第二十三話  亀卜 〜きぼく〜

 卜部うらへすゑ  かめもなきて


 卜問うらとへど


 いも相見あいみむ  たどき知らずも



 卜部座うらへすゑ   龜毛莫焼手かめもなやきて

 占雖問うらとへど

 妹乎相見いもをあひみむ  多時不知毛たどきしらずも




 卜部うらべ(占い師)を招き、亀卜きぼくをしてもらったけれども、あなたにお目にかかる方法がわからない。





     *   *   *






 広場の地面に焚き火がかれる。

 青みがかったつるばみ色(黒)の衣のおのこが、火の前に座る。


 近くに上毛野君かみつけののきみの広瀬ひろせが、従者と盆を持った女官とを従えて立つ。


 左右には、毛止豆女もとつめ(正妻)である意弥奈いやなと、宇波奈利うはなりめかけ)である宇都売うつめが、めったにない娯楽に期待の眼差しを寄せて立つ。

 二人は牡丹ぼたんと月のような美貌で煌々こうこうとあたりを照らしていた。


 二人の息子も、雅楽ががくの衣装から着替え、兄は若竹色、弟は裏葉うらは色の衣に身を包み、それぞれの母刀自ははとじ(母親)の側に立つ。


 見物客がわらわらと取り囲み、輪を作る。


畿内きないで評判の卜部うらべだとよ!」

「なんでも当たるそうだぞ!」


 見物客は好き好きにさえずる。


戊戌つちのえいぬの年(758年、二年前)のえやみはひどかった。」

「来年の実りはどうだ。」


 舞台では、総社そうしゃ神社の巫覡ふげき(巫女)が舞い、祝詞のりとをうたい始めた。




 ───※きりきり 千歳栄せんざいやう 稔歳懩じんさいやう

 百昌賑救ひゃくしゃうしんきゅう 穣穣偈じょうじょうげ や……





「整いましでございます……。」


 四十過ぎの卜部うらべがぼそぼそと喋った。

 広瀬ひろせ泰然たいぜんと口を開いた。


「ひとつ、来年のえやみはないか。」


 卜部うらべ亀甲きっこうを左手で持ち、陰鬱な目でそれを見つめ、ぶつぶつと何かとなえた。

 右手を亀甲きっこうの上で揺ら揺らと動かしたあと、ぽん、と火にべた。


 ジジ、と骨の焼ける音がする。

 すぐに、ピシリ、と亀甲きっこうひびが入った。

 卜部うらべ火箸ひばしで亀甲をさっと取り出し、じっと無言で見つめた。


「大きは無し。」


 周囲に良く聞こえる声で卜部うらべは宣言した。すぐに広瀬ひろせが堂々と言う。


「ひとつ、実りは豊かか。」


 女官が種籾たねもみを卜部に渡す。

 卜部うらべは、ぶつぶつとつぶやきながら、種籾たねもみ亀甲きっこうの上に置き、亀甲の上で右手を右に左に動かした。

 そして、種籾ごと亀甲を火にべた。




 ───明星あかぼしは  明星みょうじょう

 くはや ここなりや……

 




 また、火箸ひばしで取り出し、


おおむね良し。」


 ほーっと皆が胸を撫で下ろす。

 広瀬ひろせの顔も緩んだ。


「せっかく、私の息子二人が大人の名となったのだ。広河、大川、何か好きにうらなってもらいなさい。」


 思いがけない広瀬の言葉に、わあ、と皆が盛り上がった。




 ───今夜こよひの月のだここにいますや……




 十二歳の広河ひろかわが見物客の視線を一身に浴びながら、


「では……、於久おく(未来)、良い跡継ぎに恵まれるかを。」


 と澄まして言った。

 一方、十歳の大川おおかわは、皆の好奇こうきの目に身体を小さくしながら、


「では……、ええと……、於久おく(未来)の妻はどこに住んでいるかを……。」


 と顔を赤くしながら、小さい声で言った。

 あまりに微笑ましいので、皆、なごやかな顔になり、なかには、おほほ、と笑みが漏れたおみなもいた。


「では、お二人とも、髪の毛を一本、頂戴いたします……。」


 卜部うらべの求めに応じて、広河も大川も、髪の毛を一本引き抜いた。

 卜部は慣れた手付きで、二つの亀甲きっこうにそれぞれの髪の毛を巻き付けた。

 卜部は先に、髪が巻き付いた亀甲を選び、呟き、右手をゆらゆら振り、亀甲をき火にべた。


 



 ───明星あかぼしはぁぁぁ  明星みょうじょうはぁぁぁ





 卜部は亀甲を火から取り出した後、先程よりうら読みにたっぷり時間をかけた。




 ───明星あかぼしはぁぁぁ  明星みょうじょうはぁぁぁ





おのこに恵まれるも七日の命。」


 感情のない卜部うらべの言葉に、意弥奈いやなが口を両手で抑えてよろけ、女官達に支えられた。

 意弥奈の肩に手をそえた広河は、卜部うらべを、きっ、と睨みつけた。

 ざわざわざわ! と大きなどよめきが隅々まで広がり、人々は、


「なんてことだ……。」

「あまりに不吉な……。」


 とささやきあった。

 

「バカな!!」


 広河が大声をあげるが、渋い顔をした広瀬に目で制止される。

 もう弟の……亀甲を焼き始めている。

 ざわめきは静まり、皆、亀卜きぼくを固唾を呑んで見守った。





 ───明星みょうじょうはぁぁぁ

 きりきり 千歳栄せんざいやう 稔歳懩じんさいやう 

 百昌賑救ひゃくしゃうしんきゅう 穣穣偈じょうじょうげ や……





 卜部は亀甲の卜読うらよみに、またたっぷり時間をかけ、


秋津島あきつしまに妻はおらず。」


 と言った。

 大川おおかわ宇都売うつめも色を失い、声も出ない。

 ひぃ、と聴衆から悲鳴があがる。その場は凍りついたように静まり、巫覡ふげきの声がやけに響いた。





 ───明星あかぼしはぁぁぁ  明星みょうじょうはぁぁぁ

 くはや  ここなりや……





 広瀬が苦り切った顔で、


「なんとかそのうらを避けるような、吉と為すようなすべうらなってもらえぬか。」


 と卜部に告げたが、おのこかぶりを振り、


「用意してきた亀甲はこれしかないのです……。」


 と淡々たんたんと告げた。

 パン、と土師器はじきを叩き割った音がその場に響いた。

 広河が伊可麻呂いかまろから土師器の椀をもぎ取り、地面に叩きつけたのだ。


迂腐うふ(愚かでくだらない)!!」


 広河は大声でののしり、割れた土師器を踏みしだきながら、一人でその場を去った。伊可麻呂が慌てて後に従う。

 人垣がさーっと割れ、誰も引き止めようとしない。


 大川は、兄が去った方向と、父を代わる代わる見ながら、ひたすら困惑した顔をしていた。





 ───何しかも 今夜こよひの月のだここにいますや……





亀卜きぼくはここまでです。お見送りは結構……。」


 卜部うらべは鬱々とした声でそう告げると、あっという間に亀卜きぼくに使用した亀甲きっこうを全て火にべなおした。

 短い時間でぶつぶつ何事かを唱え、さっと右手を焚き火の上に払った。すると、

 パァーン! 

 と轟音ごうおんぜ、炎が人の背より高く散った。

 火の粉が舞い、口を閉ざしていた聴衆が、自然には有り得ぬ炎の爆発に、


「おおっ!」


 と口を開きどよめいた。





 ───だここに  だここにいますや……





 気がつくと、卜部の姿は跡形もなく消え、火は元通りの高さで通常通り燃え、亀甲きっこうは火のなかで全てボロボロの破片となっていた。





    *   *   *






 父はその場で、亀卜きぼくについて口にしてはならぬ、と皆に厳命した。




 烏飛兎走うひとそう(月日は速く過ぎ去り)、表立ってあのうらを口にする者はいない。

 しかし、あれだけの聴衆の前の亀卜きぼくだったのだ。

 人の口に戸は立てられない……。

 あのうらを、誰も口にしないが、知らぬ者はいない。





 たしかにその翌年、

 辛丑かのとうしの年(761年、大川11歳)はたいしたえやみも流行せず、作物の実りも順調であった。


 しかしその二年後、

 癸卯みずのとうの年(763年、大川13歳)は凶作であり、


 甲辰きのえたつの年(764年、大川14歳)、

 太師たいし太政大臣だいじょうだいじん)、藤原恵美朝臣押勝ふじわらのえみのあそんのおしかつが謀反を起こし、おびただしい血が流れ、世は乱れた。

 兵旱へいかんのため、米価が一石いっこく千銭に高騰こうとうした。豊作の年なら、一石五百銭で取引されるものである。

 もちろん、他の鉄など、あらゆる物も、高騰する。

 食えぬ。払えぬ。私出挙しすいこ(種籾の借金)が返せぬ。

 世が乱れ、百姓ひゃくせいが苦しむ。






 そして乙巳きのとみの年(765年)


 ───大川、十五歳。


 







  ───第一章、完───




    *   *   *



 ※参考……古代歌謡集  日本古典文学大系  岩波書店





 ※著者より。

 次回、登場人物一覧は、おまけがあるので、ぜひ覗いていってね!




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