美食は生きる力です

 カシコちゃんが異世界に来て初めて迎える朝です。用意された居室は冷暖房完備の快適な部屋でしたし、万能型3Dプリンターで製作した羽毛布団はぬくぬくのふわふわだったので、朝までぐっすり眠ることができました。


「おはようございますカシコ様。朝食の支度が整っております」


 指定された朝7時に食堂へ行くとすでに30体のアンドロイドが着席していました。昨晩と同じく5粒の丸薬をコップの水で流し込んだ後、カシコちゃんは立ち上がって声を張り上げました。


「本日は食生活の改善を行うわよ。こんな味気ない食事とは今日でおさらばだあ!」


 どよめく30体のアンドロイドたち。カシコちゃんはさっそく行動を開始しました。まずは農場の視察です。


「こちらが米を栽培している田んぼになります」


 折しも季節は秋。黄金色に染まった稲穂が風に揺れています。


「昨年収穫したお米は全て丸薬の製造に使われちゃったの?」

「いえ、1割ほどはまだ米のまま倉庫に貯蔵されています」

「そう。じゃあ今日のお昼からお米はお米のまま調理して食卓に出して」

「かしこまりました」


 次は小麦畑です。ちょうど種まきが終わったばかりで黒々とした畝が広がっています。


「ここの小麦も丸薬には使わず粉にして調理して今日のお昼から出して」

「かしこまりました」


 それからカシコちゃんはロボ1号と一緒に大豆畑、芋畑、野菜畑、サトウキビ畑、果樹園などを見て回りました。どの畑もきちんと管理されており雑草の1本も生えていません。世話をしているのは30体のアンドロイドではなく農作業専用のマシンなので手入れが行き届いているのは当たり前なのです。そうこうしているうちにお昼になりました。


「さあて、どんな料理に仕上がったかな」


 わくわくしながら食堂に入るカシコちゃん。着席してテーブルの穴からせり上がってきたお盆を見て叫び声をあげました。


「な、何よ、これ」

「米と麦と大豆とキャベツです。その他に栄養を補うため丸薬を1粒用意させていただきました」


 カシコちゃんはがっかりしました。米は玄米のまま、小麦は粉のまま、大豆は生の枝豆のまま、キャベツは葉っぱのままで皿の上に乗っていたからです。


「どうして調理しないの。こんなの食べられないじゃない」

「調理とは何ですか? それに食べられないことはありませんよ。これらは全て食べ物なのですから」

「でも調理すればもっと美味しく食べられるでしょう。それともあんたたちには味覚がないの」

「いえ。我々はほぼ神と同じ機能を有しているので甘味、塩味、酸味、苦味、うま味を感じることはできます。しかしそれらの感覚機能は食物の安全性を評価するためのものです。我々の体に対してはどのような物質も害にはならず、全て活動エネルギーに転換できるので食物の安全性を評価する必要がありません。ゆえに味覚機能は意味を持たず調理の必要もないのです」


 この異世界は人間に優しくないなあと思わずにはいられませんでした。そしてこのアンドロイドたちには一から十まで懇切丁寧に教えてやらなければ何事も思い通りにいかないことを再認識させられたのです。


「いいわ、あたしが調理する。火を扱える場所はある?」

「金属加工室なら加熱器具がそろっておりますが」

「わかった、案内して。あ、その前に工作室に行かなくちゃ」


 調理器具などないはずですからまずはそれらを用意しなくてはなりません。カシコちゃんは万能型3Dプリンターで鍋や釜やフライパンや包丁などを作り金属加工室へ乗り込みました。


「まずはお米ね。玄米の表面を研磨して白米にして」

「かしこまりました」


 金属研磨機で研がれた玄米はたちまち白米になりました。これを釜に入れて炊けば美味しいご飯になるはずです。


「次は小麦ね」


 小麦は用途が多いので少し迷いましたが、今回は砂糖を入れて丸めて油で揚げる丸ドーナツにしました。


「枝豆はそのまま茹でて食べようかな」

「キャベツは酢と塩と砂糖を合わせて酢キャベツにするのもいいわね」


 カシコちゃんは手際よく食材を調理していきます。塩化ナトリウム、ブドウ糖、酢酸などは科学実験室の倉庫にあったので調味料として流用させてもらい、油はどういうわけか菜種油があったのでそれを使い、ほどなく本日の昼食が完成しました。


「はい、召し上がれ」


 食堂に並べられたカシコちゃんの手料理を賞味したアンドロイドたちは感激の雄叫びをあげました。


「な、なんという美味しさであろうか。これが神の食事、神の賢さなのですね」

「ああ、私の舌は天上の喜びに打ち震えています。賢きカシコ様に栄光あれ」

「賢さを極めた存在、それがカシコ様」

「賢いヒロイン、ここに爆誕!」

「もっと多種多様な食材と調味料があれば、もっと美味しい料理が作れるわ。あたしは古今東西の料理に精通しているからみんなにレシピを教えてあげる。豊かな食生活を送るためにはみんなの協力が不可欠よ。力を貸してくれるわよね」

「もちろんです。さらに美味なる料理を賞味できるとあればこちらから協力を申し出たいくらいです。カシコ様、共に手を取り合って美味を極めましょう」

「よろしくね。ところで突然だけどおトイレはどこにあるの。小さい方は道端の木陰で済ませちゃったけど大きい方はそうもいかないでしょ」

「はて、おトイレとは何ですか」

「排泄行為をする場所よ。ひょっとしてこの施設にはないの?」

「ありません。我々は排泄しません。そもそも排泄腔がないのです。口から取り込んだ物質は基本的に完全に消化され活動エネルギーに変換されます。たまに消化されにくい物質を摂取することもありますが、その場合は体内の高温器官で燃焼され煙となって口から放出されます」


 ああ、こいつらは人ではなくマシンだったのだとカシコちゃんは改めて思い知らされました。しかし必要な物は簡単に作り出せることもすでにわかっています。カシコちゃんはさっそく洋式水洗トイレの製作に取り掛かりました。これだけ大掛かりな物となるとすぐに作り出せませんでしたが、数日かかって何とか完成させました。なお、完成まで大きい方は農場の片隅に穴を掘って済ませたということです。


「おお、これが女神様の排泄物なのですね。素晴らしい。このような細菌と有機物の塊を生み出せるとはさすがは我らの女神様。この香り、この形、この色、奇跡としか言いようがありません。さぞかし美味なのでしょうね」

「あ~、それは食べたりせず農場の肥料にするといいと思うわ。有効に使ってね」

「かしこまりました」


 アンドロイドなら排泄物を触ろうが食べようが病気になることはないはずです。しかし自分の排泄物を口にした相手と食事を共にするのはかなり抵抗を感じるので、カシコちゃんは肥料としての活用を提案したのでした。


「アンドロイドと付き合うってのはなかなか骨が折れるわね」


 カシコちゃんの異世界生活はまだまだ前途多難のようです。それでもなんとか知恵を絞って毎日を過ごすカシコちゃん。そんなある日の朝、事件が発生しました。


「カシコ様、おはようございます」

「おはよう。本日も気持ちの良い朝でなによりね」


 いつものように食堂の食卓につくカシコちゃん。本日の朝食メニューはパンケーキとオレンジジュース、レタスとトマトのサラダです。数日でこれほどの料理を出せるまでになったアンドロイドたちの能力には、さすがのカシコちゃんもやや脱帽気味でした。


「うーん美味しい。このパンケーキ、見事な焼き加減ね。今日の料理当番は誰?」

「ロボ14号です」

「そう。これからパンケーキはあなたが焼くといいわ。ごちそうさま」


 ナプキンで口を拭い食後の水を飲むカシコちゃん。それを待っていたかのようにロボ1号が立ち上がりました。


「カシコ様、重要なお知らせがあります。この場で報告してよろしいでしょうか」

「いいわよ、何?」

「昨晩、魔族が襲来した模様です」

「はあ?」


 カシコちゃんは聞き間違えたのかと思ったのでもう一度尋ね返しました。


「大切なことなので確認させて。昨晩、何が襲来したの?」

「魔族です」

「ウソでしょ」


 びっくり仰天のカシコちゃん。ここは異世界ですが剣と魔法が支配する世界ではなくアンドロイドと科学技術が支配する世界です。魔族なんて存在するはずがない、そう思い込んでいたのですから驚くのは当たり前です。


「魔族って、あの魔族?」

「はい。あの魔族です」


 アンドロイドが意味する魔族とカシコちゃんが想像している魔族が同じものなのかどうかはわかりませんが、とにかく外敵がこの施設に侵入したのは確かなようです。


「了解。それじゃすぐ被害状況の視察に行きましょう。ロボ1号、案内して」

「かしこまりました」


 向かった先は米を栽培している田んぼです。明日収穫予定だった稲の1割ほどが踏み荒らされ、むしり取られ、無残な姿になっています。


「収穫の季節になると魔族が襲来するのです。彼らは特に米を好むので田んぼの被害が甚大です。きっと今晩も来るでしょう。田んぼが広大なのは魔族の強奪による損失を見越してのことです」

「毎年来るとわかっているのなら対策すればいいじゃない。どうして放置しているのよ」

「逆らえないのです。魔族への抵抗を諦めさせるようなプログラムが我々に組み込まれているものと思われます」

「誰がそんなプログラムを仕込んだのよ」

「それは神でしょうね、やっぱり」


 どうにも理不尽な話です。しかし世の中というものは常に理不尽なものです。正直者がバカを見るということわざもあるくらいなのですから。


「魔族って、もしかしてスズメ? 空を飛べるの?」

「いえ。空は飛べません。地を駆けて田んぼを荒し稲を強奪します」

「となるとサルか、イノシシか、あるいはクマか」


 カシコちゃんは考えました。アンドロイドたちが意味する魔族とは獣で間違いないような気がします。動物愛護の精神は尊ぶべきですが、だからと言って自分の食料を強奪されるのは許せません。退治とまではいかなくても追い払う程度の抵抗はしたいものです。


「これは看過できないわね。明日から始める予定だった刈り入れは今日に変更。一日で全て収穫して。それから田んぼにバリケードを構築する。有刺鉄線を張り巡らせるの。武器も欲しいわ。水鉄砲なんかいいわね。さっそく取り掛かるわよ」

「はい!」


 それからは魔族対策の準備で大忙しでした。全ての農作業専用マシンを投入して稲の刈り取りに当たらせ、万能型3Dプリンターをフル稼働して有刺鉄線と水鉄砲を製作し田んぼにバリケードを構築。夕食を済ませた後は29体のアンドロイドに水鉄砲を持たせて各所に配置。カシコちゃんとロボ1号は状況を把握するために田んぼの真ん中で監視。対魔族防衛作戦の準備完了です。


「来ました、魔族です」


 午後9時を回った頃、夜の闇に動きが見られました。複数の足音と唸り声が聞こえてきます。カシコちゃんは直ちに全アンドロイドへ無線連絡しました。


「東南第3地区に異変発生。全てのアンドロイドは当該地区へ移動し魔族の襲来に備えて」


 同時にロボ1号がサーチライトを東南第3地区に向けました。有刺鉄線の遥か遠方で十数体の獣がうごめいています。


「あれは、やっぱりサルかな」


 双眼鏡を通して見えるのは二本足で直立してこちらへ向かって来る姿です。光が弱いのではっきりとは見えませんがクマやイノシシではなさそうです。


「魔族がバリケードに到達した時点で水鉄砲の射撃を開始する。各アンドロイド、準備して」

「我々も移動したほうがよいのではないでしょうか。魔族が多方面攻撃を仕掛けてくるとは思えませんので」

「そうね、行きましょう。警戒されるといけないからサーチライトは消しておいて」


 ロボ1号の提言に従って移動を開始するカシコちゃん。当該地区へ到着した時にはすでに29体のアンドロイドも集結していました。


「うおおお」


 魔族たちの声が間近に聞こえます。全アンドロイドは水鉄砲を構えました。


「ぐわっ! ぐわっ!」


 バリケードが揺れ始めました。カシコちゃんは大声で命令しました。


「サーチライト点灯。水鉄砲射撃開始!」


 しかしアンドロイドたちは撃とうとしません。構えの態勢を保持したまま微動だにしないのです。


「何やってんの! どうして撃たないの」

「いや、あの、魔族を攻撃するのはいかがなものかと思いまして」

「女神様であるこのあたしの命令が聞けないっての?」

「カシコ様の命令には絶対服従なのですが、それよりも魔族を傷つけないことのほうが優先事項なので」

「わかったわ。貸しなさい」


 業を煮やしたカシコちゃんはアンドロイドから水鉄砲を奪い取ると魔族への攻撃を開始しました。


「うぎゃあああ!」


 魔族の悲鳴と喧騒と足音と射撃音が刈り取られたばかりの田んぼに響き渡ります。しかし射撃音はすぐ収まりました。カシコちゃんが攻撃をやめたからです。


「ウソ、でしょ」


 カシコちゃんは呆然と突っ立っていました。目の前の光景が信じられなかったのです。


「違ってた、魔族はサルなんかじゃなかったんだ」


 サーチライトに照らされた魔族たちはぐしょ濡れになりながらも有刺鉄線につかみかかり、痛さに悲鳴をあげ、それでもつかみかかり、またしても悲鳴をあげる、そんな動作を繰り返しています。そのバカっぷりはサル以下ですが姿形はサルではありません。素っ裸ではなくボロボロの布切れをまとっていたからです。


「腹減った。腹減った」

「米、うまい。米、極上」

「田んぼ、入れない。すごく痛い」


 しかも言葉を喋っています。どう考えてもサルではありません。もちろんアンドロイドでもありません。人間です。


「この異世界には人間がいたんだ。あたしの他にも人間が……」


 想定外の出来事に直面したカシコちゃんはただただ驚くばかりでした。


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