第15話

 男女の友情は成立しないなんてのを聞いたことがある。でも少なくともどちらか一方が異性に恋愛感情を持たない人間ではどうなんだろう。

 それはそうと、こんな話も聞いたことがある。男女の幼馴染同士で小さい頃から大人になるまで腐れ縁というやつで結ばれ、生活圏を同じくしてきた二人。片方がもう片方に愛の告白をし、男女交際を望む。しかし甲が断り、乙が断られた。それでも友人関係は壊れず、しばらくするとまた告白。今度は乙が断り、甲が断られた。そんなのを繰り返して……どうなったんだったか。

 結局は二人は結婚して生涯を共にした? それともそれぞれが別々の運命の相手なる存在を残りの人生の伴侶とした? それでいてまだ二人は友人だった?

 

 そんなこんなを考えながら、右を見やる。無表情でペンを動かす柚葉がいる。

 左をうかがう。腕の怪我がほぼ治りかけの宮沢さんがいた。

 私の視線に気づいたのか、宮沢さんがノートから顔を上げ、こっちを見――――なかったふりをして、元に戻った。

 そうだ、勉強中だ。期末定期テスト対策をしているのだ。テストはもう来週なのだ。ゆえに今週は部活動休止期間である。

 前を見る。壁だ。暗い灰色。カフェの壁だ。先週に、私が柚葉と入った店とは違う。壁際のカウンター席、私は真ん中にいた。


「なぜ三人横並びで勉強しているんだろう」

「テーブル席、埋まっているんだからしかたないじゃない」


 私の独り言に柚葉が反応する。聞こえるような大きさで呟いたつもりはなかったのにな。


「……ごめんね。こんな混んでいるとは思っていなかった」


 宮沢さんが謝ってくる。


「いえ、宮沢さんのせいではないですよ」


 彼女が以前にバスケ部の女子連中で訪れたことがある店だそうだ。私は昔からあるのを知っているが、実際に入ったのは今日が初めて。駅前の大きな通りから、一本外れた場所にあるんだよね。

 月曜午後四時過ぎ、高校生たちで賑わっていた。


「みんな考えることが同じってわけよね。店側からしたら回転率が低くなって、たまったものじゃないでしょうね。これじゃ」

「禁止のポスター類一つ貼っていないところ見ると、慣れっこなのかな。日頃から学生たちの利用って多そうだから」

「禁止を諦めたのかもしれないわね。でも、さすがにドリンク一つで二時間以上居座るようなら、言ってくるんじゃないかしら」

「たとえばどういうふうに?」

「ごいっしょにポテトはいかがですか、みたいな」

「ぷっ。星見さん、そういう冗談言うんだ」

「ごいっしょに冗談はいかがですか。ほら、何か言ってみて」

「わ、私も? そんなの無茶振りだよ」


 真ん中の私に構わず左右がやりとりをし始めた。なんだこれは。


「あのさ」


 ぴたっと。怖いぐらいに二人の会話が止まる、私がほんの一言口にしただけで。……本当に、なんなんだよ。

 私は右を向く。


「柚葉、席替わろうか?」


 私の提案に柚葉が無言で拳を振り上げた。グーってマジか。慌てて、私は左を向く。同様の提案をするつもりが、宮沢さんはばっと顔を背け、俯き、固まる。教師に指名されたくない授業中の生徒みたいだ。


「べ、勉強しましょうか」


 私はそう言って、右を向き直さずにノートに向かった。


 誰が言いだしたのかは覚えている。

 私だ。ここ一週間と少しの間、宮沢さんとまともに話せないままで新しい週を迎えて、お昼に柚葉から「ヘタレ」や「腰抜け」と罵られたのがきっかけだ。

 柚葉のことだから、私が以前みたいに平気な顔して、冷凍食品を貪っていたならそのままにしておいてくれただろうが、私はここのところはずっと、宮沢さんとの関係について考えていたから、昼休みも省エネモードだった。

 

 こんなに彼女を一途に想っているだなんてまるで恋だな。暢気にそんなことを思ったのは一瞬だけで、自分で否定する。ダメだろ。そんな簡単に言うのは。宮沢さんが告白したときの表情、いつ涙が零れてもおかしくないそれを忘れてはいない。この気持ちが恋だと言うのは、彼女に悪い。

 

 宮沢さんは勇気を振り絞って私に想いを伝えた。勇気。そう言えば聞こえはいい。でも、そこには臆病な心があったからこそあんな表情だったんだ。自信満々に、性別なんか関係ない、付き合ってよと言える人間にも世の中にはそう少なくないはずだ。きっと。

 ひょっとしなくても、勇気を振り絞ったのではなくて想いが溢れての向こう見ずな告白だったのかもしれない。でも、それを誰が笑えるんだ。笑わないでほしい。そして私は……私は自分が彼女に示した答えが、態度が、吉屋咲希という人間が正しかったと信じられずにいる。だから、悩んでいる。たぶん、そんなところ。


 話を戻すと、今日の勉強会についてだ。

 何か行動を起こさないといけない、そう燻っている私の心中を汲み取った柚葉からの罵声を受け、私は決起したわけだ。

 今日の昼休み終了二分前、教室で席に姿勢正しく座っている宮沢さんに「放課後、星見さんと私と一緒に勉強会をしませんか?」と声をかけた。何日かぶりに、目が合って、それで彼女はこくりと肯いた。周囲の生徒がどんなふうに感じたかは知らない。私は私で、必死だった。声がうわずっていた。どうして私が緊張しないといけないんだ。そんなことを思いつつ、自分の席に戻り、柚葉の背中を眺めるつもりが彼女は後ろを振り返っていて、睨まれた。

 暇だからいいでしょって睨み返しておいた、控えめに。


 ところで私は鏡花ちゃんに魅了されて文学少女を志しているけれど、その出逢いよりも前から数学が苦手であった。ぶっちゃけた話、もっと数学を勉強していれば志望校に合格していた気がしなくもない。うむ。実に文学少女らしい。……まぁ、実際には文学少女だから理数系が苦手でもかまわない、と開き直ることが許される時代ではない。それに真の文学少女であれば、むしろ数にも強いものだ。そうは言っても苦手には変わらないのだが。


「柚葉、確認していい?」

「なに」

「数Ⅰは二次関数からが中心、でも期末だから因数分解や命題のあたりも数問出る。この認識であっているよね」

「さぁ。宮沢さん、範囲表持っているわよね?」


 ひょいっと私の隣へと涼しい顔を向けて柚葉が言う。


「え? う、うん。……どうぞ」

「か、かたじけない」

「なに、あんた古典勉強中なの?」

「……数学」

「ねぇ、宮沢さんって数学が得意そうな見た目よね。合っている?」


 無茶苦茶言い出したぞ、こいつ。


「普通だよ。今のところはついていけている、そんな感じ」

「そう。咲希、わからないところがあったら宮沢さんに聞いて。私は今から地歴のノート整理と暗記に入るから邪魔しないで。なによ、その顔。返事は?」

「はい」


 左を向く。宮沢さんがドリンクをぐいぐい飲んでいた。どこか焦った様子で。でも、焦ったのは私もだ。まさかこんなに動揺が表に出る子だと思わなかった。


「――――それ、私のです」


 吹き出されたら惨事なので、私は彼女が今まさに飲んでいたドリンク、彼女のではなく私のをきちんと置き直してからそうだと明かした。


「えっ」


 彼女が見る間に顔色を変える。その紅潮が意味するのは羞恥だろう。指摘した側の私だって胸がざわついた。そして宮沢さんが今度はしっかり彼女の分のドリンクを掴む。ぐっと。一気飲みするかと思いきや、それを私に突き出してくる。


「これ、一口も飲んでいないからっ、あげる! それで許して!」

「わっ!?」


 勢いが強すぎた。零れる。半分は容器の構造のせいだ。もう半分の責任が誰にあるかはともかく、中の冷たい液体が私のスカートにかかる。私がついあげてしまった声で周りからの視線も感じた。

 そんな中、柚葉が席を立ち、私たちの間に入ってハンカチを出すと、私の手に握らせ、そのまま腕を操りスカートに押し当てる。自分では拭いてくれないのが柚葉らしい。

 それから宮沢さんに向き直ると「来て」と彼女を立ち上がらせ、どこかへ連行する。背の高い宮沢さんが柚葉に引かれていく様はなんだかおかしかった。

 残った私はぽかんとしながら、ハンカチをスカートの濡れた部分に押し当て続けていた。




 シス庭に登場する、ルミナスガーデン所属のアイドルたちは入所経緯でスカウト組とオーディション組とに別れる。鏡花ちゃんはスカウト組だが、プロデューサー(=プレイヤー)が彼女を見つけたのは書店だった。

 もう想像できた方もいるだろうが、あまりにこてこてな馴れ初めがそこで行われる。すなわち、二人は偶然にも同じ本をとろうとして、そして顔を見合わせるというあれだ。

 

 二人が手に取ろうとしていた本は(ゲーム内世界で)映画化が発表されたばかりのエンタメ小説。主演を務めるのがルミナスガーデンとは異なる、大手プロダクションの売れっ子アイドルとの情報が公開済みであり、それを理由にプロデューサーは関心を持ったのだ。


 対する鏡花ちゃんは、前々からその小説の作家さんを推していた。エンタメと言っても鏡花ちゃん曰く文芸作品ならではの技巧、ようは言葉選びや比喩表現といったレトリック全般について鏡花ちゃん好みの作家であるという。鏡花ちゃんは成り行きで、初対面のプロデューサー相手にまさしく文学少女らしく弁舌をふるう。そして直後に「し、失礼しましたぁ!」と真っ赤な顔で猛省してその場を逃げ出そうとするのだ。

 しかし、そこで我らがプロデューサー、いや、私が彼女を引きとめる。

 夏目鏡花という十七歳の文学少女に、煌めく舞台で一段と輝く星になれる素質を見出したのだ。

 もちろんと言うべきか、鏡花ちゃんは驚愕し、アイドルプロダクションへの勧誘なんてものは断固拒否の姿勢をその場では見せる。けれど私は名刺を彼女の手にそっと握らせ、真摯に言う。


『君だって本に一目惚れしたことがあるんじゃないか? たくさんある中から、君の目に止まり、心をとらえて離さない、そんな素敵な本に。自分にとって君との出会いがそうなんだ。それに君は、物語のヒロインに憧れたこともきっとある。だろう?』


 ……などと、胡散臭く気障な口説き文句を並び立てると、鏡花ちゃんの表情は驚きや恐れから変わる。夢見る乙女の表情だ。相手が詐欺師じゃなくてよかったね。

 

 私は気がかりになる。なっている。実は少し前から。宮沢円香という少女は、私のどこに惚れたんだろうかと。




 あと五分、戻って来なかったら様子を見に行こう、お手洗いにいるはずだ、いなかったらどうしよう、でも荷物は置きっぱなしだし……等々と不安がっているところに二人が戻ってきた。

 十分も経っていない。そして元の席に座る。私は思わず、柚葉に目配せしたが、彼女は顎で私の隣を示した。無論、そこには宮沢さんがいる。いた、顔を合わせた。


「吉屋さん、ごめんなさい。飲み物のこと、それにスカートのこと」


 頭を下げて、つっかえながらも彼女が謝ってくる。

 ちょっと待て。もしかして私の右隣にいる女は、取り乱してしまったバスケ部女子を物陰に連れていき、私への謝罪を脅迫したのか。いやいやいや、いくらなんでもそんなやつではない……はず。

 顔をあげた宮沢さんの、どこか決心した面持ちに私は固唾をのむ。


「お詫びさせてほしいの」

「えっ」

「土曜日って空いてる?」

「サタデーイズオープン……?」

 

 ぐさっと。背中を小突かれた。プレッシャーを感じる。


「は、はい。空いています。でも、お詫びだなんて、そんな」

「お願い」


 彼女からの熱い視線。私は「わかりました」と言った、のだと思う。記憶が曖昧だ。けれど、私の返答に彼女が微笑んで「ありがとう。また連絡するね」と口にしたのは覚えている。その頬の赤みも。

 そして彼女は先に帰った。気がつけばまた呆けているのは私一人で、柚葉は隣でせっせと地歴のノート作りに勤しんでいた。これはもう、問い詰めてもダメなやつだと直感した。

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