6.黒の民の里

「デュターミリア様、こんな俗説があることをご存知でしょうか?」 


 チェシカではなく、目の前の存在モノに視線を向けつつそう切り出すミヤミヤ。


「人は大抵、蜘蛛嫌いか蛇嫌いかのどちらかに分類されるらしいのです。わたくし、今まであまり気にしたことなどなかったのですけれど、改めて考えてみるとわたくしは蜘蛛嫌いに分類されるのかなぁと、今日思ってしまいました」

「――この状況でずいぶん暢気なこと言うのね。魔族相手に討伐戦ドンパチやってるあんたたちにはこの程度、余裕ってことなのかしら?」

「いえいえ、余裕なんてそんな。わたくし闇狩人ダークハントとしてはまだまだ未熟者の身。先ほどから恐ろしくて足が竦んでおりますのに」

「とてもそんな風には見えないんだけど」


 闇狩人ダークハントとは"明けの明星"の戦闘員のことを指す呼称だ。もちろん狩る獲物は動物なのではなく魔族。ゆえに生半可な戦闘能力の者がなれるものではなく、ましてや恐怖に足を竦ませることなどあり得ない。


「――って、それよりもその恰好は何?」


 そう言ってチェシカは眉根を寄せる。彼女が疑問に思ったのは、昨日の巫女服とは明らかに違っていたからだ。

 胸元の大きく開いた袖なしノースリープ上着トップスに、肩が剥き出した両腕には肘上から手の先までのアームカバー。下は膝上までのミニ緋袴で、白の膝上ニーハイとローヒールのロリータシューズ。


「今日の衣装は戦闘用巫女服サービスカットでございます」

「ちょっと何言ってるのかわかんないんだけど」


 その場でファッションショーよろしく、くるりと廻って見せたミヤミヤにジト目を向けた時、痺れを切らしたといった感じで声がかかる。


「暢気さで言えば二人ともどっこいどっこいだと思うな、僕は。蜘蛛好きか蛇好きかとかはとりあえずこの状況を何とかしてからゆっくり話すってのはどう?」


 前方のチェシカと後方のミヤミヤの間で浮かぶヒュノルは、建設的かつ的確な意見を述べる。

 それに対してミヤミヤが「いえ、ヒュノル様。蜘蛛好き、蛇好きの話ではなくどちらが嫌いかという話でございます」とやんわり訂正する。

 三人がいるのは人族の通らぬ勾配のある獣道。

 枯れ葉や枯れ木、新緑の青葉、見渡す限りに立ち伸びる木々。そして――巨大蜘蛛の群れ。

 本来、蜘蛛は成虫になると単独で行動する種が多いが、ごく少数ではあるが群れを形成する種もいる。三人の目の前に現れた蜘蛛もそう言った種類の蜘蛛なのだろう。かなりバカでかいが。

 胴回りだけでも成人男性が両腕を回しても余裕で届かないほどだ。脚の長さを入れればもはやバケモノと言ってもいいだろう。

 自然界にいる虫や獣が魔素を取り込んで変化したバケモノ――魔蟲や魔獣と呼ばれる存在である。

 蜘蛛の魔蟲が十体以上、チェシカたちを取り囲んでいた。

 時刻は太陽が真上から少しだけ傾き始めた頃。楽園フォーリングタウンから一日半ほど距離。場所は黒の民の里があるという山の中。その道中での遭遇だった。


「どっちでもいいわ、そんなこと。それよりミヤミヤ。黒の民の里はこのまま真っすぐでいいのね?」

「はい。前回の調査隊が残した印を確認いたしましたので」

「じゃ、道を作って突っ切るわ。あんた飛べる?」

「いえ。ですがお気遣いなく。ついて参りますので」

「おっけ――そんじゃ、いくわよッ!!」


 丸い球状の物を掴む感じで両の手の平を胸の前で広げ、その手の平の間で生じた風の渦を、両腕を真っすぐに伸ばしながら前方へ解き放つ。


「【螺旋風槍トルネードランス】!」


 チェシカの手元にあった風の渦が、周囲の空気を巻き込みながらその太さを増し、森の木々や大蜘蛛を空間ごと削りながら一直線に飛んでいく。


「ヒュノル! 掴まってッ!!」


 チェシカの掛け声にヒュノルが慌てて魔導鎧コートの襟に両手でしがみつく。


「【翔破術グライディング】!」


 到達地点を定めてその位置まで移動する飛行術式。もう一つの飛行術式である【飛翔術フライング】が術者自身に術をかけることによって、自在に移動飛行するのに対して【翔破術グライディング】は到着地点に飛ぶ――というより直線的に跳ぶという方が近いだろうか。こちらの利点は自由に移動出来ない代わりに圧倒的な速度がある。鳥類が獲物に向かって上空から滑空するところをイメージすれば分かりやすい。

 かなりの速さで跳ぶチェシカたちに追従してくるミヤミヤ。

 チェシカは気配で何となく後ろにいることが分かったが、魔導鎧コートの襟を掴んだまま首だけを捻って後ろを確認したヒュノルが思わず「凄い」と呟いた。

 チェシカが【翔破術グライディング】で跳ぶように進んでいるのに対し、ミヤミヤは滑るように後を追ってくる。それも何か精霊術的なことを使ってではなく単純に体術――身も蓋もない言い方をすれば走っているのだ。


 目視でマークした到達地点に到着すると同時に、再び【螺旋風槍トルネードランス】を唱えて道を作り【翔破術グライディング】で跳ぶ。それを三度ほど繰り返すと、風で作ったトンネルの先が開けた場所に出ていた。


「【翔破術グライディング】!」


 四度目の到達地点は森を抜けた平地に到着する。

 そこはおそらく農作物を育てていた畑だろうと思われる。

 収穫した後なのか植えてすぐなのか、作物が育っている場所はほとんど見受けられないが、ところどころに何かで掘り起こされたような場所や裂傷なども見受けられるのは、農耕作業の跡――ということはないだろう。

 人間の気配はない。代わりに――。


「――ほんと濃い魔素ね」


 魔素とは無味無臭でどちらかと言えば"気配"などの感覚的な物ではあるが、なんとなくこの辺り一帯の魔素が肌にねっとりと纏わりつくような不快を覚える。

 事が起こってからすでに数日経っているというのに。


「ここが黒の民の――里?」


 魔導鎧コートの襟から手を放し、少しだけ上昇したヒュノルが辺りを見回しながら呟く。

 周りを山に囲まれ、僅かに開けた土地にぽつぽつと住まいが建っている。しかし、住まいなど確かに誰かの営みがあったこと伺わせるのに人影はない。

 ざっと見た感じ、居住の建物は十に満たない。そのことから里の者は多く見積もっても五十人を超えることはないだろう。決して多くはない。が、この里に住んでいた者たちの素性を思えば、一人で相手に出来る人数ではない。もっとも、里の者全員が戦闘能力を有していたかどうかはわからないが。年寄り子供もそれなりにいただろう。


「――これからいかがいたしますか? デュターミリア様」


 かなりの距離、かなりの速さで走って来たにもかかわらず、息一つ乱れていないミヤミヤ。"お館様"に仕えるただのお茶汲みではないということか。

 チェシカは昨日、"開けの明星"の支部とやらでギリアスから訊いたことを思い出す。


『そうそう。里の調査にはこのミヤミヤを付けよう。まぁ、調査員ではないのでそっちではあまり役には立たんかもしれんが、別の方面で何事か起こった時には、存分に役立つことだろう』

 

 パッと見、武器などは携帯してないようだが、闇狩人ダークハントであるならば並みの冒険者以上の実力は折り紙付きである。それを考慮すれば荒事となれば役立つだろう。


(少なくとも、彼女の身を案じる必要はなさそうなのは助かるかな)


「さて、どうしたものかしらね。こういう時は――ヒュノル、どんな感じ?」


 先ほどよりも高く上昇していたヒュノルが、頭上から返事を返してくる。


「う~ん。とりあえずさっきの大蜘蛛は追っかけて来てないかな。他にも魔蟲やら魔獣もいそうな気配はあるけど近くにはいないみたい。人族の気配も……近くにはないよ」

「そう。ありがと」


 ヒュノルに礼を言ったチェシカは「降りて来て」と声をかける。


「あの、ヒュノル様。ヒュノル様は風の妖精人族フェアリー――でいらっしゃるのでしょうか?」

「え? あ、あぁそうだよ。僕は風のなんだ。うん」

「なるほど。それでこの辺り一帯を探知出来たのですね。風の精霊は気まぐれなので、他の精霊と比べてお話がしにくい精霊ですのに。流石ですわ」

「い、いやぁ、それほどでも。あ、アハハハ」

「"明けの明星"の探索部シーカーにお越しいただきたいほどです」

「それは嫌」

「日割りレンタルなら考えてもいいわよ」

「ちょっと、チェシカ!! 酷くない!?」

「では日当、鉄貨五枚でいかがでしょう?」

「安ッ!! ――って考え込まないで、チェシカ!!」


 ちなみにエール中ジョッキ一杯が、だいたい鉄貨五枚である。


「ま、とりあえずダメ元で里の中を巡ってみましょうか」


 そういうとチェシカは手近にある住まいの建物へと歩いて行った。














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