第25話

 今年の夏は当たりが少なかった。

 中学二年生の夏に観た映画はホラーもSFも、どっちも当たりが多くて忘れられないシーンとセリフがある。中三のときは受験勉強に励んでいた。

 思えば、最初に観たSF映画と呼べるものはロバート・ゼメキス監督かつ脚本の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だった。あれは私が九歳になったばかりの頃で一つ下の弟が姉である私にくっついて離れなかった時期だ。そして私も理想のお姉ちゃんをやっていた。それに父母ともに仲良しで、つまりは幸せな四人家族そのものだった時代だと記憶している。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』についてはパート2もパート3も観たが一番好きなのは無印だ。私がそう言うと弟に「あの終わり方で?」と返されたのも覚えている。続編を仄めかす終わり方はそう珍しくないが、すっきりしないという意見も否定できない。長期に渡って放映されてはクリフハンガーで先延ばしされていく海外ドラマよりはマシかもしれない。

 ちなみに小学四年生の私がクラスの女の子たちにBTF三部作の面白さについて熱弁して引かれたエピソードもある。彼女たちが心動かされるのはたとえば若いイケメン俳優を起用しているような高校生同士(という設定)の青春映画であって、80年代のSF映画なんてのは古臭くて作り物でしかなかったのだ。

 あの頃と比べて語彙力や表現力を身につけた私であれば、少女たちの心を動かすことができるだろうか。残念ながらできそうにない。今の私にとってあの名作映画たちは、ただ古いだけではなく失われた家族の絆を思い起こさせるものであるからだ。

 真夏にホラー映画を家族四人で観ながら、きゃあと叫ぶママも泣いてしまう弟も、パパに震えながら抱き着く私も、先を知っているのかニヤニヤしているパパの姿もここ数年の夏には見ておらず、きっとこれからの夏にもないのだった。




 二学期が始まってすぐに席替えがあった。私は窓際で後ろの席。咲希と宮沢さんは廊下側の真ん中あたり。相変わらず咲希は教室では優等生の文学少女を演じている。咲希自身からすると、装っているのではなく志しているのだから、それを演技と言い切ってしまうのは失礼かもしれないわね。

 彼女が夏休みの間にどれだけ本を読んだのか把握していないし、どれだけ文学的な体験というのをしたかわからないから、彼女が理想とする夏目なんとかっていう二次元文学少女に近づけたのか知らない。でもたぶん、そんなに変わっていないと思う。

 ただ、宮沢さんとの関係に変化はあったのだと察した。一学期と比べて親し気に話している様子がある。夏休みの間にも会っていた、そのことは大まかにだけれど咲希本人から報告を受けている。かく言う私も夏休みに何度か咲希の家に誘われて、断っていた。二人の邪魔をしたくないからというのが建前で本音としては移動が面倒だったからだ。同じ学区に住居があるとはいえ、星見家と吉屋家ではずいぶんと距離があった。


「宮沢さんと付き合い始めたの?」


 二学期が始まって三日目の昼休み、咲希に訊いた。自分から言い出すのを待っていたがついうっかり訊いていた。これが四月か五月だったら、咲希が誰と付き合い、どこで何していようが興味なしだったのだが、久しぶりに会った友達が落ち着かない雰囲気だと理由を考えて、憶測でもそのまま口にしてしまう私だった。


「……柚葉に隠し事はできないね」

「え、本当に? おめでとう、でいいのよね」

「あー……その、まだ正式にではないんだよね」

「は? じゃあ、なに。私が前に言っていたみたいにお試し?」

「まぁ、そんなところ」

「ひょっとして身体だけの関係?」

「ちがうって。何にもしていない」

「何にもってことはないでしょ」


 ぎょっとした顔をする咲希だった。面白い顔。この子は嘘をつくのに向いていない。からかい甲斐のある女の子だ。


「咲希、私たちぐらいの年齢であれば、興味本位であれこれしちゃうのはそう珍しくないわよ。見たでしょ、クラスの子。いかにも一夏の恋に溺れましたって感じの子もいたでしょ?」

「何一つ変わっていない子もいた」

「それであんたはどっち? あの子や他の男の子と最後までしたのかしら」

「やめてよ、食事中に。あと、していないから。円香とだって、今はそこまでは考えられない」


 いつの間にか名前で呼んでいるのね。それに「今は」か。揚げ足を取るつもりはないけど、未来のことはわからないわけだ。

 私は敢えて黙って、咲希が自ら続きを―――それがあるはずだと信じて―――話すのを待った。果たして、彼女がミニハンバーグを箸でつつきながら話す。


「きっかけって言えばいいのかな、円香のバスケの練習試合を観に行って、それでお盆入って数日会わない日が続いて、それでなんか……もっといっしょにいてもいいなって思えた」

「友達としてではなく」

「円香が友達以上の関係を望んでいるのなら、それに応えてもいいかなって。柚葉、そんな顔しないで。わかっている。これは優しさじゃなくてその逆だよね。でも、だからこそ試しに付き合ってみようって思った。それで恋に落ちなかったら、すぱっと別れを告げるつもりだった。嘘じゃない。その覚悟はあった。やっぱり友達でいたいよって伝える気でいた」

「けど、今のところ伝えてはいない」

「うん」


 咲希がミニハンバーグをもぐもぐとする。ふと、最後にママ手作りのハンバーグを食べたのはいつだったかと思った。もう数年は食べていない。


「ねぇ、玉子焼きいる?」

「えっ。いいの?」

「食欲があまりなくてね」

「いつもきれいに食べているのに」

「そういえば、宮沢さんは何も文句言わないの? 昼休みに私があんたを独占していること」

「ないない。向こうだって友達と食べているし。これからも変わらないんじゃないかな。もしも付き合っているのを公にしたら別だけれど」

「あの子はそれについては何か、いや、言わないわよね。お試しだもの。まさかその状態で外堀を埋めるってことはしないでしょうし」


 むしろ、と私は思う。外堀を作る事態になりかねない。ようするに溝だ、心理的な隔たり。宮沢円香と吉屋咲希が交際しているのが表沙汰になれば、まずそれが生まれるだろう。少々、悲観的だろうか。楽観視すれば、クラス中のみんながそれを受け入れてくれる。まるで道徳教材みたく。

 

 無駄に美味しそうに玉子焼きを食べた咲希に私は言う。


「さっきの反応見るに、キスぐらいはしたのよね」

「……私、そんなにわかりやすい?」

「まあね」


 キスの感想を聞くか迷った。知りたい気持ちはどこか義務感めいていて、本当は知りたくないって気持ちのほうが大きかった。

 無関係なのに、考えてしまう。パパと不倫相手のこと。どんなことをしたんだろうって。両親は詳しい説明はしてくれなかった。それでいいのだ、私はまだ子供なのだから。その立場を利用して無知で在り続けたかった。そうだったのに、去年の冬、あの夜に酔いのまわったママは……やめよう。こんなの思い出してどうなるの。


「柚葉?」

「なによ」

「ぼーっとしていた。食欲もそうだけど、体調悪いの?」

「べつに」

「あのさ、柚葉」


 咲希が箸を置いて私をじっと見つめてくる。その瞳には力があって、下手に背けることができない。真剣な話のようだ。


「柚葉は前に話さないって言っていたけれど。それでも私はいつでも聞くから。悩み事。あれば打ち明けてよ。友達として。優しくしたいわけでもかっこつけたいわけでもない。ただ、調子が狂うからさ。そんな理由じゃダメ?」


 あんたはお人好しでお節介ねと喉元まで出かかった。そこに怒りはなかった。自分でもよくわからないけど、嬉しくなっていた。そうか、こういうのが友達かとバカみたいなことを真面目に思った。


「じゃあ、言うわね」

「う、うん」

「最近、また胸が大きくなってブラがきついの」

「……」


 なんと言えばいいのかわからないって顔している咲希。

 好きな顔の一つ。私は笑って「冗談よ」と言ってから、近い未来に相談することを約束した。相談ではなく一方的な愚痴になるとも言った。そのうえで咲希は「望むところだよ」と返してきてくれた。文学少女よりもよほど、武道を続けていたほうがいいんじゃないかしら、この子。とはいえ、咲希自身がなりたい咲希を否定する資格はない。誰にもないのだ。


 それから結局、私は咲希と宮沢さんがキスを交わした話を聞いた。

 二人のファーストキス、それは二人が試しに付き合い始めて五分後に宮沢さんの部屋で行われたそうだった。宮沢さんが「じゃあ、証がほしいな」とのキスを望んで目を閉じたのだという。「あとは流れで」と咲希は私に話した。顔を真っ赤にして。


「ふうん。あの子の唇、柔らかそうよね」

「なに言っているの!?」

「え、硬かったの」

「言わすな馬鹿」


 咲希があの子と恋に落ちるのは時間の問題だと直感した。わざわざ今の咲希に、未来は自分たちで切り開くものだと助言する必要はない。彼女たちはタイムマシンで過去を変えるなんて考えなくていい。


 照れる咲希の唇に目がいく。今もし私がそれを奪ったなら……ううん、それはない。そんなのまるで私が咲希に恋しているみたいじゃない。


「ねぇ、咲希。宮沢さんから『あのアイドルと私のどっちが大事なの?』って言われないようにしなさいよ」

「そんなめんどくさいこと言う子は嫌だなぁ」


 私たちは笑い合った。

 宮沢さんには悪いけど、もうしばらくは――――そうね、三年間ほどこの昼休みの時間はこの子を独り占めしておきたいわね。

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