word6 「競馬 勝つ馬」④

「――先頭を行くのは6番レッドバタフライ、その後ろ4番サイエンスクッキー3番クロックポーリーと続いております」


 テレビから心地よい口調で実況の声がする。


 冷蔵庫の前で後輩としばらく笑ってから数十分後、俺達が賭けた最初のレースが始まっていた。


「今は俺が賭けた馬とお前が賭けた馬どっちが良い感じ?」


「僕のですね」


「え、俺のほうが前におるから良いんちゃうん?」


「いやこっから僕が賭けた馬が抜かしますね。後半に強い馬ですし乗ってる騎手の人も調子良いんで。僕そういうとこまで見てるんで」


「そんなに色んなこと考えてやってんの?」


「はい。なんならこの馬の親は誰かお爺ちゃんお婆ちゃんは誰か、調教したのは誰かとかまで見ますからね。競馬はデータですよ」


「へえ……でも、果たしてそう上手くいくかな……」


 俺は指の関節を鳴らしながらにやりと笑ってみせた。


「何ですか?やけに自信ありそうですね」


「そらそうよ。俺には未来が見えてるんだから」


「未来?いやいや、悪いですけど僕にも未来見えてますよ」


「お前のとは比べ物にならないくらい鮮明に見えてんだよ」


「え?」


「どういうことかって言うとな、俺にはもう勝った金でおいしい焼肉を食ってるところまで見えてんの。もう舌の上にカルビを感じてる、網の上では次に食うホルモンがじゅーじゅー焼けてて、タレの付いた白米も口の中に放り込む。ああうめえ、たまらん」


 茶碗を持ち上げ箸で食べるジェスチャーもして、幸福顔を見せつける。


 再開した後輩との競馬で、俺は吹っ切れていた――。


 大笑いされてしまったことで、もう完璧な先輩であろうとすることはやめた。こうなってしまったらスマートさを演出し直しても逆に滑稽でしかないので、ありのまま、素の自分でいくことにした。


 予定外のことだったが、意外とこれはこれで良かったと思う。自分を曝け出してみると、楽になったし会話もさっきより弾むようになった。コンプレックスや隠し事を最初に打ち明けると仲良くなれると昔聞いたことがあるけど、意味がよく分かった。


「はははは。何すかそれ、もしかして酔ってます?」


 そして、後輩側もリラックスできている感じがする。先ほどのように大声で笑う――。


「――さあ、400mを切って最終直線に入ってきました。先頭は未だ6番のレッドバタフライ。1馬身のリードで逃げています」


 レースが最終局面に入ると俺と後輩は画面に集中した。小声で「いけ」とつぶやくくらいでそれぞれが賭けた馬を応援する。


「ここで外から伸びてきたのが3番クロックポーリー。内からも4番サイエンスクッキーが来ている」


 俺が賭けたのは単勝で4番のサイエンスクッキーだった。現在2番手を走っていて勝つか負けるかという位置なので手から汗が出てくる。


「3番クロックポーリーと4番サイエンスクッキーの一騎打ちになりました。後続を大きく突き放す」


 実況の通り2頭の馬だけが抜け出ている形になった。もう後ろとは随分離れている、勝つのも2頭のどちらかだ。


「しかしわずかに3番クロックポーリーが前!3番クロックポーリーが前!半馬身差!そのままゴールイン!」


 いける、これで払戻金ゲット、本当に焼肉を食いに行こう。そう思ったのも束の間、あっさりと競り合っていた相手の馬がゴールしてしまった。


 目と口がかっと開く。そのまま画面を見続けることしかできなくなった。


「かーっ。ダメだったか。でも中々熱いレースだったなあ、ははは」


 隣では後輩が画面に向かって拍手を送りながら笑っていた。


 ――この結果は黒いパソコンの検索結果が間違っていたとか、俺が賭ける馬を間違えたという訳ではなかった。元々今回のレースの検索結果を俺は見てすらいなかったのだ。


 だから、「まさか黒いパソコンが間違っただと――!?」とは思っていない。


 後輩が隣にいる状態で競馬初めての俺が勝ちまくるのもおかしいと思われたらまずいし、結果が分かってるレースに勝って喜ぶ演技をするのも疲れる。それに初めての競馬なら楽しみもしたい。


 前半のレースは自分で賭ける馬を決めることは昨日のうちから決めていたことだった。


 どれだけ負けたっていつでも取り返せる。後半のレースで適当に収支の帳尻を合わせて、さらに大金は競馬に飽きるか後輩が帰った後に夕方の最終レースで手にすれば良い。


「いやあ、見えてた未来は次のレースのやつだったか」


「あ、このレースの結果が見えてたんじゃなかったんですか?」


「うん。もう焼肉食い終わって腹撫でながら会計するところまで見えてたんだけど、逆にちょっと先を見過ぎてたみたい」


「あはははは」


「あはははは」


 後輩が笑ったので、俺もまた笑った。


 こうやってふざけていたのも、勝つ馬を知っていたからではなく、本当にただふざけていた。そのくらいには吹っ切れていた。


 次のレース……そのまた次のレースと同じように和気あいあいと競馬を楽しんだ。


 レースの合間合間では競馬について教えてもらいながら雑談した。


「広見リオの曲をぜひ先輩にも聞いてほしいですね」


「それもちょこちょこ言うてるよな。何がそんなに好きなん」


「もう全部ですね。そう言うしかないです。だって歌が上手いのはもちろんのこと、かわいくもあってカッコよくもあって、キュートでもあるしでクシーでもあるし、外見だけじゃなく内面の考え方とか生き方も尊敬できるし、歌ってる時以外のちょっとした仕草とかもああ好きってなるし、魅力の量が凄いですよね。1人の人間が有することができる量を超えてますね」


 途中後輩が好きな歌手の広見リオについて話した時は若干引いたが、それ以外は価値観が近いことが多くて気まずくなることも無く会話が続いた。


 昼飯は本当にイカを食べた。俺の中の予定では、後輩に食べたいものを聞いて出前を取るつもりだったけど、昼時になると後輩のほうから「イカ食べましょうよ」と言ってきた。


 どちらも料理経験が少ない男だったので、イカだけにイカした料理は作れなかったが、切れ目を入れて焼いたものを適当に味付けするだけで思ったよりおいしかった。あとはカップ焼きそばにお湯を注いで缶ビールを開ければ昼飯としては充分なご馳走だ。


 予定外のことがいくつかあったけど、これといって問題になることはなく1日が過ぎていった。


 しかし、昼飯を食い終わってから2つ目のレースが終わった時にある問題が起こる――。


 空になったビールの缶が力任せに握り潰される――。


 あまりにも勝てなくて我慢の限界が来たのだ――。

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