第7話 人身売買

「ほら、見てください!! ごちそうですよ!!」

「う、うぅ……スースーする……」


 どこか暗い雰囲気の漂うカジノスペースを抜け、きらびやかなシャンデリアの光に照らされた休憩場のようなところへとやってきた。

 豪華な赤い絨毯、ツヤのある木材でできた壁、とても高価な石材で作られた調度品、そこは私なんかには縁のない、贅沢な空間だった。


 先程と客層はガラリと変わり、そこに居るのはほとんどが貴族たちだ。

 エレノアのドレスを借りたシャーロットはともかく、私はこの空間で浮いていた。先程までは


「ふふ、とてもよくお似合いですよ、サラちゃん」


 何故か、シャーロットが質屋で借りた品の中には、私の背丈にぴったりのドレスが入っていた。

 そして、更衣室のような一室で、私はシャーロットの手で着飾られた。

 生まれて初めてのスカートにとても気恥ずかしくなる。


「あら、見ない顔ですわね。地方からやってきたのかしら」


 ふくよかな体型の、真っ赤なドレスを纏った婦人が声をかけてきた。


「ごきげんよう。わたくしの名前はエリゼ・ローゼンハイムと申しますわ。かねてより、この催しにお誘いいただいていたので、多忙な父の名代として長女のわたくしが訪れた次第ですわ。こちらは妹のサラです。引っ込み思案な性格ですが、これを機に社交界の空気に慣れてもらおうと思いまして」


 とても堂に入った所作で、シャーロット改め、エリゼが挨拶する。

 その首には、バラがあしらわれた紋章が掛けられている。


「まあ、ローゼンハイム家の。私もよくバラを買い付けますのよ。お会いできて光栄だわ」


 名の知られた家なのか、まったく怪しまれる様子はなく挨拶が終わり、婦人と別れる。

 よくもまあ、咄嗟にそんな身分が思いつくなと、感心してしまう。


「サラちゃん、ここは貴族専用のラウンジみたいですよ。ほら、アレを見て」


 シャーロットが示したテーブルに、見たことのない豪華な料理の数々が、ずらりと並べられている。


「ここの招待客は自由に食べていいみたいですよ。幸い、格好さえ整っていれば、何も言われないみたいですし、これを機に美食を楽しみましょう」


 シャーロットの口の端によだれがうっすらと見える。

 だけど、私も同じ気持ちだ。


 香ばしく焼き上げられたお肉、じっくりと煮込まれたクリーミーなスープ、色とりどりのデザート。

 その贅の限りを尽くした一品の数々に、私も目を奪われてしまった。


「だ、駄目。今はこんなことをしてる場合じゃ……」

「ふふ、お腹が空いたら力も出ませんし、サラちゃんぐらいの年なら、たくさん食べたほうが良いんですよ」


 シャーロットは私を甘やかすかのように誘惑する。

 本当はノルマとかまだまだ解決してないことがたくさんあるのに、こんな風に言われてしまったら抗えない。

 私は今まで満足にものを食べたことがない。水のようなスープとカビの生えた硬いパン、それだけが私に与えられたものだ。


 だけど、今日は初めて丁寧な味わいのスープを食べ、目の前には豪華な料理がある。

 こんな幸せを私だけが満喫していいのだろうか……

 そう思うとためらってしまう。


「大丈夫ですよ。これからサラちゃんにはもっとおいしいものを食べさせてあげます。もう二度と盗みなんてしなくてもいいようにしてあげますから」

「な、なんで……? どうしてそこまで……?」


 シャーロットは、今日会ったばかりのシスターだ。

 それなのに、どうしてここまでして気に掛けてくれるのかわからない。

 シスターの義務? でも、他にも困ってる子供はたくさんいるし、どうして私なんか……


「ふふ、別にシスターだからとか愛と平和のためにとか、そういう理由じゃないですよ。私はただ、サラちゃんのことを見過ごせないってだけですよ」


 さっぱりわからない。

 この人のことは、今日は色々と良くしてもらった……と思う。

 だけど、それ以上にわからないことだらけだ。


 彼女がどうして私を気に掛けるのかもそうだし、この闇賭博へとたどり着くためにシャーロットは色んな機転を利かせて、ここでも慣れた様子で会場を探っている。

 一体、彼女は何者なんだろう? きっと、ただのシスターなんかじゃないはずだ。


「さてと、そろそろみたいですよ」


 あれこれと疑問に思っていると、ラウンジに貼られたガラスの側に、貴族たちが集まってソファに腰を掛けている。

 その先には先程のカジノスペースがあった。


「あれは……?」


 さっきはあまり意識してなかったけど、カジノスペースには意味深なステージが築かれており、しばらく見ていると、ステージを囲うように鋼鉄の檻が降ろされた。


「ふむ、今日のメインステージが始まったようですね」

「ええ、これを楽しみにやってきてたんだから」


 貴族たちがざわつきながら、ガラスの先を眺めている。

 続いて、小型の檻がステージの中に降ろされた。


 中には先程、大負けして連行された人がいた。

 豪華な鎧と武器を身にまとってはいるが、その身体は小刻みに震え、表情は恐怖に染まっていた。

 そして向かい側には、人の背丈の二倍はある凶暴な獅子が閉じ込められた大きな檻が乱暴に降ろされた。


 そこで私は、この催しの意図を察した。


 この闇賭博で借金を背負わされた人間は、ああして見世物の戦士として、戦わされるんだ。

 そして、ここに集まった観客たちはその勝敗を予想して賭け事を行う。

 カジノスペースはあくまでも人生にあとがない人たちの最後の救済の場で、招かれた貴族の大勢はそんな彼らの人生の行方を楽しんでいるんだ。


 あまりにも趣味の悪い催しに、私はめまいがしてきた。

 それから男は必死で戦ったけど、普通の人があんな大きな魔獣に勝てるはずがない。

 魔獣が武器を弾き、男にのしかかった瞬間、私はシャーロットに目を塞がれた。


「すみません。サラちゃんに見せるべきではありませんでしたね……」


 シャーロットが深々と頭を下げる。

 最後の瞬間は目にしてないけど、想像に難くはない。


 ここでは、あんな催しが日常的に行われているんだ。

 そのことに、私は恐ろしくなる。


「では、そろそろ行きましょうか。大体ここの事はわかりました。あとは下で稼いで……」


 シャーロットがラウンジを後にしようとした時、貴族たちが歓声を上げた。


「皆さんお待たせいたしました。エキシビジョンは楽しんでいただけたでしょうか?」

「フッ、あっさりと決着が付いてしまって物足りなかったよ」


 うやうやしい態度で従業員が尋ねるのに対し、貴族の一人は退屈そうに答えた。

 人が一人、死んでいるのによくもあんな風に言えるものだ。

 スラムでは人の死なんてありふれているけど、それでもあの光景はとても辛かった……


「それはそれは申し訳ございません。ですが、このあとの催しは決して楽しんでいただけるでしょう」

「むしろ、こちらの方を待っていたよ」

「今回はどんな商品が見られるんだい?」


 どうやら、次の催しというのはオークションというやつのようだ。

 一体どこから仕入れたのか、豪華な宝石やドレスに絵画が次々と売られ、中には堂々と盗品を謳う品もあった。


「では、次が最後の出品となります。今回は、当ラウンジの主催者の一人でもある、ヴィクター・グレイヴ氏よりの出品であります」


 次の瞬間、息が止まった。

 ステージの上に現れた人物、それは私にとって信じたくない人物であったからだ。


「サ、サラちゃん、あの人ってさっきの。それ、それに、隣にいるのは……」


 首輪に鎖で繋がれた少女が、「父」に乱暴に引っ張られてくる。


「リ、リリア!! どうして!? どうしてそこに!?」


 間違いない……私の妹のリリアだ。

 ずっと病気だと言われて会えなかったけど、どういうわけか彼女はとても綺麗なドレスで着飾って、ステージに上げられていた。

 病気という割には肌艶も肉付きも良さそうだけど、その表情は計り知れないほどに曇っている。


「なんで、なんで、リリアが!?」


 状況が飲み込めない。

 いや、本当はその状況を理解した上で、頭がそれを受け入れるのを拒んでいた。


 ーーそれとも、あのかわいいかわいい妹が、売り飛ばされても良いのかい?


 今朝の「父」の脅しが頭の中を反芻する。


「嘘……だったんだ。ノルマを達成したらなんて、全部嘘……」


 最初からこうするつもりだったんだ。

 リリアは私以上にスリが下手だったけど、とてもかわいらしい見た目の子だ。

 だから、アイツは……彼女を売り飛ばすことにしたんだ。


「シャ、シャーロット……」


 こんなのどうしようもない。

 お金なんて無い。ここからあのステージに飛び込んで、彼女を助け出すなんて私には無理だ。

 もはや、私にはシャーロットしか頼れる相手が居ない。


「サラちゃん……」


 私の手がそっと握られる。

 だけど、彼女に頼ってもどうしようもない。お金があるわけではないし、頭は回る人だけど、この状況をどうにかするなんて無謀だ。

 それなのに……


「大丈夫ですよ、サラちゃん。最後まで諦めなければ、チャンスはあります」


 ただの気休めだ。


 既に貴族たちが入札を始めている。

 ステージに人が立ち、それが競売の対象となっていることに、欠片も疑問を感じていない。

 ここでは、それが当たり前の光景なのだ。


 このままでは、リリアが誰かに「買わ」れてしまう……どうすれば。


「フム。浮浪児だと聞いていたが、随分と美しい見た目をしている。美しい水色の髪に、透き通るような翠の瞳。これは、思わぬ掘り出し物かも知れぬな。よし、五億だそう」


 髭面のガタイの良い紳士が、凄まじい額を提示した。

 前の金額の十倍近くの値段で、周囲がどよめき始める。


「い、いくら美しいとはいえ、浮浪児にそれほどの金額を出すとは、さすがはデュモン侯……」

「私もぜひとも欲しいが、億超えというのは……」


 これで全てが決してしまう。

 聞くに、彼はかなりの地位の貴族だ。そんな人物にリリアが渡ったら、一体どうすれば……?


「それならば、わたくしは十億、出しましょう」


 その時、とんでもない金額が飛び出た。

 隣にいたシャーロットからだ。

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