第3話 ワクワクドキドキ初登校日

 ☆☆



 星花女子学園に通うにあたって、天王寺 結にあてがわれた住処すみかは、JR東海道本線のターミナル駅『空の宮中央駅』前にそびえるタワーマンションの最上階だった。ちなみに部屋数は6LDKあり、ガラス張りの風呂場からは空の宮市を一望することができる。


「なかなかこじんまりとしていて居心地がいい部屋ですわね」


 引越し早々リビングの革張りソファに腰を下ろした結はそう呟いた。


「お父様のギラギラとうるさい城のような住まいや、お爺様のだだっ広いだけの古臭い和室とは大違いですわ」


 すると、傍らに立っていた御幣島が大きな窓の外を指さしながら口を開く。


「お嬢、あちらが『天寿てんじゅ』の本社ビルでございます」

「……天寿? あぁ、確か星花女子学園を運営しているという複合企業ですわね」

「元々破綻寸前だった学園は、天寿が買収して経営に関わってから実績を出し始めたとか……。勝のオヤジも、たけるのアニキも、その経営手腕には興味を示しておられます」


 ちなみに、猛というのは結の父親である。普段は多忙で色々な場所に飛び回っており、結自身彼と面と向かって話した記憶はほとんどないほどだ。勿論、父親としてなにか愛情を注いでもらった記憶もないので、結にとっては祖父の勝が父親代わりだった。


「化粧品、食品、物流、コンビニエンスストア、そして最近ではアパレルブランドの伸びも著しいとか。……なるほど、つまりお爺様は天寿に探りを入れるつもりで私を送り込んだのですわね?」

「表向きは友好の意思表示でしょうが、恐らくは牽制けんせいの意図があるのかと」


 新幹線の新駅ができることで開発が進む三重県北部、つまり中京圏と関西圏の中間地点あたりで、中京圏で勢力を広げる天寿と、関西圏を根城にしている天王寺グループが合同で巨大アウトレットモールを建設する計画を発表したのはつい最近のことだ。両巨大企業は、そこを緩衝地帯として、お互い様子見をしている段階なのだろう。『オトナの事情』の匂いがプンプンする。──と、結は眉をひそめた。



「天寿の経営陣には一度交流会の席でお会いしたことがありますわね。理事長はとても聡明そうな女性だったと記憶しておりますわ」

「学園には天寿の息のかかった生徒はもちろん、アイドルや女優、市長や県議の娘、その他にも各方面に影響力の強い人間が多く在籍しているようです。──要注意人物のリストはここに」

「はぁ……最初から『要注意人物』なんて決めつけていては友達なんてできるはずもありませんわ」


 御幣島に差し出された紙の束をパラパラとめくりながら、結はため息をついた。しかし、御幣島の表情は険しい。


「お嬢はもう少しご自身のお立場をご認識されるべきかと。お嬢は天王寺グループの大切な財産で、ゆくゆくはグループを支えていかれる御身おんみ。庶民との友達ごっこに興じている暇はございません」

「『ごっこ』ではなく、本気で友達が欲しいんです。もう、お爺様も御幣島も、私に意地悪ばかり……私はただ、皆と同じように学園生活を楽しみたいだけですのに」

「お気の毒ですが、庶民と同じように過ごすことは諦めていただくしか」

「……」


 結は御幣島を睨みつけながら、ぷくーっと頬を膨らませて精一杯の不満の気持ちを表現した。しかし、結が幼い頃から彼女の側にいる御幣島は慣れており、涼しい表情で流している。



「──御幣島」

「はい」

「あなたたちは、くれぐれも学園内に立ち入らないように。女子校なのですから、不審者だと思われて即通報されますわよ?」

「心得ておりますよ。ですが、学園内でなにかあった際にはこちらを──」


 そう言いながら御幣島が手渡してきたのは、猫をかたどったような、可愛らしいピンク色のキーホルダーだった。だが、もちろんそれがただのキーホルダーでないのは結もよく分かっている。この裏には小さなボタンが仕込まれており、非常通報装置と発信機の役割を果たすようになっている。結が天王寺グループの保護下を離れて1人で行動する際には必ず持たされていたものだった。

 もし結が誘拐でもされてしまったら、冗談抜きで御幣島の首が飛んでしまうだろう。だが、裏を返せば大切な孫娘を託すほどに天王寺勝は御幣島を信頼していたし、御幣島自身もその信頼に応えようと必死だった。

 結は再びため息をつく。


「はぁ……分かりましたわよ。くれぐれも慎重に行動するようにいたしますわ。無用な争いやトラブルを避け、しっかりと務めを果たして参ります」

「それでこそお嬢です」



 ☆☆



 ──だというのに。


(どうしてこうなってしまいましたの……)


 翌日の登校早々に、結は例のキーホルダーを使うかどうか考えざるを得ない状況に陥ってしまった。新たな学園生活に向けて、期待に胸をふくらませて校門をくぐった瞬間に、何者かから無遠慮な視線を向けられているのに気づいたのだ。

 結自身、好奇の目を向けられることには慣れているし、大勢の視線を集めることについて恥じらいの感情などは抱かないのだが、今日のこれはわけが違った。

 背筋がゾワッとするような嫌な感じ、全身を生温くてヌメヌメとしたもので舐め回されているようななんとも言えない不快感を感じたのだ。


(これが、『ストーカー』というやつですの?)


 結は自然に歩くスピードを上げる。短い足を一生懸命動かして、かつ不自然に見えないように、昇降口を目指す。


(振り向いてはダメ、刺激しないように早歩きで昇降口に逃げ込んで──)


 案の定、昇降口は靴を履き替える新入生で混雑していたので、人混みに紛れるようにして素早くローファーを脱ぐと、下駄箱をぐるりと回り込むようにしてストーカーの背後に回り込む結。どんな輩が自分をつけまわしていたのか、確かめてやると意気込んだ彼女の前で、見失った幼女を探してキョロキョロとしていたのは、身長180cmは超えていそうな大柄な女子高生だった。スタイルは抜群で髪は茶色に染めており、間違いなく美人と言える容姿だった。


「満点幼女っ!」


 結の気配に気づいたのか、彼女は振り返る。その瞳に見つめられて、結は蛇ににらまれた蛙のように縮み上がってしまいそうになったが、辛うじてこらえると、務めて落ち着いた声で尋ねた。


「……あなたは誰ですの? どこかでお会いしたことありましたかしら?」


 反射的にロリコンはこう答えた。


「わたくしは神尾 乃慧流。あなたの前世の恋人ですわぁぁぁぁっ!!!」

「……は?」


(何を言っておりますのこの変態は……私に前世なんてないし、そもそもこんな変態知りませんわよ……)


「覚えておりませんの? わたくし、悲しいですわーとほほ」

「あの、白々しいので泣き真似は辞めていただけます? とりあえず、用事がないのであれば私はこれで……」

「待ってください! とりあえず抱きしめてもいいですか?」

「とりあえず抱きしめるってどういうことですか。なんなんですのこいつ……」

「あぁっ! そのゴミを見るように睨みつける目がいいっ!」


 勝手に興奮し始める変態に、さすがの結も呆れ返ってしまった。

 今まで、好奇の目を向けられることや、実家の財産目当てで擦り寄ってくるような人間には慣れていたが、こうもあからさまに性的な目を向けられると、そういう経験が皆無な結は戸惑ってしまう。それでもなんとかまともに返答ができているのは、彼女の肝が据わってるが故であった。

 だが、周囲の人間は結ほど肝が据わっていなかった。気づくと、周りにたくさんいた新入生の一団は、ロリコンに恐れをなして逃げ出してしまっていたのである。


(しまった……これでは周りに助けを求めることができませんわ)


 結は無意識にキーホルダーに触れ、御幣島に連絡しようか迷っていた。

 目の前にはロリコンの変態。しかし、あれだけ警備はいらないと大口を叩いて入学したからには、早々に御幣島に泣きつくわけにはいかない。


「あの、私授業がありますので」

「ではわたくしもご一緒しますわね!」

「あなたにはあなたの授業があるでしょう……」

「いいえ、万事差し置いても幼女優先ですわぁぁ」

「意味がわかりませんが」

「あーもう我慢できません! せめて頭を撫でるくらいなら……」

「嫌ですわ。やめてください」


 ロリコン変態はだらしない表情で両手をワキワキとさせながら、今にも抱きついて来そうである。


(お爺様……申し訳ありません、私は入学早々……)


「こらぁぁぁぁ! 何やってるか貴様ぁぁぁっ!」


 結が覚悟を決めた時。突如として大声を上げながら別の高校生が駆け寄ってきた。腕には腕章。風紀委員だ。


「げっ、須賀野軍曹はシャレになりませんわね……ここは戦略的撤退を……」

「逃がすかぁぁぁっ! 貴様、そうやって下級生に手を出すのは何度目だと思っている? 腕立て伏せが足りんか? ならば今度はスクワットを──」

「きゃぁぁぁっ! ダイエットはしたいですがムキムキになるのは御免ですわー!」

「暴れるなこらぁ! 観念しろぉ!」


 風紀委員は逃げようとするロリコンを華麗な一本背負いで投げ飛ばし、床に押さえつけて鎮圧してしまった。自分よりも背の高い相手にあの立ち回りは相当な場数を踏んでいる。──と、一応武道の心得がある結は感心する。


「助けていただき、ありがとうございました」

「一年生。これから変態に付きまとわれるようなことがあれば、すぐに風紀委員に報告することだ」

「承知いたしましたわ」


 風紀委員にぺこりと頭を下げると、結は気を取り直して自分の教室へと向かったのだった。

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