16.双頭の狼

 今を生きる人族が知る世界の在り様とは、周りを海に囲まれたブーツのように縦長の大陸と、大陸の西に浮かぶ一つの島で成り立っていると考えられている。大陸の名をオーザッカ大陸、西に浮かぶ島をイヲズ島。それが世界の全て。それ以降の遠方は未知の領域とされていた。

 過去において個人、特定の組織、国家プロジェクトとして外洋への調査団がいくつか派遣されたが、その全てが失敗に終わった。

 曰く、世界の果ては広大な滝となっていて、近づくと暗黒が広がる奈落の底へと落ちていく。

 曰く、世界の果ては猛毒を含み、常に紫電がはしる雲に覆われている。

 曰く、世界は一定の空間に閉じ込められていて、世界の果てまで行くと反対側に出てきてしまう。

 どれも確証はなく、それぞれが真実だと思う世界を信じて来た。

 そんな世界の中心であるオーザッカ大陸は、中央で大陸を二分するように二つの大国と近隣諸国とで形成されている。

 中央北の魔法帝国メノガイア。

 中央南のパラス公国。

 隣接するこの二国は小競り合いなどは何度か起こったが、歴史上、大戦となったことは一度もない。なぜなら人族は古来より種としての大きな繁栄は一度もしてこなかった為だ。

 人族同士で争うほどに、土地も食料も不足していなかった。人口だけが増えなかったのである。天人族と魔人族の人知を超えた争いは、常に人族を巻き込みそうさせてきた。

 人族の取り得る手段とは耐え忍ぶのみ。

 運が良ければ生き残り、悪ければ村ごと、町ごと、都市ごと滅んできた。

 どこへ逃れようと安全な場所などないと誰もが思う。

 この世に産まれた瞬間から刷り込まれているかのように。それはパラス公国領にあるピルッツの町の住人も同じだった。

 不穏な空気が漂い、魔族が襲ってくるかもしれないと囁かれていても逃げる手段は取れない。

 何人かはこの町から出て行った者もいるが、多くの者は行く当ても資金もない。この町を出たところで生きていく術も手段もなかった。

 大きな街や都市に住む為には、高額な税金を納めなくてはならない。安全は金で買わなくてはならないのだ。故に富無き者は国や大都市の庇護下に入ることが出来ず、それぞれが集って小さな町や村、集落を作って暮らしてきた。

 ピルッツもそんな町の一つだったが、これまで町の近隣では魔蟲や魔獣による被害はあったもののここまで大規模に襲われたことはなかった。

 

(そもそもここ最近、魔族の出現が多すぎるのよね。下級魔族ならまだしも中級魔族もだなんて。ギリアスも言っていたけれど、魔族全体がなんらかの動きをしている感じがする――)


 町の雑貨通りでそんな風に考え込んでいたチェシカの目の前に赤黒い色をした蟻が現れる。そこら辺の地面で普通に見かける昆虫の蟻とは違って、巨大な蟻が。

 

「チェシカ! 目の前、ジャイア――!」

「【空破弾エアブリッド】」


 心持ち視線を下に向け考え込みながら相手を見ずに放った空気の弾丸は、巨大蟻ジャイアントアントの頭に当たり、そのまま体を貫通して霧散していく。


「――ントアントはもうやっつけたよ、うん」


 と、思ったのも束の間、今度は地面が盛り上がりながらチェシカたちの方へと向かってくる。


「チェシカ! 地面の下を何かが――!」

「【氷檻結界アイスケージ】」

「【氷結矢アイスアロー】」


 盛り上がった地面に局所結界魔術を放って動きを止め、間髪入れずに氷の矢で射抜いて仕留めるチェシカ。

 これまた盛り上がった地面には目をくれず、何やらブツブツとつぶやいでいた合間に対処する。


「――迫って来てたけど、何だったんだろうね」

「え? 何か言った、ヒュノル?」

「う、ううん。何も言ってないよ」

「そう」


 チェシカはそこで改めて顔を上げて回りの様子を確認する。破壊された家屋や店舗がいくつか目についた。犠牲になった町の人たちも。

 微かに顔を歪めつつ、ヒュノルに声をかける。


「どう? ヒュノル?」

「うん――」


 ヒュノルは一つ返事をして心持ち上昇すると目を閉じてしばらく口を閉ざす。

 チェシカはその間、ヒュノルを守る為に辺りに気を配り警戒しておく。


「――まだ全部って訳じゃないけど、最初に感じた数よりは随分と減ったみ――あっ!」

「どうしたの!?」

「町の北西の方――たぶん、町の外だと思う。距離があるけど大きな気配を感じる! それも複数!」

「チッ! 新手って訳!? いったい、どれだけの数がいるってのよ! こんな小さな町に!」


 明らかに異常な事態が起こっている。

 

「うわぁぁぁぁぁ!!」


 その時、雑貨通りの奥の方から悲鳴が聞こえてきた。それも聞き覚えのある男の声。


「あの声ッ!」

「行商人のおっちゃんだよ!」


 チェシカはすぐさま駆け出した。

 ヒュノルも後に続く。

 雑貨通りの奥はどうやら広場になっているらしい。到着した日に行商人の男がいつもの広場に行ってみると言っていた場所のようだ。

 幌馬車は無残に壊され横倒しに倒れている。そばには頭から血を流している行商人の男。腹部を押さえる手の平も赤く染まっていることから、そちらも怪我をしているようだった。

 近くにはその幌馬車の大きさほどの巨大な蜂の魔蟲。


「チェシカ! 殺戮蜂の女王キラービー・クイーンがッ!」


 丸々とした巨躯きょく、首回りを覆う体毛、赤く怪しく光る複眼、二本の触覚、四枚の羽。王冠ティアラのように硬質化した上頭部の外皮。

 働き蜂ワーカーはすでに倒されたのか、単独で殺戮蜂の女王キラービー・クイーンが行商人の頭上で浮遊ホバリングをしている。


「おっちゃんッ!!」


 まだ距離はあったが牽制、あわよくばこちらに惹き付ける為に、飛距離が長いほど威力も衰えるが速度重視の風系統の魔術を放つ。


「【空破弾エアブリッド】!!」


 命中はしたが負傷ダメージは与えられなかった。しかしその体を行商人の男からチェシカの方へと向ける。


(よしッ!)


 狙い通りの展開に心の中で叫ぶ。

 一気に間合いを詰める為に【翔破術グライディング】の魔術を唱えようとした瞬間、横合いの建物を破砕して何かが飛び込んでくる。


双頭の狼オルトロス!!!」


 ヒュノルの悲鳴にも似た叫び。

 風による探索が得意なヒュノルにも気取られずに気配を隠し通していたその事実は、新手の魔獣が上級魔族並みの存在であることを物語っている。

 野の狼と比べ三倍はあろうかと思われる巨体をした黒い体毛の魔獣が、名の由来でもある双頭の一つのあぎとを開いてチェシカに飛びかかる。


ギィィィィン!!


「くっ!」


 魔獣がチェシカを咥えた瞬間、甲高い音が辺りに響き渡った。

 チェシカを咥えたまま地面に着地した魔獣だったが、その牙はチェシカには届いていない。

 極少結界陣チャフと呼ばれる四角辺の防御結界。チェシカはそれを常に周りにいくつも展開させている。大きさは手鏡ほど。

 感覚的な同調リンクをしているその結界は、脳が命令を伝達する前に身の危険を感じた瞬間、半自動発動する。

 双頭の狼オルトロスが強く噛みしめるたびにパリパリと硬質な物が割れるような音が断続的に聞こえ、キラキラと煌めくような粒子が輝く。それはまるでチェシカの身体から剥がれ落ちているかのようだった。

 双頭の狼オルトロスの噛みしめる力はますます強くなる一方で、このままでは結界ごと嚙み砕かれるだろう。


「【麻痺伝導波パラライズドライブ】!!」


 双頭の狼オルトロスの顎先に手を当て魔術を唱えるチェシカ。

 魔獣といえど生物。強烈な刺激を体に浴びせれば、意思とは関係なく体が意図しない動きをすることもある。

 チェシカの術の威力が上回り、双頭の狼オルトロス抵抗レジストを抜く。

 ほんの一瞬、噛みしめる力が緩み上下の顎が上がる。

 その隙を逃さずチェシカは身体を捻るようにして魔獣の顎から逃れた――と思った瞬間、強烈な前脚の一撃がチェシカを打ち払う。

 再び甲高く軋むような音が辺りに響き渡った。

 キラキラと粒子が飛び散り、残っていた極少結界陣チャフが全て吹き飛んだ。

 かろうじてダメージは負わなかったが、殴られた衝撃を殺すことが出来ず、もろにわき腹に受ける。


「ぐはっ!!」


 肺の中の空気が漏れ、土煙をあげながら地面を転がるチェシカ。


「チェシカ!!」


 再びのヒュノルの叫び。


(強い! ――おっちゃんは!?)


 二、三度地面を跳ねながらもなんとか身体を起こしたチェシカの視線の先、双頭の狼オルトロスの向こうで、何とか倒れた幌馬車の影に隠れていた行商人の男だったが、殺戮蜂の女王キラービー・クイーンの尾の一撃で幌馬車を吹き飛ばされ、その身を晒して絶対絶命のピンチを迎えていた。












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