第12話 逃避行

 しかし、やはり校内に刑部さんの目の届かなさそうな場所は見当たらなかった。


 昼休みに宇多見とふたりでうろうろしたが、定番の体育館裏はもちろん、特別教室が集まる本館も刑部さんの視線を感じた。彼女自身から教えてもらったプールの脇なんてもってのほかだ。


 いったん諦めて解散し、放課後、校門で宇多見と落ちあった。


 宇多見が決然と言う。


「絶対にふたりきりになる」

「熱くなってんな」

「丸瀬はいいの? 邪魔されて」

「それは……、嫌だけど」


 落ち着いてオタク語りもできないし。


「でもどこに行けばいいんだ? 校外にも目を光らせてるって言ってたぞ?」

「裏をかく」

「どうやって」

「灯台下暗しって言うでしょ。こっちから刑部さんに近づいて、常に背後をとれば見つかることはない」

「ほかの灯台から丸見えだな」

「万策尽きた……」

「もうかよ」


 策がないならあとは足で稼ぐしかあるまい。


「いくつか候補地はあるから、とりあえずそこに行ってみるか」


 俺たちは歩きだした。


 まずは高架橋へ向かう。下になにかの資材が長年放置されており、その陰なら人目につかないはずだ。鉄骨が座るのにちょうどよい感じの高さだ。


 宇多見は言った。


「こんな場所を知ってるなんて――」

「いい感じだろ」

「なんかいやらしい……」

「なんでだよ!?」

「でもたしかにいい感じ。歩道からは見えないし」

「だろ?」

「思ったより汚くないし」

「そうだな」

「というか、ちょっと掃除されてるくらいきれいだし」

「……」

「草むしりされてるっぽいし。なんか真新しいブルーシートもあるし」

「宇多見」

「ん?」

「行こう」

「え、なんで?」

「ここはよくない」

「だからなんで」

「いいから」


 宇多見の腕をつかんで引っ張る。


「待って」

「理由はあとで説明するから、早く――」

「どうせなら手、握ってよ」


 と、恥ずかしそうに言った。


 ――今そういうのいいから……!


 宇多見は慌てて訂正する。


「そういえば恋人なのにまだ手握ったことなかったなあって思っただけだから!」

「分かった、分かったから」


 要望どおり手を握り、その場を離れる。


「ちっ……」


 背後から舌打ちが聞こえて、タタっと走り去る足音が聞こえた。


 ――やっぱり……!


 今のはおそらく――いや、まちがいなく刑部さんだ。


 あの場所に向かうことを予測されていたばかりか、居心地を良くするために手入れまでされていたのだ。


 ――あっぶね、こっわ……!


 そんな彼女を本当に出し抜くことができるのだろうか。


「ふたりきりになるの、相当難しいかもしれん……」

「ええ? まあ、適当でいいよお」


 宇多見はにこにこして言った。


 ――満足げ……!


 手を握ったくらいで。


「お前がそれを言うのは違うだろ……!」

「あ、そ、そうだね。うん、頑張ろう!」


 ――まったく……。


 次の候補地である自然公園裏の林へ到着すると、刑部さんが姿を隠すこともなく堂々と俺たちを待ち受けていた。


「駄目ですよ」

「な、なにがだよ」

「ここは私有地ですから入ってはいけません」

「あ、そうなの?」

「覗き見をしたいのは山々ですが、風紀委員として同級生が不法侵入するのを看過することはできません」

「倫理観バグってんな」

「ほかの場所でおやりなさい」


 俺たちは大人しく引き下がった。


 その後もさまよい歩いたが、どこも刑部さんの目が行き届いていた。疲れ果てて立ち寄ろうとしたファミレス前でも彼女は待ち受けていて、


「道草は行けません。喉が渇いたのなら、ほら」


 と、俺たちにミネラルウォーターのペットボトルを手渡した。


 この街はどこもかしこも刑部さんの監視下に置かれているかのようだった。


「……」

「……」


 歩きどおしで足が棒、疲労で言葉もない。


 バス停が目に入る。


「バスで帰るか……」

「うん……」


 バスが来るのを待っているあいだも俺たちは言葉少なだった。


 と、宇多見が怪訝な顔で鼻をひくひくさせた。


「雨の匂い……」

「え、そうか?」


 そのとき遠くから雷鳴が聞こえた。


「お前すごいな」


 宇多見はドヤ顔をする。


「ふだん家に籠もってるから外の匂いには敏感なんだ」

「そうはなりたくないものだな……」

「あれ!? 称賛は……?」

「ともかく、まだ遠そうだな。バスのほうが先に来てくれそうでよかった」


 なんて話していたのも束の間、あたりがパッと真っ白になったかと思うと、地面を揺するような雷鳴が轟いた。


「うおっ!?」「きゃっ!?」


 そして急速に暗くなっていき、地面にぽつりぽつりと雨粒が落ちたと思ったその瞬間――。


 ドザー!!!!!


 と空の底が抜けたかのような大雨が降り出し、俺たちは一瞬でずぶ濡れになった。


 宇多見が言う。


「ご、ゴリラゲイ雨!!」

「落ち着け、ゲリラ豪雨だ! 早くどこか雨宿りできる場所を――」

「ちょっと待って! それより――」

「なんだよ」


 宇多見は身体で受けるように両腕を広げた。


「せっかくだし、こうやってさ、『ショーシャ○クの空に』ごっこしない?」

「バカ言ってないで行くぞ!」


 と言ったもののどこに向かえばいいんだ。ここはすでに町外れ。畑や草むらばかりがめについて、コンビニなんて見つかりそうもない。


 鞄を傘にして走っていると、林の切れ間に鳥居が見えた。


「こっちだ!」


 鳥居をくぐって参道を駆け抜け、本殿の屋根の下に滑りこんだ。


 そこは小さな無人の神社だった。大粒の雨が屋根を叩く音がやかましい。


 放課後を無益に過ごし、その締めがずぶ濡れとは。


 ――散々だ……。


「あれ?」


 宇多見が声をあげた。


「どうした? なんか落としたか?」

「じゃなくて……」


 と、きょろきょろする。


「刑部さん、いなくない?」

「え?」


 あたりを見回す。たしかに見当たらない。念のため本殿の裏にも回ったが姿はない。


 図らずも俺たちは刑部さんを撒くことに成功したようだった。

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