第5話 黒竜王召喚

 ――妹のシャンナが生け贄にされかけている。


 イブナがそれを知ったのは、忠義ある部下からの密告によってだった。

 氷の大陸に残したはずのイブナの妹、シャンナを見た、という。


 彼女は、魔族たちがこの大陸に築いた神殿に連れていかれようとしていた。

 それを知ったイブナは、担っていた軍務をすべて、即座に捨てた。

 取るものも取りあえず、単身、シャンナの連れ去られたという神殿へと向かう。

 妹を救い出す。

 それ以外、何も考えられなかった。


 無論、許可なく戦線を離れるのが軍規違反なのは、人間も魔族も同じだ。

 だが、イブナが犯したのはそれ以上の反逆だった。

 神殿の警戒は厳重で、秘密裡に妹を連れ戻すことはまず不可能だった。


 考える猶予は残されていない。

 妹のため、すべてを投げうつ覚悟を決めるのに、さして時間はかからなかった。


 イブナは結局、正面突破を選んだ。

 見張り役についていた妖魔たちを、自らの手で斬り捨てる。

 そこから先は無我夢中で、百戦錬磨の彼女ですら、何があったのかよく覚えていないという。

 同族の魔族も、何人も手に掛けた。

 たった一人で――。


 そこまで話を聞き、俺は自身のことと重ね合わせずにはいられなかった。

 戦いのために、罪もなき同族を犠牲にする。

 俺もそれに耐えられず、かつての仲間たちと戦った。

 それが正しかったとは、今でも思えない。

 結果的に、俺の行為は、いたずらな犠牲を増やしただけなのだから……。

 けれど、もしあの時に戻ったとしても、俺は同じことをするだろう。

 そうとも思う。


「妹は救い出せたのか?」

「……ああ。自分でも何をどうやったのか、思い出せないがな」


 イブナの回想は続く。

 立ちはだかる者を斬り、破壊力の高い魔術も惜しみなく使い……。

 気づくと、妹のシャンナのもとまで奇跡的にたどり着き、彼女の手を取って走っていた。

 曖昧な記憶の中、生け贄の祭壇の様子だけは、妙にはっきりと覚えていた。


 円形をした黒曜石の祭壇。その最上にシャンナは気を失い、身を横たえていた。

 周囲には不気味な光を宿した四色の宝玉が捧げられ、暗闇に浮かぶ瞳のように輝いていた。

 魔力によって生み出された青い炎が、複雑な紋様を形作っている。


 魔族たちがシャンナの命と引き換えに召喚しようとしたのは、黒竜王と呼ばれる幻獣だった。

 魔王軍の中の誰も、その実物を見たものはないという。

 それだけ、召喚には絶大な魔力を持った生け贄が必要なのだ。

 召喚者には絶対服従のはずだが、伝承によるなら、その力は現在世界に存在する最強の竜族である、古代竜以上だという。

 その強大なる幻獣の力を持って、手っ取り早く人類を滅ぼすつもりだったようだ。


 もし、そんなモノが召喚されたとしたら、人類の脅威となることは間違いない。

 だが、近衛騎士隊長マルキーズが策謀を巡らせるまでもなく、目に見える脅威に人々の団結力が強まった可能性もある。

 高度な知性を持ち、交渉も通じる魔族相手ならともかく、殺戮と破壊だけを目的に呼び出された竜を目の当たりにすれば、戦う以外の選択肢は他にないだろう。


 結局のところ、魔王軍にとって黒竜王の召喚が上策であったかどうか、分からずじまいだった。

 イブナが妹の救出に成功したからだ。


 だが、イブナとシャンナの苦難が始まったのはここからだった。

 様々な利権や思惑が絡まり、一枚岩になれない人類とは対照的に、いままで、魔王軍を裏切る魔族は存在しなかった。


 氷の大陸以外で、魔族が生きるために必須となる魔核コア

 そのすべてが、魔王軍によって創り出され、管理されていたからだ。

 魔核には、魔王軍の術士が遠くから魔力を送るだけで破壊できる呪法が組み込まれていた。

 心臓を人質に取られ、相手の掌中に渡しているようなものだ。

 魔王は、必要とあれば、いつでもそれを握りつぶせる。

 ゆえに、大陸に侵略する魔族にとって、魔王軍への裏切りは死と同義だった。


 イブナは、その禁を犯した、初めての魔族だった。

 当然、イブナとシャンナの魔核は破壊された。

 追手の目を逃れ、魔族の占領地から脱出したものの、そこはヒト族の住まう地。

 高位の魔族であるイブナがすぐに衰弱死することは無かったが、想像以上に乱魔の病は過酷だった。

 暁の魔将なら片手で相手取れるようなごろつきたちに殺されかけていたのだから、その苦しみは想像するにかたくない。


 より深刻なのは妹のシャンナの方だった。

 元々、異常なほどの高い魔力を制御できずに苦しんでいたのだ。

 乱魔の病に冒されてからのシャンナは、見るも耐えがたい状態だった。


 自力で寝起きすることも叶わず、ずっとイブナが背に負い続けていたが、その背から伝わる鼓動も吐息も、日に日にか細くなっていく。いつ絶命するかも分からないという。


 自身、立って歩くのも困難なほどの病に冒されながら、妹を背に負い、走り続けるイブナ。

 その姿を想像すると、胸に迫るものがあった。

 魔族はそろって残虐、冷酷無比で情愛などというものとは無縁。

 人間たちにはそう信じられていたが、それが敵対する種族に対する偏見でしかなかったのがよく分かる。


「それで、その妹はいまどこに?」


 俺が問うと、イブナは苦悩の面持ちでうつむいた。


「ヴィオーラの森、といえば分かるか?」

「ああ。ここから南に半日くらいのところにある森林地帯だな」

「そこに洞穴を見つけて、寝かせている。入り口には封印の術を施した。……少なくとも人間の野盗や魔物程度に破れる術式ではない」


 やはり、イブナの口調は苦しげだった。

 妹を離れた場所に置いてきたことに、断腸の思いであっただろうことが伝わる。


「なぜ?」


 なぜ、イブナが妹と離ればなれになってまで、単身このブルガオル平原までやってきたのか。

 そう聞くつもりで、俺は短く問う。


「……それしか妹の命を救う方法が思い浮かばなかったのだ」


 イブナはしぼり出すような声で言う。


「どういうことだ?」


 イブナはすぐには答えなかった。

 意を決したように居住まいを正し、頭を下げる。


「頼む、マハトよ。ヒト族にとってなんの益もないことを承知の上でのお願いだ」


 顔を上げ、俺の目をまっすぐ見て、懇願した。


「どうか、わたしが、魔獣グリフォンを狩るのに力を貸してほしい!」

「グリフォン……だと?」


 その意外な依頼に、俺はすぐには何も返答できなかった。

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