第一話  いわがねの

 むすべの  たづきをらに


 いわの   こごしきみちを  岩床いはとこ


 根延ねばへるかど


 あしたには   なげ


 ゆふへには   しの


 白栲しろたへ衣手ころもで


 折り返し   ひとりしれば


 野干玉ぬばたまの   黒髪敷くろかみしきて


 人のる  


 甘眠うまいずて   大船おほぶね


 徃良行羅二ゆくらゆくらに   思ひつつ


 吾睡夜等呼わがぬるよらを  みもあへむかも







 私はどうすれば良いのか、そのすべを知らない。


 岩がごつごつと出た道を、床のように平らな岩が広がるかどを、

 朝には出て嘆き、

 夕方には門を入りしのび、

 涙で濡れた白栲しろたへの衣の袖を折返し、

 一人、ぬばたまの黒髪を敷いて寝床に横たわれば、他の人のように満ち足りて甘く眠ることもなく、

 大船の、ゆらゆらと揺れるように、

 心は揺れてものを思う。

 そうやって私が寝床で過ごす夜たちを、

 幾夜いくよと数えきる事ができるだろうか。






      万葉集   作者不詳





    *   *   *





 乙巳きのとみの年(765年)


 大川、十五歳。

 

 冬。


 ───十二月。


 身を切るような寒さ。

 上野国をくるりと囲む高き山々は、白く雪をいただく。


 の刻。(午前9〜11時)




 ほこがうなり、長い柄が、ガッ、と撃ち合った。

 穂先ほさきが陽光を受け、一瞬、鋭い光をひらめかせながら、

 ピュウ、

 鉾は大きなを頭上高く描く……。



 大川と三虎が、鉾の稽古をしている。

 二人とも背が伸びて、そこらへんにいるおのこより、もう頭ひとつぶん、身長が抜けている。

 主も、従者も、よく鍛えられた、すらりと若木のような身体つきだった。


「ハァ………!」


 大川は気合を発し、

 右足を踏み込み、

 腰を低く、

 右脇に挟んだ鉾から、目にも止まらぬ速さで刺突をくりだした。

 胸、首、左肩、次々と狙い、

 三虎は、長柄で防ぎ、諸刃もろは枝刃えだはで弾き、両手で広く持った長柄の真ん中で防ぐ。

 三虎は猛攻をしのぎつつ、トッ、トッ、トッ、後退あとじさる。

 大川は手古奈てこな(蝶)のようにひらひらと鉾をひらめかせ、後退あとじさる三虎に吸い付くように、逃さない。

 三虎は長柄で大川の鉾を、ガヂィン、と上に思い切り跳ね上げたが、

 

「くっ!」


 大川は三虎が腕を戻すより早く、流れるようにピタリと三虎の首元に、鉾の諸刃もろはの背(刃の横の部分)を当てた。


「うッ……!」


 三虎が片膝をついた。


「そこまで!」


 八十敷やそしきの声が、稽古の中庭に響いた。

 大川は弾む息を、冬の冷気に白く吐きながら、


「また勝ったな。」


 にっこり笑って、鉾をおろした。

 同じく、荒い息を白く吐く三虎は、むっと不機嫌そうな顔で立ち上がり、


「だあッ!」


 天を仰いだ。悔しいらしい。


「はは……。」


 大川は上機嫌に笑い、


「せっかく雪もないし、風も穏やかだ。午後は遠乗りをするか。」


 と言った。




   *   *   *




 さるはじめの刻。(午後3時)



 大川と三虎は、うまやへと、上毛野君かみつけののきみの屋敷の簀子すのこ(廊下)を歩いていた。


「大川さま……、大川さま……。」


 若いおみなの声が聞こえた。

 大川が声に気が付き、振り返る。

 大川の後ろから、三人の蘇比色そびいろの衣に身をつつんだ女官が、叢雲むらくもが湧くように素早くやってきた。


(またか……。)


 三虎はそう思いつつ、簀子すのこの脇にどいた。

 あっという間に大川を取り囲んだ女官達は、頬を赤く染め、互いに目配せしながら、


「これをどうぞ……。」


 真ん中の女官が、うやうやしく赤い実のついた木の枝を一抱え、大川に差し出す。


山橘やまたちばなか。みごとな紅い実だな。ありがとう。」


 大川がちょっと笑って木の枝を受け取る。

 その大川が匂い立つように美しい。

 眉目秀麗びもくしゅうれい

 薄墨で丁寧に描いたような眉。

 切れ長の涼しげな目。

 雪のように白く輝く肌。

 半分だけ下ろした黒髪が、絹糸のように胸下までまっすぐ垂れている。

 清らかな月の、白い光のような美貌。

 恐ろしいことに、三人の若い女官に囲まれても、大川のほうが格段に美しいのであった。


 三人の女官は、


「ほぅ……。」


 とため息をもらし、大川に見とれている。


「さっそく母刀自ははとじの部屋に飾ってもらおう。」


 大川は、おみなにため息をつかれようが、実のついた枝を贈られようが、無頓着だ。

 女官たちは、がっかりした顔をする。


「ンン! ンンン!」


 三虎は強く咳払いをして、じとっとした目で大川を見た。大川が、


「あ……。」


 と三虎を見ながらつぶやいて、


「それと私の部屋にも。」


 と女官達に、にこっ、と笑いかけた。

 三人のおみな達は息を呑み、うっとりした顔でみるみる目を潤ませた。三虎は、


「さあ、もう行かせてくれ。」


 と簀子すのこの横から声をかける。


「あら、いたのね……。」


 と女官の一人が呟き、しらーっとめた表情を、三人の女官全員が三虎に向ける。


(オレは始めからおまえ達のすぐ隣りにいたわぁぁぁ!)


 と思った三虎だが、無表情でやり過ごす。

 女達は笑顔を繕うと、ぱっと大川を見て、


「それでは大川さま……。」

「良き日を。」

「良き日を……。」


 と口ぐちに礼の姿勢をとり、さらさらと蘇比そび色の裳裾もすそ(スカート)をひるがえし、薄桜色の領巾ひれ(スカーフ)を舞わせながら、元来た簀子すのこを引き返していった。

 そしてかどを曲がったところで、


「キャー!」

「やったわ!」

「ふふふ……。」


 と華やかな笑い声が、


「丸聞こえだぞ……。」


 思わず三虎はそう呟いた。

 大川が苦笑しながら、


「母刀自に。半分は私の部屋に。」


 と、三十本はあるであろう、山橘やまたちばなを全て三虎に手渡した。


「はい。」


 三虎は頷き、大川と分かれる。





    *   *   *




 三虎は簀子すのこを歩きながら、


「そりゃおみなどもが放っておかないよなぁ……。」


と独りごちた。


 おみなみたいな優しげな顔立ち。背が高く、すらりとして、いつも穏やか。

 大川さまは、歩いているだけで注目をあび、女官達に熱いため息をつかせる。


 大川さまが直接女官に仕事を与えると、女官が見惚みとれていて、動作がもたつく事がある。


 ───まあ、ほとんどオレが大川さまの身の回りの事はやるがな!


 ふと、これだけ麗しい大川さまの側にいつもいる自分は、おみなの目から見て、どれだけ見劣りするだろう、と考えてしまった。



 於久おく(未来)、恋いしいおみなができても、そのおみなの目も大川さまに向かってしまうのだろうか……。



 そこまで考えて、ぷるぷると三虎は頭を振り、しょうもない考えを頭から振り飛ばした。


 ちょうど大川さま付きの女官が簀子すのこを歩いて来たのを見つけた。


「おい、おまえ。これを宇都売うつめさまへ届けろ。

 大川さまが女官から捧げられた物だ。

 半分は大川さまの部屋へ飾れ。良いな?」

「はい。」


 三虎は吊り目の女官に、山橘を全てバサリと手渡した。

 すぐに来た簀子すのこを取って返し、うまやへと急ぐ。





    *   *   *





 大川が一人でうまやに向かって、庭の木立を歩いていると、ヒソヒソした人の話し声が、繁みの向こうから聞こえた。


(何だ?)


 と不審に思い、繁みの向こうをそっとうかがう。


 繁みの向こうには、兄がいた。









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