第25話――SOS

「……通らなければいけないって……あの化け物の傍を……?」


 銀ジャンパーを着た小太りな無精髭面の男は、その場で目を見開き、たじろいだままだ。

 隣にいた同じ上着を着た茶髪で長髪の女性が茫然としながら、


「……絶対、無理じゃん……」


 そう呟くと同時に、全身の力が一気に抜けるようにその場で両膝をついた。

 すると、

 

「開けてくれ!」


 もう一人の銀ジャンパーの男が振り返り、突然、ドアを激しく叩き始めた。


「俺はこんなとこで死ぬわけにはいかないんだ! 妻と子供が家で待ってるんだよ!」


 黒髪で黒縁眼鏡をかけた三十代くらいに見えるその男は悲痛な声を部屋中に轟かせた。


「誰か―――! お願いだ! 助けてくれ!」


 すると、その声に反応したのか。

「ドン!」という大きな震動と共に、全員が振り返った。


 さっきまで奥に潜んでいたその巨大な唇が、再びガラス窓に張り付いたかと思うと、次の瞬間


「キィィィ――――――――」


 と、おおよそ聞いたことのないような甲高い鳴き声とともに、その獣のような獰猛どうもうな歯茎をガラス越しに露わにした。


「ひっ!」


 全員が慄いて仰け反り、小太りな男はその場で尻餅をついた。

 黒縁眼鏡の男は怯えるようにドアの方に顔を向け直すと、今度は足を交えながらさっきより乱暴にドアを強打し続けた。

 その背後にいた白人青年が思わず声を上げて制止した。


「よせ! を余計に興奮させるだけだ!」


 後ろから彼の肩を掴み、ドアから引き離そうとすると、


「うるせぇ!」


 その言葉と共に勢いよく彼の腕を振り払うと、抑えきれない怒りをぶちまけるように部屋中に響き渡る声を張り上げて激昂した。


「じゃあ! どうしろってんだよ! ああ!? あんたが俺の命を助けてくれるのか! 何か策があるのかよ! 二歳になったばかりの娘が俺の帰りを待ってんだよ! この野郎! スカしたつらしやがって!」


 感情剥き出しの反駁はんばくに白人青年は言い返せず、思わず視線を床に逸らした。


「……そうだ」


 茫然と床にへたり込んでいた小太りの男が、何かを思い出したように白人青年の方を向いた。


「あんた……パソコン持ってただろ?」


 青年の表情が途端に強張ったものに変わる。


「……そうよ……それで、警察に通報できるじゃない!」


 膝をついた女性が生気を取り戻すように床から跳ね上がりながら、語尾のトーンを上げた。


「なんで早く気づかなかったんだ!」


 そう言うと同時に、黒縁眼鏡が白人青年の方へ詰め寄って行った。


「そのパソコンをよこせ!」


 瞬く間に白人青年は銀ジャンパーを着た男女三人に取り囲まれた。


 少し離れた場で、戦々恐々とした顔つきのハンサムボーイと、全く無表情のネイビージャンパーの男が何もできずに、ただ状況を見守っている。


 銀ジャンパー三人の刺すような視線に抗えないように、白人青年は鼻からゆっくりと息を吐くと、観念したようにリュックを背中から下ろした。

 ジッパーを開け、渋った様子でノートパソコンを取り出そうとした。

 すると、


「早く貸せ!」


 黒縁眼鏡が横取りするように引っ手繰ると、管制室の操作盤の上にそれを置き、ラップトップを開いて、すぐさま電源ボタンを押した。

 白人青年は諦めたようにただ成り行きに身を任しているように見えた。

 その横顔を筋肉質なハンサムボーイが不思議そうに見つめる。


「早くちあがれ! 早く!」


 黒縁眼鏡男を両脇から挟むように銀ジャンパーの男女が、その画面に吸い寄せられた。


「……! 来た来た来た!」


 小太りの男が思わず裏返った声を上げた。

 馴染み深いOSの画面になるや否や、


「インターネットに繋げて!」


 茶髪の女性が金切声のような声を上げる。


「これだ!」


 黒縁眼鏡がその誰もが知る四色のアイコンをダブルクリックした。

 途端に画面が真っ白になり、全員が息を呑む。


 しかし、その直後、三人の希望をいとも簡単に打ち砕くようなが目の前に表示された。


『インターネットに接続されていません』


 声も出せずに、三人揃って茫然自失になる。


 互いの息切れのような呼吸音がはっきりと聞こえる。


 黒縁眼鏡の男は唾を呑み込むと、


「そんなはずはない!」


 いち早く視界から、を宣告するようなそのページを葬り去りたいかのごとく右上の『×』をクリックすると、今度は悪あがきのようにクリックを何度も繰り返した。


 押しすぎてパソコンの情報処理力が追いつかないのか、真っ白な画面が表示されたままフリーズした状態が続く。


「……頼む……」


 黒縁眼鏡の男が目を見開いたまま画面にかじりつく。


「繋がって……」


 両脇の男女は懇願しながら両手に汗を握っている。

 十秒近く経過した後だった。


 その見慣れたが出た瞬間、


「きた――――!」


 三人が一斉に歓喜の声を上げた。

 すると、ここぞとばかり黒縁眼鏡が振り返り、


「やっぱり、核爆弾がどうとか、嘘だったんじゃねェか! ざまぁみさらせ! このほら吹きが!」


 白人青年とこの部屋に入ってからまだ一言も発していないネイビージャンパー男に向かって、容赦ない非難の声を浴びせた。

 すると、茶髪女性が呼び戻すように黒縁眼鏡の肩を必死に叩いた。


「そんな事より早く! 警察のホームページを!」


 その声で我に返るように彼は画面に向き直る。


「あ……ああ! 警察、警察! 警視庁……!」


 興奮と焦りで手が震えながらもその三文字の名称を何とか検索欄に入力すると、必要以上に力を込めてエンターキーを押した。


 その直後、白バイに乗った警官達が横一列に並んだホームページのトップ画面が表示された瞬間、


「よっしゃあぁぁ――!」


 まるで母校の野球の試合を観戦しているかのごとく、三人は男女構いなしに互いの肩を掴み合った。さっきの失望が嘘だったかのごとく、彼らの目には希望が満ち溢れている。


「メールアドレスは……! ご意見、問いあわせ……これか!」


 そのアドレスを躊躇ためらいもなくクリックすると、自動的にメール作成画面が表示される。

 ふと、アドレス入力箇所を見て気づいたように、


「おい! あんたのアドレスは!?」


 黒縁眼鏡が態度を一変させ、責めるような上から口調で、また白人青年の方を振り返った。

 キャップを被った彼は浮かない表情のまま口を開く。


「……カーソルを置けば自動的に出てくる」


 すぐさま言われた通りにすると、


「おし!」


 左手でガッツポーズを作ると、矢庭やにわに黒縁眼鏡は表題のところに文章を書き連ね始めた。


『助けてください! 大勢の人が城のような建物の地下に監禁されています!』


 その文章をそのままCtrlとCキーを同時に押して本文にコピペするや否や、はやる衝動を抑え切れず、そのまま『送信』ボタンをクリックした。

 黒縁眼鏡はその場で立ち上がり、両手で握り拳を作りながら


「やってやったぞ――! ざまぁ――みろ! ははは!」


 ドヤ顔全開で再び白人青年の方を振り返った。

 その両脇で小太り男と茶髪女性が狂喜乱舞する。

 互いにハイタッチをしたり、男女の躊躇ためらいもなく強いハグを交わしている。


 その直後だった。


 突然、小太りの男の顔から、笑みが消えた。

 

「……どうしたんだ?」


 いきなりの豹変ぶりに、黒縁眼鏡が訝しげに問いかけた。

 すると、男は焦点の合わない目をしたままボソッと呟いた。


「……つーか、そもそも…………」


 三人の笑みが、死神に吸い尽くされるがごとくまたたく間に奪われた。


 管制室に再び静寂が訪れる。


 部屋の壁にかかった時計の針が、無情にも残された貴重な時間を刻一刻と呑み込んで行く。


 その時だった。


 黒縁眼鏡の男が、自分達を覆い尽くそうとする絶望を懸命に振り払う様に反論の声を上げた。


「……何言ってんだ! 相手はプロだぞ! サイバー担当とか……! よく知らねぇけど……! そういう奴らが、IPアドレスとか、GPSとかで突き止めるだろ!」


 三人のあいだに、何とも言えぬが流れ続ける。

 すると、


「……なるほど……」


「……良かった」


 二人とも崩れかけた気を持ち直したように安堵の色を浮かべて、ほっと一息ついた。

 しかし、三人はまだ画面から離れることができない。

 また時計の針がはっきりと聞こえてくる。

 その緊張を和ますように、小太りの男が引き攣った笑みを浮かべながら、


「チャットじゃねぇからな……。いつ返事くるかわかん――」


 そうフォローしようとしたすぐ後だった。


『ポーン』


 という知らせ音と共に、左下のアイコン部分にメッセージが表示された。

 顔を近づけると、


『新着メッセージが一件あります』


 と表示されている。


「よしきた!」


 驚きと喜びが入り混じったように両目を見開いたまま、黒縁眼鏡の男がそこをクリックすると、即座にメールソフトウェアの画面に切り換わり、メールボックスが表示された。


 一番上のメールだけ未読を表す太い黒字になっている。

『Re:――』と表示されており、返信メールなのがわかると、沈みかけていた三人の士気が一気に息を吹き返した。


『どうかされましたか?』


「警察だ!」


 黒縁眼鏡が背後も憚らず高い声を上げる。


「助かった――――!」


 茶髪の女性が安堵と喜びを取り戻すと、


「安心するのはまだ早い! 早く返信を!」


 小太りの男が、横から厳しい口調で急き立てた。


「わかってる! 今やってる!」


 突然、背後で「ビチョビチョ」と音がし、三人が一斉に振り返った。

 見ると、そのが窓ガラスにへばりつき、黄色のグロテスクな分泌液を出しながらその表面を拭っている。


「……ひぃぃっ! このガラスもいつまで持つかわからない!」


 小太りの男が恐慌に抗うように画面に向き直って叫ぶと、黒縁眼鏡は慌ててタイピングを再開し、切羽詰まった状況を感嘆符を交えながら必死に伝えようとした。


『とにかく助けてください! 今どこにいるのかわからないんです! そちらで場所を特定できないですか!』


 すると、今度はチャットのごとくを置かずに返信されてきた。


『GPSで検索してみます。そのままネットを切らずに』


 三人は今にも堪えきれず爆発しそうな恐怖の声を何とか喉の奥に押し込んで、相手の返答を待った。


『現在地がわかりました』


 その返事が返って来た瞬間、小太りの男が咆哮を上げた。


「うぉ―――! マジかよ! 国家権力マジやべぇ――――!」


「シー!」


 女性が窓ガラスの方を振り返りながら制止するように人指し指を口の前に立てた。

 返信は続いた。

 次の文章を見て、彼らの表情が一瞬にして唖然としたものに変わった。


『今皆さんがいるのは、太平洋の真ん中に浮かぶ小さな島です。より南へさらに百キロ南下したところにある場所です』


 意味がわからず、三人とも頭の中が真っ白になったままだ。


「……ちょ……青ヶ島って……何?」


 女性が視線を泳がせながら呟くと、それまで静観するように口を閉ざしていた白人青年が言った。


「……全員バスの中で寝ていた」


「……え?」


 不意を突かれたように茶髪女性が振り返る。

 青年は銀ジャンパー三人を凝視しながら、さらに言い添えた。


「あんた達もそうだろ? 送迎バスで城に辿り着いた。途中、誰か?」


 三人が困惑したように顔を見合わせると、キャップ姿の彼はようやく取り囲まれている自身のパソコンに近づいて来た。

 彼らの背後から画面を覗きこむと、右下を指差した。


「日付を見ろ」


 三人とも言われるがままに視線をそちらに遣る。


『2023/11/09』


 彼はさらに言った。


「俺が送迎バスに乗った日付は、7の夕方だ」


 三人がポカンと口を開けたまま言葉を発せずにいると、彼は結論付けるように発言した。


「つまり、全員知らず知らずことになる」


 呆気にとられたまま、小太りの男が口を開く。


「……まさか、眠っている間にバスごとフェリーで運ばれ、この島へ運び込まれたとでも?」


 すると、茶髪の女性がはっとしたように目を見開いた。


「バス発車前に、差し入れで配られたペットボトルのお茶……」


 白人青年がわずかに相槌を打つと、繋ぐように言った。


「その中に睡眠導入剤が混入されていた」


 すると、黒縁眼鏡の男が、


「今はそんなことどうだっていい! 早く助けを求めないと!」


 我に返るように、また両指を必死に動かした。


『早く救助を! 時間がありません! ば――』


 そこで思わず文章を止めてしまった。

 『化け物』とタイピングしそうになったのを、すんでのところで食い留まった。


 「ただの悪戯」と思われたら、元も子もないのだ。

 これを逃せば、もはやチャンスはない。

 その先に待っているのは、「死」あるのみだ。

 懸命に頭の中で適切な表現に変換して、タイピング音をさらに大きくする。


『恐ろしい者達に殺されそうになっています! 今すぐ救援を!』


 すると、またを置かずに、


『恐ろしい者とは? 相手は武器や刃物を所持していますか?』


 その問い掛けに目を瞬かせながら、再び指を動かす。


『え……ええ! 刃物を所持していて、一人が刺されました!』


『相手の数は?』


『一人です』


『今犯人は傍にいますか?』


『いいえ! ガラス越しにその恐ろしい姿が映っていて、今は互いに隔離されています。でも、それもいつ破られるかわかりません! いいから早く助けてください!』


 すると、向こうで出動すべきかどうか検討しているのか、数十秒間の静寂が流れた。


「早くしろ……早くしろ……う――! もう何してんだよ! こんちくし――」


 その下品な語尾と被るように、返信のメッセージが返ってきた。


『詳しい場所を特定できました。今からヘリで隊員を派遣いたします。距離がかなり離れているので数時間は要しますが、冷静に粘り強く何とかこらえてください。絶対に諦めないで』


『……数時間……? 二十四時間以内には……?』


 息を呑んで、返信を待つと、


『途中で問題がなければ、確実に到達はできます。それでは』


 メールの遣り取りは、そこで途絶えた。


「やったぁぁ――! これで助かる! 助かるぞ――――!」


 三人揃う様に満面まんめんの笑みで、握り拳を作ると、また一斉に歓喜の声を上げた。


 その光景を、少し離れた距離から、白人青年は強張った表情で見つめていた。

 ふと、視線を感じ、横を向いた。

 無表情のままネイビージャンパーの男がこちらを見つめていた。

 思わずギョッとし、白人青年は瞬きをしながら目線を下へ逸らした。

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