第2話

 全ての家事を終え、私はダイニングテーブルに天球儀を置いた。

 時刻は午後十一時。もう寝なくては。明日の仕事に差し支えてしまう。そう思うものの、ペンダントが気になって仕方なかった。


「和子。何だい、それ」


 夫の隆成りゅうせいさんが、テーブルに置かれたペンダントを見て尋ねる。

 私は隆成りゅうせいさんを見上げる。彼が差し出すホットカフェオレを受け取りながら、こう答える。


「雑貨屋さんでね、貰ったの」


「貰った?」


「ええ……」


 支払いをしていないのだから、貰ったという表現が正しいのだろう。だが、魔女から「あげる」と言われたわけでもない。

 自信が持てない私の声を気にしたのだろう。隆成りゅうせいさんは首を傾げるけど、ペンダントに関しては、それ以上何も言わなかった。


「和子、明日も早いんだから、ほどほどにね」


 明日も仕事に行き、フルタイム働き、健一けんいちを見舞い、家事をする。


「ほどほどにって、何……」


 私の口から、醜い恨み言がもれ出た。


「少しくらい、いいじゃない」


 隆成りゅうせいさんは眉を寄せた。


「悪いとは言ってないよ。ただ、ね」


「毎日健一けんいちの元へ行くのは私。その後も家事をして、私が休まる時間なんてない」


 隆成りゅうせいさんだって、毎日のように残業して、健一けんいちの治療費を稼いでくれている。

 わかってる。わかってる、けど。


「もう疲れた……」


 言ってはいけないことを口走ってしまった。

 隆成りゅうせいさんは私に近寄る。そして、私の頬を叩いた。

 パシンと、乾いた音が響く。ジンと頬が痛む。

 隆成りゅうせいさんは怒っていた。両目に涙を溜めて。


「……ごめん」


「……ごめんなさい……」


 隆成りゅうせいさんが謝り、私が謝る。

 リビングは静まり返った。


「…………早めに寝なさい」


 隆成りゅうせいさんはそれだけ言って、寝室へと向かう。

 私は椅子に腰掛けて、写真立てを両手に抱えた。


 写真には、笑顔の健一けんいちが写っている。

 半年とちょっと前、剣道の県大会で優勝した時の写真だ。この頃は、まさかあんなことが起きるなんて思わなかった。


健一けんいち……」


 早く意識を取り戻して。お願いだから。

 そう願い、私は写真立てをぎゅっと抱きしめる。


 その時、ペンダントが輝き始めた。


「……え?」


 さっきまで普通のペンダントだったのに。今やキラキラと煌めいている。私はペンダントに顔を近づけた。

 宝石の中に、何かの影が見える。それに見とれていると、次第に周りの景色が溶けていった。


 部屋は洞窟に変化する。

 空気は湿気を帯びて、ジメジメとしていた。足元には、見たこともないようなおぞましい虫が這い回っている。虫が苦手な私は発狂しそうだった。その場で体を震わせる。


「ケンー、ほんとにここで合ってるのー?」


 洞窟の奥から聞こえた女性の声に、私は振り返る。


「合ってる。俺の勘が、そう言ってる」


「またそれぇ? ま、ケンの勘が外れたことなんてないけど」


 私は目を見開いた。

 健一けんいちがそこにいた。ゲームの主人公のような鎧とマントを着ているけど、健一けんいちに間違いない。


健一けんいち……!」


 私は健一けんいちに走り寄り手を伸ばす。

 けど、私の手は健一けんいちの体をすり抜けてしまった。健一けんいちも、私が見えていないようだった。

 健一けんいちが見ているのは、尖った耳が特徴的な、金髪の女の子。日本人には見えない彼女を目にして、私は混乱する。


 二人は暫く洞窟を歩いた。私は後ろからついて行くしかない。


 やがて、洞窟の最深部に辿り着く。

 開けた空間は、まるで何かを祀っているかのようだった。辺りにはドラゴンを模した石像がいくつも置かれている。


 健一けんいちは、空間の中央へと向かっていく。地面に刺さった剣に近付き、その柄を握る。

 途端に健一けんいちは苦しみだした。電撃を浴びたかのように、体を震わせる。


「ケン、大丈夫?」


 少女が問いかける。

 私も健一けんいちに駆け寄りたい。だが、それができない。あんまりもどかしくて、私はつい唸っていた。


 何なの、これは。私は何を見せられているの。


「惑星のペンダント。今生きている世界線とは別の異世界を覗く魔法具だよ」


 私は振り返る。

 背後には、星降堂で出会った魔女がいた。彼女は私に微笑んでいる。

 もしかして、ここは異世界とでも言うの?


「くひゅひゅ、大正解」


 魔女はさも面白そうに笑う。

 私が見ている景色は異世界のもの。もしそうであるならば、目の前にいる健一けんいちは誰だというのか。


「彼は、君たちの息子、健一けんいち君だよ」


 意味が、わからない。


「でも、私達の健一けんいちは、病院で治療を受けてて……今は動けない体で……」


 私はそう言ってみるが、私の記憶は彼を健一けんいちだと言っている。

 口調も、仕草も、私がよく知る健一けんいちのもの。


「異世界転移って、知ってるかい?」


 魔女は尋ねた。

 異世界転移。現実とは異なる世界に飛ばされること。健一けんいちが好きなアニメの題材に、よく使われている単語。

 え、まさか……


「そのまさか。健一けんいち君は、トラックにはねられた衝撃で、精神だけ異世界転移してしまったのさ。ありふれた話だよ」


 ありふれた? ふざけないで。


「意味がわからないわ。そうよ、今この映像も、あなたが見せているものなのね」


「はぁ、大人とやらは頭が固くて困るよ」


 魔女はわざとらしくため息をつく。まるで、私を小馬鹿にしているみたいに。

 許せない。健一けんいちを使って私をからかうなんて、そんなこと。


「そんなことより、見てみなよ」


 魔女は健一けんいちを指さす。私は言われるままに健一けんいちを見た。

 健一けんいちはなおも痛みを堪えている。が、やがて剣を地面から抜き取ると、それを掲げた。


「すっごい!」


 耳が尖った少女が、健一けんいちに駆け寄る。そして、自分のことのように飛び跳ねて喜んだ。


「すごいよ、さすがケン! 誰も引き抜けなかった、聖剣・エクスカリバーを引き抜いちゃうなんて!」


 健一けんいちはニシシと笑う。その笑い方は、私がよく知る顔。得意げに自慢をする健一けんいちの表情だ。

 私は……私は、涙が堪えきれなかった。ずっと見たかった健一けんいちの生き生きとした表情が、ここにはある。私に向けた笑顔ではないけれど、それでも「生きて」いる健一けんいちの表情を見ているだけで、十分嬉しい。

 健一けんいちは、異世界で元気に暮らしているのね。魔女は、そのことを教えたくて、私にペンダントを寄越したんだ。私は、そう自分に都合のいいように考えていた。

 魔女をちらりと見る。彼女はニッと笑ってこう言った。


「残念ながら、私はそんなにお人よしではないよ」


 魔女はそう言って姿を消す。文字通り、いきなり消えてしまった。

 やがて景色は、霧が晴れるように消えていく。そして私は、いつものダイニングにぽつんと一人だけ。


 今のは夢だったのか、それともペンダントが見せた現実なのだろうか。

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