第6話 束の間の安らぎ

 イブナの持ち帰ってきた食料は、想像以上に豊かなものだった。

 食用になる野草や根菜、キノコ、木の実、キジまで二羽捕えていた。


「イブナ一人に任せてすまないな」

「ああ。次はおまえが食料を確保してこい」


 シャンナを一人で洞穴に残す、という選択肢はイブナの中にないようだ。


「俺一人じゃ迷いかねないな」

「なんだ。ヒト族の英雄が情けないな」

「勇者隊は森の中での行動には慣れてないんだ。それにヒト族の英雄はもう死んだ」

「はっ?」


 イブナが怪訝な顔をし、シャンナは声を上げてくすくすと笑う。


「……どうやら二人で話を弾ませたみたいじゃないか」


 イブナは、俺とシャンナの顔を交互に見た。

 シャンナは秘密を共有する者が浮かべるような、いたずらげな笑みを浮かべていた。

 確かに、あの顔を見れば勘繰りたくもなるだろう。


「ああ、まあ……。火を使うなら外のほうがいい。詳しい話は食べながらしよう」


 俺は曖昧にうなずき、イブナの持って帰ってくれた食料を分け持った。

 洞穴の外に出ようとして気づく。


「ん? ネブラタケが混じってるぞ」

「なんだ、苦手なのか?」

「苦手も何も、毒キノコじゃないか」

「少し舌先が痺れるが、毒ということはあるまい?」

「いや、普通に猛毒だぞ。腹を下すじゃ済まない」


 俺とイブナのやりとりを聞き、シャンナが興味深げにうなった。


「なるほど……。ヒトと魔族で、受けつける食べ物に違いがあるのでしょうか」

「調理の前に気づけて良かったが、そういうこともあるのか……」

「ええ。こうしたささやかな違いも、共に生活して初めて分かることですね」


 食の違い、か。

 ささやかなようだが、共生を目指すのであれば、無視できない点かもしれない。

 しかし、イブナはあまり気にかけていないようだった。


「そんなもの、火を通せばすべて問題ないだろう?」

「無茶言うな」


 俺は苦笑し、洞穴の外で食料を選り分けた。

 合わせて三種の野草とキノコが、ヒトにとっては食用に適さないものだった。

 食料を現地調達することも多い、勇者隊の経験がこういうときには役に立つ。

 三人で火を起こし、調理を始めた。

 しかし、俺にもなんだかよく分からない材料も少なくなかった。


 木の根や皮、虫の巣のようなもの、果実の種や芥子粒けしつぶのような小さな実もあった。

 正直に言って、とても食欲が湧くようなものには見えないが……。


「こっちはシャンナ用だ」


 疑問が顔に出ていたのだろう。

イブナが俺に向けて言う。


「おまかせください」


 シャンナはうなずき、手慣れた様子でイブナが持ち帰ったものを点検していく。俺には食料なのかも分からない代物や香草の類、数種の木の実や果実の匂いを嗅ぎ、一部を指の腹に乗せ、舐める。

 そして、携行用の器をいくつも地面に並べ、混ぜ合わせ、木の枝ですり潰した。

 途端、食欲を刺激するような香りが漂ってくる。


「味付け、か」


 俺もようやく、シャンナが何をやっているのか見当がついた。

 どうやら香料、調味料を作っているようだ。

 イブナが俺の言葉を肯定した。


「不思議なものでな。シャンナが二、三の材料を混ぜ合わせたものをかけるだけで、途端にどんな物もうまくなる」

「姉様も味付けを学ばれてはいかがですか?」

「いい。おまえがやってくれれば十分だ」

「もう。そんなことでは殿方にも……」


 そこで、意味ありげに俺のほうを見るのはやめてほしい。

 イブナもシャンナの視線を追い、軽く俺を睨んだ。


「なんだ、おまえも文句があるのか?」

「いや、俺は別に……」

「おまえの隠れ家で食った飯もひどいものだったな」

「お互い、味なんて気にする余裕もなかっただろ」

「ああ。今、初めて思い出した」


 無駄に流れ矢を喰らった心地だった。

 話がはずんでいるとでも思ったのか、「今だ、いけ」と言わんばかりに目くばせを繰り返すシャンナの目線も、正直うっとうしい。


 逃れるように、調理に集中する。

 シャンナのように香料を作るセンスはないが、獲物を食用に調理するだけなら、俺もイブナも長く経験している。

 手早く雉の血を抜き、肉が固まらないよう小刀でさばき、火にあぶる。

 シャンナがそれに、作ったばかりの香料をまぶした。


「本気で旨いな」


 よく焼けた肉を一口かじり、味の違いに驚く。

 まるで魔法のようだ。

 ほとんど野生の食料そのままの肉や野草が、シャンナが味を付けただけで、店で出されてもおかしくないほどの料理に変わっていた。


「だからそう言っただろう」


 なぜか、当の本人よりもイブナのほうが、自慢げに胸を張る。


「ふふっ、一晩寝かせて熟成しなければ味の出ないものもあります。そちらは明日以降を楽しみにしていてください」


 シャンナは材料の一部を混ぜ合わせた後、革袋の中に入れていた。


「この大陸の森は豊かですね。……それに暖かい」


 彼女は感慨深げにつぶやく。

 イブナも声こそ出さなかったが、そっと目を細めた。


 街にも寄りつけず、森や荒野に隠れ住むしかない逃亡生活。

 みじめとも思えたその境遇も、凍れる大陸に生きていた魔族にとっては、豊かなものに感じられるらしい。

 

 ――束の間の安らぎのとき。


 洞穴の中でシャンナが言った言葉が、胸をよぎる。

火を囲み、たわいのない言葉を交わし、食料を分け合う。

 この時間に、たしかな安らぎを感じる自分がいた。

 一人、荒野に隠れ住んでいた頃は、夢にも思わなかったひと時だった。


 しかし、こんな日々をいつまでも続けるわけにはいかない。

 俺は食事をしながら、シャンナと話した三つの指針について、話せる範囲でイブナにも共有した。


 そうするうちに、日も暮れてきた。

 もともと森の中が薄暗かったせいか、あっという間に夜のとばりが降りた気がした。


 俺の話が終わっても、イブナはすぐには何も言わず、シャンナも口を挟まなかった。

 たき火のはぜる音と、獣や虫の鳴き声だけが響く。

 それがかえって、静寂を強調するようだった。


 イブナの横顔を見やる。

 改めて、美しい姿だ。

 たき火が作る光の陰影が、彼女の緑の肌を妖しく映した。


 魔族の女の美しさは、昼間よりも闇の中で凄みを増す。

 彼女を見ていると、そんな気がしてくる。


「マハトさんが今何を考えていらっしゃるか、当ててさしあげましょうか」

「やめてくれ」


 イブナの姿に魅入みいられたのはほんの一瞬のつもりだったが、シャンナには目撃されていた。

 今後の指針を語ったあとに浮ついたことを考えた俺もどうかとは思うが、もとはと言えば彼女のせいだ。

 もちろん「互いをもっとよく知りあうために、イブナを抱け」などと言われたのは、本人には伏せて話した。しかし――、


「なるほど、よく分かった。わたしも共に生きる相手のことは、この身を持って知りたい」

「……イブナ?」

「シャンナ。今度はわたしがこいつを借りるぞ」

「え、ええ。それはもちろん……」


 イブナはやけに意気揚々としていた。


「おまえの調子はどうだ、マハト?」

「……何も問題ないが」

「わたしもだ。魔獣の心血がまだこの身の中に生きているのを感じる。やるなら今しかないだろう」


 イブナはにやりと笑って続ける。


「せっかくだ。もう少し奥に行った先に泉がある。明日早朝、そこで身を清めてからするとしようか?」

「……本気、なのか?」

「ああ、無論だ。シャンナ、おまえも連れていってやるから横で見ていろ」

「え、えええ~!?」


 シャンナの上げた声が、森の静寂を吹き飛ばした。

 声こそ出しそびれたが、イブナの発言に仰天したのは俺も同じだった。


「そ、そ、それはいかがなものでしょう? どう考えても、わたしはおジャマかと思いますが……」

「そんなことはない。手出しさえしなければ、それでいい」

「い、いや、でも……」

「なんだ、姉の雄姿を見たくないのか?」

「え~っと……、見たいか見たくないかで言いましたらとても見たいですけど……」

「それとも、まさかわたしが負けるとでも思っているか?」

「ま、負け……?」


 イブナは俺に向けて挑発的な笑みを浮かべ、きっぱりと言う。


「言っただろう。妹の件が片付いたら、わたしと立ち合え、とな」

「立ち……」

「……合い?」


 シャンナがぽかんとした顔をしているのが見えた。

 たぶん、俺も同じ表情だろう。


「ああ。山中で受けた屈辱を返してやる」


 イブナは、俺たちの胸中には気づいていない様子だった。


「まあ、そんなオチだろうとは薄々思ってましたけどね。ほんとに姉様は姉様です……」


 シャンナはがくりと肩を落とし、ぶつぶつと言っていたが……。

 俺としては、望むところだった。


「いいだろう。俺も“暁の魔将”の実力を、この身を持って感じてみたかったところだ」

「その名はわたしも捨てた。しかし、一人の戦士として、おまえに吠え面をかかせてやろう」

「そちらこそ、多少の怪我は覚悟してくれ」


 メスのグリフォンを一人で仕留めた、イブナの姿を思い出す。

 彼女の強さをこの身を持って感じられると思うと、戦士としての血が騒ぐ。

 もちろん俺も、簡単に負けるつもりは毛頭なかった。

 笑みを浮かべながらも睨み合う俺たちの姿に、シャンナがそっとため息をついたのが、ちらりと見えた。


「……お二人が楽しそうで何よりです」

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