第4話

 宮沢さんから、週末に遊びに行こうと誘われたのは木曜日の放課後のことだった。彼女は部活への顔出し宣言を勝手にして、連絡先の交換を望んできたわけだが、交換した翌日から放課後に図書室へと来なくなっていた。見て確かめてはいないが、十中八九、有言実行しているのだろう。

 右腕の怪我は順調に快復へと向かっているそうであるし、この期間は下半身のトレーニングを重点的に行なっているのかもしれない。そもそもうちの高校のバスケ部がいわゆる強豪なのか弱小なのかも訊かずじまいだった。

 柚葉に我が校の部活動全般に関してそれとなく訊いてみたら「知らない。美術部の連中がまともそうだったら入ったんだけれどね」と嘆息をもらしていた。体験入部期間に何かあったのかな。詮索すると「思い出させないで」とまた言われそうだったので、触らぬ神に祟りなしの精神で言及しないでおいた。


 話を宮沢さんに戻すと、私からすればもう図書室に来ることはないと思っていた彼女が、木曜にふらりとやってきたのだ。

 ちなみにその日は、学校司書は昼までの勤務で既に帰っていた。放課後までいる日のほうが給料は貰えると前に聞いたっけ。無慈悲な人件費カットなんだろう。


「言っていなかったかな。女子バスケ部って木曜は休みなんだ」

「初耳です。クラスの女の子たちや男の子たちと寄り道でもしないんですか。そのほうがこんなところに来るより、あなたにとっては有意義だと思いますが」

「そうかな。勉学に励む高校生という立場をふまえれば読書にこそ価値があるんじゃない?」


 宮沢さんは隣に座らずにカウンターに腰をあずけてそう言った。


「宮沢さん、何も読まずに私と話しているだけじゃないですか」

「青春謳歌のメソッドやシチュエーションは人それぞれだよ。冗談はともかく、この腕だとみんな、気を遣ってしまうからさ。ダーツはギリギリできてもボウリングはできなさそうじゃん」


 どちらともこの近辺でできる場所はないはずだ。それとも隠れ家めいたお洒落なダーツバーにこの子は出入りしていたり、私が知らないだけでお洒落なボウリングバーも存在したりするのか。いや、まずもって高校生がバーはまずいよね。


「じゃあ、カラオケはどうですか」

「私、音痴だからなー。てか、吉屋さん、そんなに私にどこか去ってほしいの? メッセージも一言、二言しか返してくれないし。ボケにはツッコミ入れてくれないし」


 それはそっちにも非がある。面白味のない雑談振ってくるぐらいなら、愛らしい動物や綺麗な景色の写真でも送ってこい。そうしたら反応してあげるのに。自分からねだることはしないけれどね。


「音痴なんですね」

「食いつくところ、そこ? 吉屋さん、人の弱点見つけて喜ぶ人なんだ」

「べ、べつに喜んでいませんから。あれですよ、逆に長所になるんじゃないですか。隙が全然ない女の子が音痴だったら、そのギャップがいいみたいな」

「なんでもできる子が料理だけは下手とか、そういうの?」

「ええ。雷が苦手だったり、小さな虫にも触れなかったり」

「吉屋さんの弱点も教えてほしいな」


 またそんなことを恥ずかしげもなく言いやがる。ちょっとは遠慮してくれないかな。これが敵国同士だったら大問題だぞ。攻め入るのに都合のいい拠点を教えろって言っているのと同義だ。さすがにこれは針小棒大か。


「嫌ですよ。肯定的に置き換えられない短所しかないです」

「そんなことない。どんなマイナスでもプラスに変えてみせる」


 異能力者かよ。


「へぇ……。私って基本、面倒くさがりなんですよね」

「物事に対して慎重に考えたうえでアクションを起こすタイプなんだ」

「毎年、春ごろに花粉症に悩まされているんですよね、私」

「同じく花粉で苦しむ人に共感してあげられる。そこから恋が芽生えるかも!」

「う、運がない。これならどうですか」

「私が傍にいてあげるから、不幸も不運も半分だよ」

「それは違いません?」

「明らかに私が諦めそうなのを選ぶ吉屋さんが悪い」

「否定はしません」


 話が一段落して、私はふと窓越しに外を眺める。閉じられっぱなしであることが多いカーテンは、私が入室したときには開かれていた。

 今日も今日とて朝から雨が降り続いている。六月も下旬に差し掛かったところであるが、まだまだ梅雨の時季だ。私につられたのか、宮沢さんも窓のほうへ視線を向けた。そんな彼女の横顔を私は仰ぎ見た。自然と窓からそっちへ目がいった。

 

 妙な感じだ。

 教室内でクラスメイトたちと楽しげに会話している彼女と、今の彼女はやはりどこか違う。

 もし仮に、次の木曜日には友達何人かを連れてきて、ここでひそひそ話でも始めたら、私はきちんと注意できるだろうか。したことで彼女とその友達はどんな顔をするんだろう。そんなことに思いを巡らせながら、視界に入れた無防備な横顔を綺麗だと感じた。無論、口にはしない。彼女が私の髪を好意的にみなすのと私が彼女の顔を褒めるのとでは違う。何がどうってのはうまく説明できなかった。


「それで本題なんだけれどね」


 私に向き直った彼女がすすすっとカウンターの内側にきて隣に座った。


「本題?」

「天気予報によれば、日曜日は曇りで降水確率はぐっと下がっているの」

「残念ながら、明日どころか今日にでも更新されて、雨マークオンリーになっていてもおかしくないですよ」

「晴れなくても雨が止む時間はあるはず」

「どこかにお出かけするつもりなんですか」

「そうそう。それでね、吉屋さん、日曜空いているかなって」

「いいえ、家でのんびりするという何にも代え難い予定があります」

「そっか。じゃあ、午前十時に駅前集合ね」

「遠出するお金、ありません」

「目的は駅ビルだから。学校最寄りの駅だと勘違いした?」

「説明不足です」


 宮沢さんが言っている駅というのは市内最大の駅で、駅舎と一体になった商業施設のみならず、周辺には高層ビルが立ち並び、娯楽も揃っている。私たちの地域の中高校生が遊ぶとなったら、その駅前か別方面にある大型ショッピングモールかの二択が多い。そんなことは生まれてからずっとここで暮らしている私のほうが、彼女よりも遥かに詳しいのだ。


「あ、もしかして吉屋さんって日曜日はお昼まで眠っている人? だったら、午後からでもいいよ」

「私の都合で宮沢さんたちが遊ぶ時間を減らしたくないですし、ウィンドウショッピングだとかそういうの向いていません」


 マイペースで話を進めていく彼女に私はあくまで冷静に対処する。彼女が来る前から机上に広げてあった本の内容はとっくに頭から抜け落ちていた。


「ほら、勘違いしている」

「十分な説明を」

「誘っているの吉屋さんだけだよ。目的地は大勢でわいわいする場所でもないからさ。小耳に挟んだの、新しくブックカフェができたって」

「ああ、六階の書店に併設してですよね」

「知っていたんだ。もう行ったの?」

「まだです。ですが、改装工事をしていた頃から知っていましたよ」

「でた、得意気な顔」

「し、していません!」

「ね? いっしょに行ってみない?」


 最初からそう誘いなよ、と喉元まで出かかったのを押し込んで私は考える。

 正直、興味はあった。なんだったら近いうちに一人で訪れようとしていた。文学少女としてのステージをあげるために。ただ、懸念があるとすれば日曜日ゆえに人も多いだろうし、ゆっくりできる環境とは思えない。ゆったりと、リラックスした空間であるべきなのに。

 それに、ただでさえ集中できる空間でないと本を読み進められない私が、そんなところで理想的な読書をできる自信がない。カフェ部分を重視した造りだったら、とりあえず読んでいるポーズしておけばいいのかな。よく考えてみれば、ブックカフェって字面に惹かれているだけで普通のカフェとどう異なるか事細かには知らないぞ。


「私とじゃ、嫌かな?」


 黙って考えていると、そんなことを宮沢さんが言う。


「そういう断りにくい文句を言いだす人は好きじゃないです」


 表情と声のトーンまで変えやがって。


「……でも、誘ってくれてありがとうございます」

「じゃあ――――」

「あ、ちょっと待ってください」


 露骨に嬉しそうな表情をされて、尻込みしてしまった。いざ当日になって気まずい空気になるのは勘弁してほしいな。ずっとこの子のペースに振り回されるのも疲れそうだ。


「ええと、もう一人、声をかけてみてもいいですか」

「もしかして星見さん?」

「どうしてわかったんですか」

「だって、仲良しなんだよね。いつもお昼いっしょに出ていくし」

「それはまぁ、事実ですけれど仲良しってほどでは」


 柚葉と休日に遊んだことは一度もない。月曜の放課後に、一度だけお茶して帰ったことはあったが、あいつってば終始、スマホいじっていた。お昼は行儀よく弁当を食べて、私の話も聞いてくれるのにな。……弁当優先ではあるか。


「他の子たちは吉屋さんとは当たり障りのない会話しかしたことないって言っていたし……」

「そんなリサーチしないでください」

「星見さんも本が好きなの?」

「前に訊いたら『普通』って言われました。あと、夏には決まってホラーとSFを何冊か読むって」

「わかる気はするかな」

「怪談話はともかく、SFが夏だと宮沢さんも思うんですか?」

「夏っぽくない?」

「読まないのでわかりません」


 私が覚えている限り、の好きな本の系統にSFってなかったはずだ。だから、あえて読まなくてもいいと判断している。今後の展開しだいでは読むかも。


「それで結局、日曜日は付き合ってくれるってことでいいんだよね」

「そうなります」

「星見さんに断られても、来てくれる?」

「……土砂降りじゃなければ、家から出ることにします」

「ふふっ、ありがとう。楽しみだなぁ」


 そうも純真な笑みを向けられると照れてしまう。この笑顔にころっと射抜かれた男子も多かろう。




 その日の晩、柚葉に連絡してみた。


『バレエ観に行くから無理。デート頑張って』


 そんな返信。「用事」の二語で済ませずに具体的にバレエと書いてきたから、突っ込んでほしいのかなと思って詳細をうかがうと返信が来なかった。「明日、学校で話せばいいでしょ」と暗に言われたみたいだ。


 そして眠りに入る寸前に、そういえばと思いつく。日曜、何を着ていけばいいんだろう。文学少女として。

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