第十五話  おくそまれ

 加巴理かはりと三虎が、宇都売うつめの生家に向かった日の、翌日。



 上毛野君かみつけののきみの屋敷。

 うしとら(北東)。

 裏庭に、小高い山がある。

 なだらかで、雑草が歩くに困らないほどに、程よく茂っている。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷が一望でき、眺めも良いのだが、小山の中腹に、上毛野君かみつけののきみ御祖みおやの墓があるので、人はあまり寄り付かない。


 そこに今、男童おのわらは二人が対峙たいじにらみ合っている。


「ようく来やがったなあ!」


 と胸をはって叫んだのは、石上部君布多未いそのかみべのきみのふたみ、三虎の兄である。くりんとした目、しっかりした顎、意思の強そうな太い眉である。


「オレだけ呼び出して、どういうつもりだ。ああん? 全部差し出す加巴理さまの腰飾りが! ぎゃーはっは。」


 大声で嘲笑した魚顔は、伊可麻呂いかまろである。


 布多未ふたみ、九歳。

 伊可麻呂いかまろ、十歳。


 布多未は体格が良く、背も高い。伊可麻呂と並んでも、背が追い越すほどであった。

 布多未は、ぶん、と右腕を振り上げて言った。


「よくも、オレの弟をのしてくれたな! オレと勝負だ!」

「はー、バカ言え、このバカ、くそったれ。

 オレは、加巴理さまの兄、竹麻呂さまの乳兄弟ちのとだぞ。広瀬さまが、兄が望めば、弟はなんでも差し出せとおっしゃったんじゃないか。

 オレが憎ったらしいお前の弟をのしたって、当然だろうがよ! ぎゃーはっは!」

「オレの方がおまえより強い! だからこれは、オレとおまえの純粋な勝負だ! 加巴理さまも、竹麻呂さまも、関係あるかよ、おくそまれ!(クソしてきやがれ)」


 そう叫ぶなり、あざ笑い続ける魚顔に布多未は襲いかかった。

 とことん笑ってやろうと思っていた伊可麻呂は、まさか本当に殴りかかってくるとは思わなかったようで、右頬に拳打を叩き込まれた。


「ぎゃ!」


 布多未は草むらに倒れた伊可麻呂にすかさず馬乗りになったが、伊可麻呂も負けていない。ぽかぽか殴り合い、布多未の白藍(うすい藍色)の衣、腰のあたりを掴むと、えいやっと左に放った。

 どう、と布多未が草むらに転がり、もうそのあとは二人で揉み合い、ぽかすか、ぽかすか───。


「そこまでですぞ。」


 布多未は背中襟首をがしっと掴まれ、再び馬乗りになっていた伊可麻呂から引っ剥がされた。

 振り返ると、朽葉叢濃くちばむらごの髭面武人が、自分の襟首を釣り上げていた。


「一人で来いって言ったろ!」


 草むらから起き上がった伊可麻呂を、土がついた顔でばっと睨みつけると、


「だから、バカな奴だと言うんだ。」


 と魚顔はニヤリと笑った。

 つきの陰から、竹麻呂さまもゆっくり現れた。


「謝罪させる。」


 竹麻呂さまは、侮蔑のこもった目で布多未を見、冷たく言った。


「……!」


 布多未は、きつく唇を噛み締めた。

 血の味がした。


 布多未は父である八十敷やそしきに引き渡され、頭に拳骨をくらった。

 八十敷は、


「まことに面目ござらぬ。ご容赦めされよ。これ下僕やつかれ稟性彫りんせいゑがたく。死罪々々しざいしざい。(こいつは生来の鈍才、死罪にもあたる非礼、お許しください。……おおげさに、死罪という言葉を使い謝罪を表すもの。へりくだって言う表現であり、実際の死罪に繋がるわけではない。)」


 と竹麻呂に頭を下げ、伊可麻呂に頭を下げ、───上毛野衛士団長大佐かみつけののえじだんちょうのたいさであり、衛士団全体の頂点である八十敷が、意弥奈いやなが生家から連れてきたにすぎない朽葉叢濃くちばむらごの武人に深く頭を下げた。





   *   *   *





 加巴理かはり韓級郷からしなのさとに来た翌日の朝も、晴天に恵まれた。


 郷長の屋敷の門を出る時は、必ず、祖父と一緒か、そうでなければ、上毛野君かみつけののきみの屋敷から連れてきた衛士、二十八歳の荒弓あらゆみか、二十三歳の老麻呂おゆまろ、どちらか一人を警護に伴うよう、母刀自から言われた。

 二人とも穏やかで、人の良い笑顔のおのこだった。


 その上で、夕餉の時間まで、好きに、たっぷり時間を使って、どこへでも歩いて行って良い、と言われた。


(そんな事を言われたのは初めてだ。)


 私は、驚き、胸がわくわくした。


 さっそく、私と三虎と郷長は、郷長の屋敷の外に出た。どんどん郷を歩く。

 郷の者はすれ違うと挨拶をしてくる。時々、わらはからの、興味津々な視線は感じたものの、遊ぼう、と声をかけてくるわらははいなかった。


 博士は韓級郷からしなのさとに連れてきていない。

 それは、ここでは勉強はしない、という事だ。

 あれほど、毎日、勉強と武芸の稽古に励んできたのに?

 学ぶ事が多すぎて、今まで、上毛野君かみつけののきみの屋敷の敷地内から出ない日だって多かった。


 郷を歩き、人々の生活を間近で見るのは新鮮で、見るもの全てに、ほおっ、と感嘆の声が出た。


 郷長は、鍛冶かじのたたらを見せに連れて行ってくれた。小屋には熱がこもり、鉄がとろりと溶けるのを見た時には、その神秘に目が釘付けになった。


 午後は、三虎と弓を持ち、狩りをした。

 山鳥を仕留めた三虎は、衛士の荒弓が鹿を仕留めたので、


「くっそー。オレだって鹿ぐらい仕留められる!」


 と悔しがり、


「はっはぁ……! いっつもムッツリした顔してるし、生意気なわらはだな!」


 と荒弓に小突かれた。

 おそらく、上毛野君かみつけののきみの屋敷を離れ、衛士も心がくつろいでいるのだろう。

 そう思うと、おかしくて、私は、ふふ、と笑ってしまう。

 私は乎佐藝をさぎ(兎)を仕留め、満足し、観音山くわんのんやまから帰った。






 翌日。

 なんと、一人の衛士に連れられ、布多未ふたみ韓級郷からしなのさとに現れた。

 布多未を迎えいれ、衛士から事の次第を告げられた鎌売かまめは、みるみる憤怒の表情となり、


「おまえって子は……! 父上にも恥をかかせて!!」


 と布多未の耳をつかみ、屋敷内にそのまま引っ張っていき、お尻をださせ、ビシリ、ビシリ、とその尻を打った。

 布多未は涙目になりながら、


「おう、加巴理さま! ……ぐっ。弟よ。……っ。オレも遊ぶの、まぜてください。……うぐっ。」


 と私に向かって笑顔で言うので、大物だ、と私は素直に思った。


 罰が終わり、衣を着直した布多未は、すっくと立って、


「母刀自。弟よ。オレは、け……、け……、けーそつだった。オレたちの誇り高い父上は、オレのせいで、朽葉叢濃くちばむらごのヤツに頭を下げた。オレは、悔しい。ごめんなさい。」


 と、両手の指先を胸の前でつけ、膝を折り、礼の姿勢で、鎌売にむかい謝罪をし、向きをかえて三虎にも謝罪した。



   *   *   *




 三虎は思う。

 オレが、伊可麻呂いかまろに一方的に殴られたからだろ。

 だから、仇をとろうとしてくれた。



 三虎は、加巴理かはりさまの乳兄弟ちのととして、赤ちゃんの頃から、上毛野君かみつけののきみの屋敷で育てられている。

 対して、兄は、二年前、七歳になるまで、碓氷郡秋間郷うすいのこほりあきまのさとの祖父母の屋敷で育てられた。


 実の兄。


 そうでありながら、一緒に暮らした時間が極端に、少ない。

 姉である日佐留売とは、一緒にいる時間が少なくても、三虎は普通に仲が良いと思う。なんとなくだ。


 だが、オレが六歳、布多未が七歳の時、


「これからは群馬郡くるまのこほり群馬郷くるまのさとに布多未を住まわせ、八十敷の稽古をつけさせます。

 加巴理さま、上毛野君かみつけののきみの屋敷で、布多未を見かけることもあるでしょう。お見知りおきを。」


 と、母刀自が上毛野君かみつけののきみの屋敷で、加巴理さまに、布多未と日佐留売を会わせた時。

 布多未のとなりに立った日佐留売からは感じない、


(母刀自を独り占めしやがって。)


 という、チクチクした視線を、三虎は布多未から感じた。

 

 だからあんまり、この兄が好きではなかった。

 でも、今は。

 しっかりとした、布多未の、兄としての感情を感じた。


「オレがやられたから……、だろ。」


 三虎はそう言い、


「ありがとう。兄上。」


 と、もそもそ言って、ぷい、とそっぽをむいた。


「ふっ。」


 兄は無言で、からっと明るく笑った。

 加巴理さまがニヤッと笑って、


「みーとら。」


 と、オレの頭をガシガシ撫でてきた。

 同い年の八歳のくせに、加巴理さまは時々、オレの兄のように振る舞おうとする。


(頭ガシガシは恥ずかしいです。)


 言えない。

 オレは、うう、とつぶやいた。


「加巴理さまも。ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。」


 布多未は真顔で、加巴理さまにも謝罪をした。

 加巴理さまはオレの頭から手を離し、


「うん。」


 と爽やかに笑い、


「八十敷のことはともかく、来てくれて嬉しい。一緒に遊ぼう。」


 と花がほころぶように笑った。







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