第005話 ……なのに、私は




「あんな事が有ったと言うのに、私は……」




あの日の夜。

私は何故、ああもぐっすりと眠りこけていたのか。


もっと早くに気が付き、私が起きてさえいれば……。

違った結果になっていたのかもしれない。


……ふっ、力と同じ、か。

そんな、たらればの事を考えても『今』は変わらない。

それは……もう、何度も考えた事だ。

分かっている筈なんだがな……。


あの日から、私は別世界へと迷い込んでしまったが如くだ。


何を口にしても感動せず。

何を見ても色褪せて見え。

何を聞いても信じられぬ。


鼻には不快な臭いがこびり付いたままだ。

肌は痛み以外を忘れ去ってしまったかの様だ。


10歳の誕生日。


その日を堺にして、本当に別世界としか思えない。


いや、実際に……。


私にとっては、同じ世界では無い。


私の愛した、私の世界。

父が、母が、村人達が、そして、姉が。


笑顔で、存在していた優しい世界。


その世界は、もう、どれだけ望んでも返ってはこない。


世界は終わり、そして、世界は始まったのだろう。


この、無味乾燥の、彩どりの無い世界が。


私が……私にとって、この異世界は、私の、行き着く先は……。







「きゃぁああ!何!?嫌、やめてっ!何をするの!?」


や、やだ……嫌だ!


怖い……怖いよ!

誰なの……?

変な匂いがして臭いし、村で見た事の無い人達。


あ、耳っ……あれだ、只人族ヒューマーって人達だ!

怖い……只人族怖い!


どうして?

どうして、私の部屋に居るの!?

外は……未だ暗い……嵐も……止んでない。


そ、そうだ!

パパとママは……?お姉ちゃんは!?


「うるせぇガキだな!ちょっとダマれ!」

「ぎゃはっ!パイセン、こういう時はこうでしょ!」


──バシンッ!


「きゃあっ!い、痛い!何を……どうして!?」


ど、どうして殴るの!?


「だからウルセぇって言ってんだろがっ!?ダマれや!」

「足りないかぁ~!良いぞ良いぞ!もっと喚け!ぎゃははっ!」


──バシッ!バシッ!……バシンッ!!!


「あぐっ!や、やめて、下さい……静かに……しますから」


嫌だ!嫌だ!嫌だ嫌だ!嫌だ!

お願い、もう殴らないで!


「お~っし!言う事を聞くガキは嫌いじゃないゼ!よしよし!」

「っか~!パイセン優しすぎぃ!良く見りゃ可愛いもんな!?」


ほっぺたがジンジンする……。

黙れば、静かにすれば、もう殴られないのかな?


頭を撫でられたって……嬉しくないよ。

むしろ、変な臭いのする手で触れないで!


お願いだから、もう騒がないから赦して欲しい……お願い。


パパ……ママ……お姉ちゃん……怖い、私、怖いよ……助けて。


「おお……カワイソウに……よしよし、良い子だナ?」

「急におとなしくなっちまいやがって……ツマンねぇな?」


や、やだ……やめてよ……ほっぺたを舐めないで!

く、臭い……気持ち悪いっ!


あ、あれ……?

でも……痛みが……引いていく……。


悔しい……少し、じんわりとして気持ちが良い。

……っ!?

ち、違うっ!そんな筈無い!

ひりひりと……痛むほっぺたの所為だ!

でも、こんな……こんな屈辱……。


「──ひぐっ。ご、ごめんなさい、謝りますから、もう、酷い事はしないで下さい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!ひぐっ、ぐすっ……うぅっ……んん……っ──」


だ、駄目、泣いちゃ駄目!

泣き喚いたらまた、殴られちゃう!


我慢、我慢するの、私なら我慢出来る筈だからっ!


「怖がるなって!おとなしくしてりゃヒドくしないって!」

「パイセンやっさしぃ~!オレはもっと嫌がって欲しいゼ!」


酷い……こんな人達の思い通りになるなんて嫌だけど……暴れても大人しくしても、結局どっちも思い通りにさせちゃうなんてどうしたらいいの……?


パパ、ママ、お姉ちゃん……私、判んないよ……。


「はぁっ、はぁっ、オレ、もう我慢出来無ぇ!」

「ぎゃははっ!そりゃ無いっしょパイセン!ぎゃははは──」


えっ!?

お、大人しくしたら酷い事しないって……。


「た、たまんねぇ!オレな、泣いてるオンナ大好きなんだワ!」

「いやいや、ドン引きだわ~。オンナじゃなくてガキだぜ?」


な、泣いちゃったからだ……。

私が、涙を零しちゃったから……私の所為で……。


「──ひぐっ……ぐすっ。や、やめて下さい、大人しくしたら酷くしないって……お願い……お願いですから……謝りますから、ごめんなさい、赦して下さい……ごめんなさい、ごめんなさい」


どうして!?


どうしてやめてくれないの!?

嘘吐きっ!!!


「ああ~たまんね、おい、お前は外で待ってろ」

「っかぁ~パイセン、マジでパねぇわ!しゃあないなぁ」


……え、待って!

いや……この人には何処かに行ってもらいたいけど、こんな変な人を置いていかないでよ!?


「み、見たんだから、その顔、覚えたんだから!パパとママに言い付けてやるんだから!」


そうだ……いつも、パパとママには言われてたんだ。


変な物や人を見付けたら、よく見て、よく覚えて、それをパパとママに話しなさいって。

そうすれば、大抵の事は解決するんだぞって。


負けない、私、負けないんだから!

泣いてる場合じゃ無い。


謝ってる場合でも無かった!


「うわっ……うっざ……。あ、そういや縛れとか言ってたナ?」

「あ~そうだったかも?パイセン、ほらよ、ソレ使いなよ」


え……ちょ、待って……やめてっ!

目隠し、やだ、怖いやだ、やめて、嫌だっ!


「は~い、良い子は目隠しでちゅよ~!暴れたら」──ダンッ!

「パイセン酷いっ!マジでヤバ過ぎっしょ!ぎゃははっ──」


ど、どうして……。

どうしてこんな酷い事をして笑っていられるの?


「オレぁな、おとなしくて言う事を聞くガキと泣いてるオンナが大好物だがな、ごちゃごちゃウルセぇヤツは太っキライだ」

「ぎゃははっ!もうビビっちゃってるって!ん?……クッサ!」


そ、そんな……。

な……ナイフを顔の横に突き立てないでよ!


怖い……怖いよ……怖い、お姉ちゃん助けて!!!


「ひゃははっ!こいつ、漏らしやがった!たまんねぇ!」

「パイセンの大好物だらけじゃん……だけどマジで引くわぁ~」


──チュブッ!ジュルルッ!ジュプッ!


えっ!?

何!?何の感触なの!?


目隠しをされて……何も見えない……怖い、怖いよ!


「ぷはっ!ウメぇ……流石はエルフってか!?」

「あ~あ、始まっちまった。んじゃオレは先行ってるから」


やめてよ!こんな人を置いていかないでっ!


精霊様……助けて……私が、私に悪いところが有るなら、直しますから……どうか……どうか……精霊様……お姉ちゃん……!


「ごめんなさい。


ごめんなさい、ごめんなさい。


ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん──


──ガチャッ!


「おい、何をしてる!カシラを何時まで待たせるつもりだ!」


──な、さ……えっ?」


「んあっ!?シン入り、お前は外で見張りだろうが!」

「あっ、イケね!パイセン、カシラ待たせんのはマズいって!」


た、助かった……の?


精霊様……お姉ちゃん、どうか、どうか……私を、助けて……。







支離滅裂な悪漢に、何度も殴られ、恐怖するセスト。


精霊に、エルフ種が神と崇めるその存在に……果たして。


セストの願いは、届くのか。


精霊に愛されし姉は、セストを、家族を、救えるのか。


轟々と、村を包む嵐は……止む気配がまるで無かった。


夜は、更けてゆく。

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