第18話 美の狩人

「わたしの名は桐月きりつき華音かのん。かつて写真部だった者。そして美の狩人だ」


 先輩は廊下の壁にもたれて前髪をかきあげた。


 ――濃い……。


 今の自己紹介でもう胸焼け気味だ。好花は濃い目の人物を引き寄せるフェロモンでも放出しているのだろうか。


 好花は俺の背後で縮こまってぷるぷるしている。昼休みのとき光に怯えていたのは、以前からこの先輩がカメラのレンズをきらきらさせながらアプローチしてきていたかららしい。


 ここは俺がなんとかしなくては。背筋を伸ばし、俺は決然と問う。


「桐月先輩は――」

「ちょっと待ってくれ」


 出鼻をくじかれた。


「華音と呼んでもらいたい」

「は?」


 今の小さな「は?」は俺のじゃなく好花のだ。しかも若干キレ気味。自分が下の名で呼びあうのに苦労したから釈然としないのだろう。


 俺は言った。


「でも目上を呼び捨てにするのはちょっと」

「敬称はつけてくれて構わないよ。わたしは『華音』という名前を気に入ってるんだ。キヤ○ンに似てるだろ?」


 と、首から提げたカメラを愛おしそうに撫でた。


 その手付き、眼差し。カテゴリーは違えど、華音先輩は俺たちと同じオタクらしい。


「……キヤ○ンが好きなんですね」

「まあこれはソ○ーのやつだけどね」


 ――なんだよ……!


 高速ではしごを外された。


「父から借りているんだ。カメラは高価だし、高校生の身空ではおいそれと買えないからね。しかしいつかは自分の愛機を手に入れたいと思ってる」

「あ、なるほど。そこでキヤ○――」

「ニ○ンのエントリーモデルを検討している」


 ――なんだよ……!!


「名前は名前、道具は道具さ」


 と、爽やかに笑った。


 さっきから言動が無茶苦茶なのに、凛としたたたずまいと顔の良さで受け入れてしまいそうになる。俺は飲まれないように気を引き締める。


「それで、好花につきまとっていたのは」

「好花というのか。彼女にぴったりの可愛らしい名前だ。――そうだね、言うなれば彼女の美しさがわたしの心を動かした、といったところかな」


 またもや演技がかった大仰な仕草と言い回し。しかし好花はまんざらでもない様子で照れくさそうに「ど、どうも……」などと礼を言っている。


 ――チョロい……。


「好花をモデルに撮影がしたいわけですよね」

「有り体に言うとそうだね」


 ――最初から有り体に言ってほしい……。


「好花はそういうのあまり得意じゃなくて」

「怖がらなくていい。身も心もわたしに任せてほしい」


 ――それを怖がってるんだよ……!


「ともかく今回は――」

「待ってくれ。どうすれば許可してもらえる。なにか対価が必要か?」

「そういう話では――」

「分かった」


 華音先輩は財布に入っているお札を全部抜き出した。


「四千円でどうだ」

「生々しい金額やめてください……!」

「足りなければ口座の有り金をすべて払う」

「金額の問題ではなくて」

「分かった。中庭の池に飛びこめばいいか?」

「なんでそうなるんですか!?」

「分かった。一日中わたしを好きにできる権利をやる。それでどうだ」

「もっと自分を大事にしてください!」


 あとさっきから「分かった」と言っているが、なにひとつ分かってない。


「なんでそんなに必死なんですか……」

「言っただろう。わたしは美の狩人だと。真の美しさを見つけるためなら、わたしがどうなろうと構わない」

「それが好花なんですか」

「分からない。しかし彼女を見たとき、なにかが琴線に触れたんだ。それを逃したくない」


 好奇心と欲求を満たすためになりふり構わないその姿に、俺はどこか親近感を覚えた。


 が、もっとも感じているのはまちがいなく疲労感である。


「好花」


 俺は振り返った。


「撮影させてやれ」

「ええ!? なんで……!?」


 好花に耳打ちする。


「分からんか。この感じ、拒み続ければずっと付きまとわれるやつだ」


 刑部さんですでに経験済みだからな。俺は詳しいんだ。


 一瞬、情けない顔をした好花。すぐになにかを悟った――というか諦めた――無の表情になり、


「分かった……」


 と、小さくつぶやくように言った。


「話が早くて助かる。さあ、早速スタジオへ赴こう!」


 うきうきと歩いていく華音先輩のあとを、俺たちは死んだ目でついていった。

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