第二十話  是迩《ぜに》は人の名前

 夏が終わり、上毛野君かみつけののきみの屋敷に、加巴理かはりは帰ってきた。


 兄、竹麻呂は、私を遠巻きに見る。

 会話はない。

 簀子すのこ(廊下)でばったり行きあったら、私が譲る。


「ふん。」


 兄は鼻を鳴らして、こちらに一瞥いちべつもくれず立ち去る。

 従者の伊可麻呂いかまろは、ニヤニヤ笑いながら、私と、とくに三虎をしつこく見ながら立ち去っていくので、対照的だ。

 そういう時、三虎を目の端で捉えると、無表情で───、でも、こめかみがピクピクしている。



 私と兄は、お互いの間に透明の壁があり、違う場所で過ごしているかのような錯覚を得る。

 兄は積極的に、こちらと関わらないようにしているかのようだった。

 特に無茶な要求をされるわけでもなく、叩かれるわけでもなく、不思議と、何事もなく、月日は流れる。


 ───兄の静けさは、得体えたいが知れない。





   *   *   *





 翌年。己亥つちのといの年(759年)

 春。


 十五歳になった葉加瀬はかせが、酉団とりのだんの見習い衛士えじとなった。

 自分の力で、入団の試しの合格を勝ち取ったようだ。


 「えへへ……、久しぶり。衛士、なれたぜ。」


 そう照れたように笑った、鼻がぺちゃんこの葉加瀬はかせに、


「待ってたぞお───! 良く来たな!」


 と布多未ふたみは抱きついた。


「無事だったか。来てくれて嬉しい。衛士として、励んでくれ。」


 と私は笑った。

 去年の冬、恐ろしいえやみ蔓延まんえんした。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷では、三人の下人げにんが黄泉へと下った。

 しかし、えやみ相手としては、まだ被害が少なく済んだほうであろう。さとでは、大勢死んだと聞く。

 葉加瀬はかせの元気な顔が見れて、嬉しい。

 普段無表情な三虎も、


「やっぱり、酉団とりのだんかよ。」


 とつぶやきつつ、へにゃり、と口元を歪めて笑った。そして、さっきより大きな声で、


「歓迎する。……相撲だ。」


 と言った。

 さっそく、布多未と三虎は交代で相撲を葉加瀬はかせととり、二人とも投げ飛ばされた。

 私はそれを微笑ましく見る。


 私は……、見習い衛士と相撲はしない。


 ここはもう、韓級郷からしなのさとではないのだから。

 私の稽古はしかるべき者がつける。

 私は葉加瀬はかせを特別扱いして、遊びで相撲はしない。

 布多未や、三虎は、良い。

 私は、上毛野君かみつけののきみの次男なのだから。




   *   *   *




 月日は流れ。


 庚子かのえねの年(760年)。


 加巴理、十歳。秋。


 ひつじの刻(午後1〜3時)



「ハァイッ!」


 加巴理は気合を飛ばす。

 右足を大きく踏み出し、ぐぅっと身を沈め、麑橐吾げいのつはぶき(毛皮でできた、穂先ケース)をつけた鉾を身の後ろからまわし、左脇腹を通し、石突いしづき八十敷やそしきの脇を急襲した。


「良し!」


 武芸の師は余裕のある声を発し、

 ガン!

 八十敷が両手で持った鉾の柄で、加巴理の鉾は防がれてしまう。

 弾かれ、

 瞬時くうに浮いた鉾の柄を、すぐに引き戻す。

 また背を通し、殺傷能力のない穂先を師にためらいなく叩き込む。

 師は大柄なのに身軽に動き、膝が土にかするほどの低姿勢で、低い一閃をかいくぐった。


 数合、激しく鉾を打ち合う。

 鉾は、刺して良し、切り裂いて良し、長い柄で打って良し、石突いしづきで突いて良し、両刃の左右についた枝刃で引っ掛けて良し、の多彩な武器である。

 とくに、騎馬戦においては、枝刃で、敵方のよろいをひっかけて、落馬させるという便利で、こちらの労力が少ない戦い方に秀でていた。

 危ないから、まだ騎馬での鉾の訓練はさせてもらえないが。

 もちろん、どれも、熟練の技があってこそ。

 そして、師の鉾さばきは、全てを織り交ぜ、疾風のごとく素早い。


 二人のおのこかのくつ(革のくつ)が稽古の中庭の土を、ざっ、ざっ、と削り、土の塊が散る。


「うっ!」


 鉾を振りかぶった隙。

 師の鉾の柄が恐ろしい速さで閃き、加巴理の腹に横一直線に食い込んだ。

 衝撃で足が地面から浮いた。

 派手に後ろにふっとんだ加巴理は、背中で土に着地した。

 ぐぅ、とうめくのと、


「ここまで!」


 師が終了の宣言をするのは同時だった。


「……ふぅ。」


 身体から力が抜ける。

 ゆっくり起き上がった加巴理は、その場で座り込む。


「良い動きでしたぞ。鉾を上に構える時は、もっと、相手の右腕にご注目ください。」


 軽く息の弾んだ師は、にこやかに笑い、


「これからも、今まで通り、型の練習をかかしてはなりません。良いですな?」


 と右手で私を助けおこした。


「はい、ありがとうございました。」


 立った私は、礼の姿勢をとる。


「次は弓ですな。」

「はい!」


 元気に返事をすると、離れて見ていた三虎が、さっと歩み寄り、瓢箪ひょうたんに入った水を私に差し出した。


「どうぞ。」

「ありがとう。」


 瓢箪ひょうたんから水を飲み、乾いた喉を充分に潤す。


 ちなみに、三虎はもう、総角あげまきではない。髪の毛をぴっちりひとまとめにし、後頭部にもとどりを結っている。

 八十敷から送られたという、黒錦石くろにしきいしかんざしを挿している。


 私は、かわらず髪を下半分、胸下に垂らし、上半分、後頭部で小さなもとどりとし、母刀自から頂戴した、銀花錦石ぎんかにしきいしかんざしを挿している。

 鮮やかな白、橙、翠、濁った白が複雜に絡みあい、そこに銀色に輝く花模様が見える、美しい貴石きせきでできたかんざしだ。



 三虎は私から瓢箪を受け取ると、今度は弓と、矢の入ったゆきを私に差し出した。


「どうぞ。」

「ああ。」


 もう三虎は、自分のゆきを背負っている。


 十丈じゅうじょう(約36m)先に立てられた、二つの木の的。

 三虎と並び、矢を打ち込む。

 ビン、弓弦が弾かれる音。

 ピュウ、矢羽が風を切る音が、次々と生まれ、私は唸る。


「うー、まただな……。」


 三虎は五矢、真ん中に命中。

 私は、三矢、命中。二矢は、真ん中からはそれた。


「少しは外してみろ。」


 私は、三虎の額を小突いてやった。


「冗談じゃありませんね。鉾の腕では、負けているんです。絶対、弓では勝ちます。」


 相変わらず、ムッツリした可愛げのない顔で、三虎は淡々と言う。


「もう一度。」


 八十敷が淡々たんたんと言い、近くで控えていた下人げにん是迩ぜにへ顎をしゃくった。

 是迩ぜには、的から矢を抜きにむかう。



 



 そして、弓矢の稽古のあと。

 私と三虎が鉄の剣を撃ち合った、剣の稽古で───、三虎は剣を折った。


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