第14話 家族と挨拶したい

「次は家族に挨拶だね」


 放課後、例のベンチに座るなり宇多見が言った。


 俺は頷く。


「そうだな」

「え、あっさり決定?」

「俺も挨拶したいと思ってた」

「なんか乗り気じゃ~ん」


 と俺の肩を肘でつつく。


「子どものころよくしてもらったから、礼儀として」

「そういう挨拶じゃない!」

「なに言ってんだ、大事だろ」

「大事だけど! わたしの言ってるのと違う!」

「なんの話だよ」

「ほら、あるでしょ。お付き合いさせてもらってます的な。あれ」

「ああ、それな。分かった、それもするよ」


 宇多見はぽかんとした。


「すんなり……」」

「なんだよ、しなくていいのか」

「そうじゃないけど、もっと面倒くさがると思って」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「人見知り?」

「お前にだけは言われたくないっ。それに俺はコミュニケーションに費やせるMPマジックポイントが少ないだけだ」


 まあ、少ないMPを節約してたらぼっちになったんだがな。


 宇多見は窺うようにじっと俺を見る。


「? どうした」

「う、ううん。別に」


 と、慌てて視線をそらした。


 ――変な奴。


「そ、それより! 家族に挨拶するなら、先にやっておかないといけないことがある!」

「菓子折りの用意か?」

「うちの親は高校生に手土産は要求しない! ……と思う」

「じゃあなんだよ」


 宇多見は咳払いし、改まった様子で言った。


「わ、わたしの真名しんめいを答えよ」

「?」


 真名、ってあれだよな?


菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ?」

「日本の歴史上もっとも有名なオタク女子!? どうしてそうなる!!」

「お前を英霊とした場合の実名ってことだろ? ならぴったりだと思うが」

「身に余る光栄だけどそうじゃない!」

「じゃあどういうことだよ」


 宇多見は手をもじもじさせながら言う。


「な、名前で呼べって言ってるの」

「オーケー、好花」

「秒で!? しかも軽い……!」

「だってもともと名前で呼んでたろ」

「え、そうだっけ……?」

「で、小三くらいのとき、同級生に『夫婦』ってからかわれて、お前が『名前で呼ぶな』って」


 宇多見、もとい好花は自分のふとももを叩いた。


「アホがぁ……!」

「ええ……? お前の要望どおりにしたのに」

「丸瀬じゃなくて過去のわたしに言ってるの……!」

「? そ、そうか。あまり思い詰めるなよ?」


 しかし好花はその後もずっと苦々しい顔をして黙っていた。明らかに引きずっているようだ。なにを引きずっているかは知らんが。


「っつかさ、俺のことも名前で呼べよ」

「え?」

「俺だけ名前で呼んでたらおかしいだろ。ほら」


 好花はしばし躊躇していたが、やがて絞り出すように言う。


「しゅ……」


 ぎゅっと目をつむる。


「しゅ……、しゅ……、しゅ……、しゅ……」

「なんか漏れてる?」

「しゅう~……、まっ」

「毎回そうやって呼ぶ気か?」

「きょ、今日はちょっと……、お日柄が悪くて」

「その日の吉凶で呼びやすさが変わるのかよ」

「本番までには慣れるから……」


 この調子で本当に改善されるんだろうか。





 帰宅後、好花からの連絡があり、宇多見家訪問は次の日曜日の午後に決まった。





 俺は好花の自宅があるマンションの前に立っていた。俺の家から十分ほど歩いたところにある五階建てのマンションだ。


 顔見知りとはいえ、改まって挨拶するとなるとやはり緊張する。


「よしっ」


 と気合を入れてエントランスホールに入ると好花が待ち受けていた。


「よっす、迎えにきたよ」

「なんでだよ……」

「え、なにが?」

「インターフォンで話して自動ドアを開けてもらうやつやりたかったのに……!」

「子どもか!」


 好花の自宅は四階にある。俺たちはエレベーターに乗りこんだ。


「……」

「……」


 エレベーターに乗っていると、黙って上のほうを向いてしまうのはなんでだろう。


「……あのさ」


 好花は斜め上を見たまま言う。


「迷惑じゃない?」

「? お邪魔するのはこっちだけど?」

「じゃなくて……」


 少し言い淀んだあと、


「なんでもない」


 と黙った。


 変な奴。


「それより、俺のことちゃんと名前で呼べるようになったか?」

「それについては対策済み」

「ならいいけど」


 片方が名前で呼んでるのにもう片方が苗字で呼んでたらおかしいしな。


 エレベーターが止まり、ドアが開いた。好花の先導で宇多見家の前まで移動する。


「ただいま~」


 好花にならって玄関に入ると、子どものころ嗅いだ、懐かしい『宇多見家の匂い』がした。


 ――そうそう、こんな匂いだった。


 今とは違う家なのに変わらないものだな。


 匂いに紐づいて記憶も呼び起こされる。居間に大きなテレビがあって、そこで好花とよくアニメを観させてもらったっけ。


 たまに食事をごちそうになったりもした。夕飯にパンが出てきて、和食派の家庭で育った俺はカルチャーショックを受けたものだ。


 そして――。


 リビングのドアが開き、目の覚めるような美しい女性が飛び出してきた。


「丸瀬くん!」


 俺の前までやってきて言う。


「うちの娘はやらん!」

「満面の笑みで!?」

「だって楽しみにしてたから」


 と、舌を出す。


「お母さん!」


 好花が口を出す。


「そのセリフはもう少しあとで言って」

「お前は味方であってくれよ!?」


 好花のお母さん――珠希たまきさんの後ろから、遠慮がちにお父さんのいつきさんが現れる。


 樹さんは眼鏡を神経質そうに眼鏡をいじりながら言う。


「……や、やあ、……久しぶり……。……大きくなったね……」


 ――あいかわらず声ちっちゃ……!


 珠希さんは樹さんを肘でつつく。


「ほら、言いたいことがあるんでしょ」

「う、うん」


 一度、咳払いをしたあと樹さんは言った。


「娘はやらん」

「言わされてません!?」


 珠希さんが腰に手を当てる。


「人聞きの悪い。もともと樹の案だから」

黒幕フィクサー……!」


 珠希さんは口を大きく開けて笑う。


「あいかわらず芸人みたいなツッコミだねえ」

「三人してふざけ散らかすからでしょ……!」


 宇多見家にはボケしかいないから俺がバランスをとるしかなくなる。


 まあ、それも楽しかったりしたんだけど。


 珠希さんが手招きする。


「ほら、いつまでもそんなところにいないで入っておいで」

「俺がまごついていたことに……!?」


 とっとと移動しないといつまでもボケを拾わされることになりそうだ。


 俺は珠希さんの言葉に従い、リビングに足を踏み入れた。

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