第2話 幸せの達人

 スリに失敗し、うまく言葉に出来ないもやもやを抱えていると、シスターは私をそっと立たせた。


「うん。怪我は無さそう。よかったよかった」


 そうして満足そうな笑顔を浮かべ、散らばったパンを拾い集めている。

 無警戒で無防備なその姿を見れば、すぐに財布も、パンだって盗める。

 だけど、そうする気になれなかった。


 ぐぅ……


「っ!?」


 妙ないたたまれなさの中で、私のお腹が鳴り出した。

 稼ぎが少ないせいで、私はこの数日、食事を抜かれていた。

 そのせいで、目の前を転がるパンに目が奪われてしまったのだ。


「あなた、この辺りに住んでる子ですよね? 良かったら、一緒にお食事でもどうですか?」

「え……?」


 驚いたことに、シスターはそんな提案をしてきた。

 とても魅力的な提案だった。だけど……


「そ、そんな義理ない。それに私はあなたから……」


 そう言いかけて言葉に詰まった。

 「あなたから財布を盗ろうとした」なんて馬鹿正直に言ってどうする。


「あら、シャーロット。こんな所で何やってるのかしら」


 どうしたらいいか分からないまま立ち尽くしていると、シスター――シャーロットというみたいだ――の知り合いがやってきた。

 いかにも貴族らしい上品なドレスを着た紫髪の女性が、石畳をカツカツ鳴らしながらやってくる。

 その隣には取り巻きの貴族っぽい女の人が控えていた。


「久しぶりですわね。シャーロット、罪人の娘がよくもおめおめと、帝都を歩いているなんて、世の中どうなってるのかしら」


 いやみったらしい声で、シャーロットに絡むが、当の本人は気にする素振りも見せずに答える。

 罪人の娘……とても気になることを言っている。


「まあ、エレノア!! 奇遇ですね!! 実は今日はパンを買いに――」

「ふーん。パンってこれのことかしらっ!!」


 エレノアと呼ばれた女性の隣に立つ取り巻きの女性が、シャーロットの言葉を遮った。


 そして、悪意のこもった視線を向けながら、地面にちらばったパンを思い切り踏みつけた。

 針のように細いヒールの部分でグリグリとそれを踏みにじる。


 私は、その光景に怒りが湧いた。


「ちょ、ちょっと!! 食べ物を粗末にするなんて……!!」


 まずい……

 つい、その人の腕を掴んでしまった。

 別にシャーロットをかばうつもりはなかったけど、目の前で食べ物を粗末にされて、黙っていられなかった。


「チッ……誰かと思えば、みすぼらしい下民……」


 底冷えするような、心底見下しきった視線が向けられた。まるで汚らわしいものでも見るかのようだ。

 人はこんな表情が出来るのかと、背筋が寒くなる。

 「父」が私に向ける視線とは、また別の恐怖が私を襲った。


「え、あ……わ、私は……」

「帝都の街並みを穢すゴミが……気安く私に触れないで!!」


 苛立ったように手に持っていた杖を振り上げた。


「お、お待ちなさいな、オリヴィアさん!!」

「止めないでください、エレノア様!!」

「ぶへっ!?」


 隣の貴族が慌てて止めようとするが、頭に血が上ったオリヴィアに殴り飛ばされてしまった。

 直後、まるで鬱陶しい羽虫を叩き潰すかのように私に振り下ろされた。

 私は恐怖のあまり、とっさに目を閉じ、じっと耐えようとする。


「……?」


 しかし、振り下ろされるはずの杖の衝撃は一向に来なかった。

 ゆっくりと目を開いてみると、私を庇うようにシャーロットが私を抱きとめていた。

 その背に杖の殴打を受けながら……


「な、なんで……?」


 そう言いかけると、シャーロットが唇の前で人差し指を立て、いたずらっぽくウィンクしてきた。


「そんな不潔なゴミをかばうなんて、さすがはミス・ハーロット娼婦ですこと」

「この子はゴミなんかじゃありませんよ。それにオリヴィアさんこそ、随分と短気で野蛮なんですね」

「なっ……罪人の娘の分際で!!」


 シャーロットがわざとらしく挑発すると、オリヴィアと呼ばれた貴族が再び杖を振り上げた。

 隣の女性の制止もむなしく、頭に血が上った彼女は止まらない。

 そして、私をかばったままのシャーロットに杖が振り下ろされた瞬間ーー


「このような往来で、貴族令嬢が暴力沙汰など、いささかやりすぎではないか?」


 振り下ろされた杖は、剣身によって阻まれていた。

 割って入ったのは銀の髪の背の高い男性であった。


「こんな大通りのど真ん中で喧嘩かよ」

「待って。あの方、騎士団長のレオン様じゃない?」

「ほ、本当だ。帝都の守護神がどうして?」


 やがて、騒ぎを聞きつけて大勢の人たちが集まってきた。

 野次馬半分、銀髪の騎士目当ての人半分といった雰囲気だ。


「レ、レオン様……こ、これは……」

「オリヴィア、その杖をしまうんだ」

「そ、そうですわ、オリヴィアさん!! いくらなんでも、暴力に訴えるなんて、貴族としてあるまじき行いですわ!! しかもこんな小さな子にまで……」

「も、申し訳ございません、レオン様、エレノア様……!!」


 二人に止められて、オリヴィアが杖を収めた。

 どうやら、ひとまずこの場は収まったようだ。


「ですがレオン様、この女は罪人の娘です。それにも拘わらず、女神のしもべたるその衣服を纏うなど……」

「罪人の娘? もしかして、君は?」


 銀髪の騎士レオンが驚いたような表情を浮かべる。


「はは……久しぶりですね。レオンくん」


 シャーロットがなんだかバツの悪そうな表情を浮かべている。

 ここも知り合いなのだろうか?


「ひ、久しぶりって、今までどこで何をしてたんだ? それに、その服は……」

「まあ、込み入った話は追々。それよりも騒ぎになってますよ」


 周囲に集まった野次馬たちが、レオンと呼ばれた騎士を見て騒いでいる。

 私は知らない人だけど、有名な人なのかも。


「色々気になることはあるけど、今回はここで立ち去った方が良さそうだ。とにかく……君が元気そうで良かったよ」


 レオンがその場をあとにすると、慌てたようにエレノアたちも去ろうとする。


「と、とにかく、私達も長居するのはよしましょう、オリヴィアさん」

「フン、娼婦ハーロットの分際でレオン様と……」


 オリヴィアは激しい敵意を向け、怒りが収まらないと言った様子だ。

 そして、去り際に野次馬に怒鳴り声を浴びせる。


「人が多くて邪魔ね!! 下民共、これは見世物じゃありませんのよ」


 そして、人混みを避けるように道路の脇を通った瞬間……


「え? あ、きゃああああああああああああああ!?!?」


 オリヴィアのヒールの足が折れ、体勢を崩したかと思うと、側溝に突っ込んだのだ。


「ぶべっ!? な、なんですの、一体」


 ついでにエレノアも一緒になって倒れ込んでしまう。そして泥をかぶったエレノア達を見て、野次馬たちが一斉に大笑いした。

 恥ずかしさのあまり、オリヴィアがシャーロットに抗議する。


「っ……ハーロット、あなた!!」

「ふふっ……なんですか、オリヴィアさん?」


 シャーロットがいたずらっぽく微笑む。


「あなた今、何かしましたわね?」

「何かって、そんな訳ありませんよ。それよりも、ヒールは折れやすいですから、扱いに気をつけたほうが良いですよ。先程もグリグリと粗末に扱っていたようですし」


 シャーロットはとぼけた様子だが、取り巻きのオリヴィアは怒り心頭という様子だ。


「っ……覚えてなさい。あなた程度の人間、お父様が本気を出せばいつでもひねり潰せるのよ……」


 しかし、泥まみれの格好で、凄まれても迫力など感じられない。

 私は、捨て台詞を吐いて逃げていく彼女たちを見て、くすりと笑う。


「えっと、今のはわざとそうしたの……?」


 シャーロットに尋ねる。

 先程、浮かべたいたずらっぽい表情。まるでこれから起こることを予想しているかのようだった。


「まさか。私なんかに、そんな真似できませんよ。ただ、オリヴィアさんの靴はヒールが傷んでいたので、このまま側溝の近くを通れば面白いことになるなあって思っただけです」


 そうは言うものの、なんとなく底知れないものを感じる。

 確証はないけど、わざとに思える。


 さっきシャーロットはわざとらしく、オリヴィアを挑発した。

 そのせいで騒ぎが大きくなって、道路を埋め尽くすほどの人が集まった。


 だから、貴族の女は側溝の近くを通って、タイミング悪くヒールを折ったんだ。

 ……そんな気がする。


「それよりも、お昼にしましょう。パンは……だめにされましたが、新しいのを買えば…………あ」


 地面に散らばった物を拾い集めていると、シャーロットがあっけにとられたような表情を浮かべた。


「財布がありません……どこにも!!」

「え……?」


 先程、荷物を散らばせた時に盗られたのだろうか?

 元々、私が狙っていた獲物なだけに、こうして横取りされるのは悔しい。


「も、もしかして、今の人混みで!? そんなぁ……」


 やっぱり、わざとじゃないかも。

 狙ってあの状況を引き起こせるほどの人なら、こんなにうっかり財布を無くすはずがない。


「はぁ……まあ、いいでしょう。なんたって、中にはもうお金なんて入ってませんしね!! それに、どうせすぐに返ってきますから」


 などと呑気なことを言っている。

 見たところ、彼女の財布は非常に高価な作りであった。

 中身もかなりのものだと思ったが、案外お金に困っているのだろうか。


「あ、失礼なこと考えてますね!! まあ、私が貧乏なのは事実ですけど!! 明日からしばらくは水とカビたパンで過ごしますけど!!」


 心でも読んだのか、彼女は悲しい事実を告げる。

 教会のシスターなんて、もっとまともな物を食べてるイメージだったけど、給料は低いようだ。

 もしかしたら、さっきのパンは彼女の出来る、ささやかな贅沢だったのかもしれない。


「それなら、あんな財布売っちゃえばいいのに……」


 つい憎まれ口を叩いてしまった。

 本当はさっきかばってくれたお礼を言わなきゃいけないはずなのに。


「あれは父からの贈り物で、大切なものですから。でも、そうですね。今回は、少し気を抜いてました。今度はもっと気をつけないと」

「気をつけないとって、盗んだ人を探さないの?」

「そんなこと言っても、今はお腹が空いて空いて……あなただってそうでしょう?」

「ち、違う……!! あなたなんかと一緒にーーーー」


 グゥ……


 お腹の虫が盛大に鳴り響いた。

 そんな私の様子を見てシャーロットが憎らしげに笑った。


「それじゃ改めて、ご飯でも食べに行きましょうか。財布はどうにでもなりますから」


 シャーロットは私の腕を無理矢理に引っ張った。


「おっと、自己紹介がまだでしたね。私の名前はシャーロット。幸せの達人です!!」

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