第十八話 昔話は長くなるので、酒が欲しい
薄らと戻ってきた意識の中で僕が耳にしたのは、いやにテンションの高い男の声だった。
「では次の商品ですッ。日本人ハーフであの四井財閥の一人娘、三井=マグノリア=ヴィクトリア。見てください、この高校生とは思えない身体付きを。まずは一千万からッ!」
僕は十字架に括り付けられ、指先に至るまで雁字搦めにされている。この状況じゃ、
「クレハ、さん?」
隣に僕と同じように十字架に拘束されている、クレハさんがいた。
「う、ううん。ハジメ君……ああ。そう、だったわね」
目を覚ました彼女は、自分と僕の様子を確認した後に、力なく項垂れる。全てを理解したと言わんばかりの、その表情。
「私も、売られるのね。最初から、希望なんて、なかったんだわ」
自虐的に笑っているクレハさんに、どんな言葉をかけたら良いのかが解らない。
「もうお終いよ、何もかも。私もあなたも売られて、その先でもっと酷い目に遭うんだわ。私みたいな人間には、こういう末路が相応しいってことなのね」
「簡単に諦めないで」
僕は首を動かして、彼女に視線を送った。
「僕らはまだ生きてる。生きてるんなら、やれることはある筈だ」
「でも何をどうすれば良いのかしら? 具体的に教えてくれる? お互い、身動きも取れないっていうのに」
僕が声をかけても、彼女はずっと気落ちしたままだった。
「やっぱり私には、娼婦がお似合いなのよ。こんな穢された都合の良い女なんて」
「ねえ、一つ聞いても良いかい?」
彼女の呟きが、嫌に引っかかった。あのキョウシが話していた内容にも関わってくることだ。クレハさんが身体を売るのに向いていると、彼らはずっと言っている。その理由に、僕は心当たりがある。僕だからこそある、心当たりが。
「君がずっとそんなことを言っているのってさ、ひょっとして」
「……何度も言う機会を逃してきたけど、もう良いわよね。そうよ、ハジメ君。私もあなたと同じ、子どもが作れない身体なの」
「ッ!」
予想はしていた。覚悟もしていた。とはいえ、僕は驚かざるを得なかった。
「日常生活を送るのには問題はないけど、先天的に子宮に異常があって。子どもを授かれない身体なの。だから私は、ずっと身体を弄ばれ続けてきた。何をしても妊娠しない若い女の身体なんて、とても使い勝手が良いじゃない?」
目に涙を浮かべたクレハさんは、自嘲するように吐き捨てている。
「あなたもそうだと知って、本当は嬉しかった。こんな悩みすら共有できる人がいるなんて、もうこれは運命なんじゃないかって。あなたなら、私と共にあってくれるんじゃないのかって」
僕も一緒だ。この話の確信を得られた今、心底安堵したかのような心地がある。
「でも私は、キョウシに逆らえなかった。あなたに全てを打ち明けて助けを乞うことだってできた筈なのに、できなかった。結局は、言いなりになって。せめてあなただけでも助けられたらって、思ってたのに」
「クレハさん」
「ねえ、話してくれないかしら? あなたの話」
彼女に対して、ずっとはぐらかしてきたこと。ツギコの話にも関わってくる、僕の
「いいよ。僕らの順番はまだみたいだし、僕だけクレハさんの昔を知っているっていうのも、なんか悪いしね」
「ありがとうハジメ君。私ずっと、あなたのことを知りたかったわ」
こちらを向いて嬉しそうにしているクレハさんに対して、僕はゆっくりと口を開いた。自分が昔、何があったのかっていうことを。
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僕はこの時代にはとても幸運なことに、至って平凡な家庭に生まれた。純血の日本人のタカアキ父さんとフィンランド人のメルヤ母さん。父さんはこのご時世には珍しい愛妻家で、母さん以外に妻を持っていなかった。中流階級と呼んで差し支えない稼ぎがあったこの家に、僕は可愛い妹と一緒に生を受けることができた。
「メルヤァァァッ!」
でも僕とツギコを産んだ際の予期せぬ出血で、母さんは死んだ。誰が悪かった訳でもない、とても不幸なことだった。
だけど父さんは、僕らを憎んでいたんだ。最愛の妻の命を奪って生まれた僕らに、最初だから
「よしよし」
いきなり捨てられるようなことはなかった。良心は、まだあったみたいなんだ。でも僕らは、早々に保育園に預けられることになった。今の時代、片親の子どもに対する待遇は手厚いからね。双子ってことはあったけど、そんなに目立つこともなかった。
「お父さん、遊ぼう?」
「仕事で疲れてるんだ。またな」
父さんはずっと、僕らと関わろうとはしなかった。いつも仕事で疲れているが口癖で、家に帰ってもご飯を出して、お風呂に入れてくれるくらい。絵本を読んだり、一緒に遊んだり。そういう親子っぽいことは、何一つなかった。
「僕は将来、ツギコと結婚するッ!」
「わたしもお兄ちゃんのお嫁さんになるっ!」
幸いなことに、父さんがそんな感じでも保育園の教育方針が良かったからか、僕とツギコは順調に大きくなっていった。僕らは仲良しだった。父さんが構ってくれないからこそ、必然的に遊び相手は限られていたからね。
「いつかお父さんと一緒に旅行に行こうっ!」
アニメで仲良し親子を見て、僕とツギコはそんな夢を持っていた。いつか仕事が忙しくなくなったら、父さんはきっと僕たちと遊んでくれる。今は駄目でも、そのうち可愛がってくれる。幼かった僕らは、無邪気に信じてたんだ。
でもそうじゃなかった。父さんは僕らとは、仲良くする気なんてなかったんだ。事がはっきりしたのは、僕らが小学校に入学するくらいのこと。たまたまあった身体検査で、僕の身体に異常が見つかったことが始まりだった。
「この子の精巣には、異常があります。おそらくは、子どもを作れない身体なのではないかと」
「なんでそんな身体なんだお前はッ!」
父さんは僕を怒鳴り散らすようになった。幼い僕には、意味がわからなかった。普通に生きているし、苦しいこともないのに、ずっと病院へ通わなければならなかったこと。医者の話を聞く度に、父さんが僕を怒ることも、全部。
おそらくなんだけど。父さんは僕を表立って嫌う理由ができたって、喜んでたんじゃないかって思う。母さんを死なせた僕らが憎いっていう、本心を出さずに嫌えるんじゃないかって。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
僕はずっと父さんに虐待を受けていた。使われてたのはモデルガン、ライトニングホークだ。元々父さんはサバイバルゲームが好きで、よく遊びに行ってたらしい。母さんが死に、僕らの面倒を見なければならなくなってからは、さっぱり行かなくなっていた。使われなくなったモデルガンは、僕を撃つのに使われた。息子に容赦なくプラスチックの弾丸を撃ち込む時の父さんは、ずっと笑顔だった。
「どうしてそんな身体で生まれてきたんだお前はッ! 子どもができないなんて、どうやって生きていくんだ? 一生独身の奴がどういう目で見られるのかって、解らないのかッ!?」
「あ、あ、あああっ」
ずっとずっと、撃たれていた。絶え間なく打ち続けられる弾丸が怖くて、笑っている父さんが怖くて。僕の中で何かが弾けそうになった、ある日。
「やめてお父さんっ!」
僕らの合間に、ツギコが割り込んできた。両手を広げて僕の前に立ち、涙ながらに叫んでいた。
「お兄ちゃんが痛がってるの、お願いやめてっ! いつものお父さんに戻ってよっ!」
「うるさいッ! 俺は今、不出来な息子に教育してやってんだッ! だいたいいつもの俺だって? 俺はお前らが心底嫌いなんだよッ! お前らが生まれたからメルヤは死んじまったッ! 今まで仕方なく世話してやってただけだったってのに……本当の俺も知らない癖に、知ったような口を聞くなッ!」
「「っ!?」」
僕らはそこで初めて、父さんの気持ちを知った。本当は僕らを愛してくれているんじゃないかっていう期待を、粉微塵に打ち砕いたその言葉。ツギコと二人して、呆然とするしかなかった。
「そうだ、ツギコ。教育の邪魔をするお前も悪い子だ。悪い子には、お仕置きしないといけないよなぁ?」
父さんはライフル銃に持ち替えると、その銃口をツギコへと向けた。僕がハッと気がついた時には、父さんは引き金を容赦なく引いていたんだ。
「死ねェェェッ!」
「あぐぐぐぐっ!?」
「ツギ、コ?」
僕の目の前でツギコは撃たれた。身体中にプラスチックの弾丸を受けて、仰反るように倒れていった。僕にはそれが、酷くゆっくりなものに見えていた。
「あ、あああッ」
毎日のように受けていた虐待。明かされた父さんの本心。今、目の前で倒れていく最愛の妹。全部がごちゃ混ぜになって、僕の視界がねじ曲がっていって。はっきりと見えたのは、宙を飛び交っていく無数の弾丸だけ。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
僕の右目に
「【
「グハッ!?」
僕が初めて撃った相手は、父さんだった。
「えっ? ぼ、僕、今、何を?」
「う、う、動くな化け物ォォォッ!」
父さんは脇腹を抑えながら、ライフルをツギコに向けていた。自分でやったことすら分かっていなかったが、僕は慌ててもう一度父さんに右の人差し指を突きつける。
「やっぱりお前なんか生まれてこなければ良かったんだッ! 次は俺まで殺す気なのか? もう一回撃ってみろ、ツギコがタダじゃ済まないぞッ!?」
撃たれたショックで父さんは完全に錯乱していたと思う。それは僕も同じだった。父さんを撃ったことへの困惑。意味不明な力に目覚めたことへの戸惑い。ツギコを人質に取られた焦り。様々な感情がない交ぜになって、まともに考えることなんかできなかった。僕が考えていたのは、たった一つ。
(父さんか、ツギコか)
選ばなければならない、という意識だった。もう少し冷静に考えれば、手立てはいくらでもあったとは思うけど。幼く、精神的にも不安定だった僕は、目の前に突きつけられた、どちらかを選ぶことしかできなかった。
困惑しながらも、僕は今までのことを思い返していた。走馬灯のように思い出が過ぎ去った後、やぶれかぶれのような勢いで僕が下した決断は。
「う、ううん。お、お兄ちゃ」
「【
「ガッハッ!?」
ツギコだった。良くしてくれた思い出の少ない父さんと、いつも一緒にいたツギコ。幼い僕がどちらを選ぶかなんて、明白だった。父さんは僕の放った生命力(イド)の弾丸を胸に受けて、ゆっくりと倒れていく。
「い、い……いやぁぁぁああああああああああああああああああああああっ!」
頭を両手で抱えたツギコが、絶叫した。彼女の額には、白い紋章が浮かんでいた。
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