれ一定の濃度までは別の味として認識できるけど、閾値を超えるとただ同じ刺激という認識になるだろ。そういう話だ。
ま、頃合いを見計らう、とか潮時、みたいなもんを見極めんの、人生においては重要スキルだなってことだよ。そこを踏まえておけば、相手が人間だろうがなんだろうがどうとでもなる。そこ外したらまあ、諦めが肝心ってだけだからな。どうしようもないことはある。足掻いてもいいけど、結局趣味の問題だろう、そんなの。
じゃあ、今回はここまで。次会ったらちゃんと貰うから……嘘だよ。年下から煙草かっ剥ぐような真似、俺はしないからな。とりあえず、国島と仲良くしてやってくれな。あいつ、あんまり友達いないみたいだからな。
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