第五話  ゐねてむしだや

 その日は夕餉を食べ損ね、山橘を活けるのに時間がかかりすぎだ、と鎌売からふくらはぎを棒で打たれたが、そんなのもう、どうでも良かった。


 夢見心地のまま、次の朝も起きた。





 だが、その一日は……、

 嵐のような悪夢が起きた。


 賊にさらわれ、乱暴されかけ、助けてくれた広河ひろかわさまは、赤土の小屋、今ここで下紐したひもを解けと言う。


 広河さまはわらの上に己の上衣をしき、その上に一糸まとわぬあたしを横たえた。



 こんな恐ろしいところで……。

 先程、賊の流したおびただしい血。

 汚れた藁は全部、伊可麻呂いかまろが片付けたが、まだ異臭と、あのおのこの酒くさい、嫌な匂いが、ここには残っている気がする……。


 なぜ、広河さまは、こんなところでお望みなのだろう?

 上毛野君かみつけののきみの屋敷の柔らかい、清潔で、良い匂いの寝床に連れて行ってくれれば良いのに……。


 あたしにそんなに恋した?


 違う。


「気に入った。」


 と言いながら、目の奥は喜びに輝いていない。

 あたしに恋していない。


(昨日の大川おおかわさまはもっと、輝く瞳で見てくれた。

 胸の奥に温かい光がともるような、喜びに満ちた麗しい笑顔で……。)


 広河さまを受け入れながら、あたしはギュッと目をつむった。


(昨日の麗しいさ寝のあとが、まだ身体に残っているのに……。)


 気をつけないと、涙が零れてしまいそうだった。

 しかし、これ以外にどうせよと言うのだろう?

 あたしは家族を下人から救う。

 そう自分に誓ったはずだ。

 それには、今、こうやって広河さまの言う通りにする以外、どうしろと言うのだろう。


(ああ、大川さま……。)


 大川さまの顔を思い浮かべる。

 優しい大川さまのことだ。

 賊の手がついても、あたしを捨てないかもしれない。

 しかし、確証はなかった。


 広河さまがあたしを望んだ以上、大川さまは兄と争うことを選ばないだろう。

 女官をめぐって兄弟で争うなど、地獄になるのが目に見えてる。

 まわりが必死にさとし、止める。

 そしたら、大川さまは、一夜の女官を選べないだろう。

 優しさゆえに。


 だから、今は、広河さまが家族を救うと了承してくださったこと、その一縷いちるの望みを、決して手放してはいけない。

 気まぐれで無しになってしまわないように。

 広河さまが、言動や見た目とは裏腹に、優しく身体を扱ってくれることだけが救いだった。



 終わった。


 これでもう、元には戻れない。

 あたしはしっとりと濡れながら息をつくが、広河さまが、


「まだ。」


 と、また手を触れてきた。


「はい……。」


 と、あたしは従う。


 揺すりあげ、

 揺すりあげ、

 唇を上から這わせ、

 下から這わせ、

 ニ回目であろうと、広河さまは丁寧に、優しさを失わず、あたしを濡らした。

 広河さまの普段の言動や表情は冷たいのに、

 さ寝はこれだけ繊細で、

 こころを感じさせるのは、

 どうした事だろう……。


 顔は笑顔を浮かべず、無口だが、身体がすごく雄弁だ。

 身体はすごく……優しい。


「まだ。」

「え……? はい……。」

「まだ。」

「ええっ……?」

「まだ。」

「嘘でしょう?!」

「嫌か。」

「い、嫌では……。」

「では。」


 広河さまの丁寧さが止まらない。

 舌でおみなの芯を探り当て、餅をきねで打つときのように軽妙に舌先で叩き、餅をうすからねとるように舌先でねぶり回し、唇が優しく吸い上げる。

 大豪族の長男の舌がそんな風に動くなんて、


「ああ、信じられない……っ!」


 あたしは、もう何回も口にしてる言葉を叫ぶ。


 揺すりあげ、

 揺すりあげ、

 浅くきては深く、

 浅くきては深く、

 ねまわし、

 捏ねまわし、

 突き上げては、

 突き上げる。


「そんなにされてはあ、とろけてしまいます……。」


 もう目の焦点があわない。

 こんなに叫び声をあげ続け、

 汗を全身から吹き出させ続けては、

 汗という汗、

 水という水が、

 全て全身から出て行ってしまう。

 干からびて死んでしまう!


 本気でそう思ったとき、


「入ります。」


 と声がし、従者の伊可麻呂が、瓢箪ひょうたんに入った水と、干したすももの蜂蜜漬けを持って来た。

 あたしは戦慄した。


(これが大豪族……!)


 なんという用意の良さ。

 ということは、この赤土の小屋という場所も、広河さまは、あえて選んでいるんだわ……。

 大豪族の考えていることは、わけが分からない…… 。


 広河さまの胸で美味しくすももをいただいてから、やはり広河さまが、


「まだ。」


 と言ってきた。




 もう何度、快楽くわいらくの波を浴びたか分からない。

 広河さまの腕のなかで、叫び声をあげながらあたしが身体をそらした時。


(あっ……!)


 白い鮮烈な光が頭のなかでパッと弾け、あとは星屑ほしくずになって散っていってしまった。

 身体の外に出ていってしまった。


(待って! 行かないで……!)


 大川さまの残滓ざんしだった。


(駄目……!)


 もう駄目だ。

 もうこれでは、大川さまのことを思い出せない。

 大川さまがどのように、あの繊細な手で、あたしの身体を撫でさすったのか。

 大川さまの唇と舌が、どのように甘かったか。


「い、……痛くない? 大丈夫……?」


 と気遣いながら、おずおず進んできた大川さまが、どのようであったか。


 もう頭では覚えていても、この身体は思い出せない。

 もともと、一夜だけの、儚い、蛍の光のような麗しいさ寝だったのだ。

 もう跡形もなく白い光となって、身体から全部出ていってしまった。


 もうこの先一生、大川さまを慕わしく思い返すことはできない。


「ああ─────────ッ!!」


 悲しみがあたしの心を引き裂き、吹き出し、あたしは絶叫した。

 快楽くわいらくの声ではない。

 決してくわいらくの声ではない。

 悲しみの声をあげ、身をよじり、あたしは泣いた。


 おのこには分からない、決して男には分からない。

 身体は潤い、こんなにも広河さまに応えながらも、心は、悲しみにむせび、たった今、悲しみの絶叫をあげていることを。




 おみなは悲しんでいることを……。

 おのこには分からない……。




 その後も広河さまは求め続け、しまいには、あたしは気絶してしまった。

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