第51詩 『月夜たる真夜中の真下でお互いに触れ合いながら語り明かし輝きを仰ぐ』

 ムーンライトの真下のソロ演奏の残響。

 実際のところは、残響と呼べるような音色は皆無に等しいけれど、彼女たちの脳裏に刻まれて反芻する。

 静々とした真夜中とは思えない戦闘の果て。

 バレーノは弦楽器のブリランテを抱えたまま、そんな天辺の灯火と、涼やかな夜風を感じながら、明日が楽しみで眠れずに他の子を叩き起こす困った御転婆少女たちのように、バレーノとブリランテは持ちつ持たれづな、他愛のない話を交わす。


「……今回のことをきっかけにさ、そっちも弦楽器の練習とかって、やっぱりしない?」

『しない』

「えー……センスはあると思うんだけどなー」

『センスだけじゃ、やっていけないよ。芸事でも何でも、いずれどっかで論理的に捉えられないと進歩しないし、モチベーション続かない』

「それを解ってるなら大丈夫じゃ——」

『——じゃない。まず……覚えることが多すぎるし、指をちまちまちまぢま動かさないとだし、仮に覚えて動かせたところで誰かをぶっ倒せねえ……あたしは遠慮しとく』

「もう。なんでそういつもいつも誰かを傷付けるようなことをわざとらしく言うの。本当はもっと優しい子なのにさ……言ってることはキツイけど、やってることは大体困ってる誰かのためじゃん。この捻くれ者」

『捻くれ者で悪かったな』

「あーそうだ。思い出したっ! そういえばさっき楽器を放り投げたでしょ! あれ許してないからねっ!」

『今更ほじくり返すなよ、めんどくさい。もう終わったことだろ? 相手の裏をかいただろ? 武器を飛ばしてやっただろ? 最高じゃん。この弦楽器の姿ってめちゃくちゃ頑丈だしよ』

「何言ってるのっ。楽器っていうのはねっ! 作り手の職人さんの精緻な技巧の結集なの! たったの一ミリでもズレたら音質が変わってしまう繊細な性格をしてるんだよ。こだわりにこだわり抜いて、中でも演奏者の要望に合わせたオーダーメイドまで叶えたい逸品もあって、なんの素材を使ったのか不明瞭なプライスレスの歴史的名器もあって、一つ一つが——」

『——ああーもうそれ聴き飽きてる聴き飽きてる……楽器を投げ飛ばしたことを怒ってるんだろ?』

「……そうだよ」

『ならそっちの話をしてくれよ。なんで毎回毎回楽器の成り立ちを聴かされなくちゃいけないんだ……というか、あたしたちは職人の手によって作られた楽器じゃないだろ』

「……そう言うことじゃない。わたしが言いたいのは、どの楽器にもそれぞれの性格があるってこと……つまり、一つ一つが違う心を持ってるの。わたしたちの場合は特殊かもしれないけど、心が、魂が、宿っていることに、もっとも寄り添える立場になってるの」

『心ね……それも何回も聴いたやつだけど、この身体で心なんてねぇよ……とは言えねぇよな』

「そうっ! それを分かってるんだよ!? 分かっているのにっ! なんで楽器を投げ飛ばす発想に至るのって言ってるのっ! 楽器が泣いてるよ!」

『えー? だって普通に凶器になるじゃん? 無駄に尖ってるし、重いし……そもそもナイフとかだって他人を刺すんじゃなくて、料理とかに使うためのものだし、楽器を武器にするのもそれと同じだろ?』

「同じって……でもやっぱり、本来の用途で使われないと——」

『——というか、そっちだってあたしのことを盾に使ったじゃん。どうなのー』

『あれはブリランテが立ち回りやすい場所を考えて構えたところに、向こうの攻撃が入って来たから……』

『たまたま?』

「……たまたま」

『そう、それなんだよ武器って言うのは。たまたま襲われたりして、たまたま咄嗟に握って応戦する。それがナイフだったり、楽器だったり、その辺の石ころだったり、子どもの頃に遊んでいたオモチャだったり……武器ってのは、そういうもんなんだよ。そこに居るクレイってやつが盗賊になったのだって、そんな理由なんじゃねぇ?』

「……その屁理屈は、少し分かる。でも大切に扱って欲しいと、わたしは思う。特にこの楽器に関しては……例えばわたしが弦楽器のときに、今日みたいに投げ飛ばされて壊れたら、ブリランテも一緒に壊れるなんてこともあるんだからね? 保証どこにもないからね?」

『……分かったよ。今度から優しく投げる』

「投げるのを辞めなさい」

『はいはい……はぁあ、こんな会話のせいで、あたしたちは周りから不仲扱いだったって言うのに——』

「——周りからの意見なんて関係ないよ。わたしたちだけ……通じ合っていればいい」

『嬉しいこと言ってくれるじゃん? ああいや、コンプレックスを拗らせてるのかな?』

「普通に嬉しいでいいでしょ。ブリランテこそ拗らせてるんじゃないのー」

『別に、そんなんじゃないよ。ただこんな姿になっちまったけど……まあ悪いことばかりじゃないなって、しみじみ思っただけ』

「……わたしはブリランテと一緒に演奏したいから不満だよ。この状態じゃ一生出来ないから」

『ええー……あたしは嫌。比べられてあたしの下手さを突き付けられるだけだし』

「合奏って、下手比べじゃないよ。お互いに呼吸を合わせて、奏でる音色のことなんだから」

『……うちは、そうだったじゃん』

「あれは……合奏とは言わない。ひたすら個人の能力を研鑽するやり方だから……あとブリランテがムキになり過ぎるんだよ」

『……とにかく。あたしはこの状況に救われた部分はあるし、弦楽器の姿でもそんなに身体が衰えることもない。道端で寝転がるくらい、他人に配慮しなくてもいいから気楽で良い……吟遊詩人の演奏にも、携われるしな』

「ブリランテからしたら、そうなんだ。わたしの感想とはやっぱり違う」

『……だろうな』

「わたしにとってはこの現象こそ……【滅びの歌】だよ。心は通じてるけど、大好きな妹と一緒に歌を唄えない、同じ楽器を弾き鳴らし合えない……あの頃みたいに、おもちゃのピアノでズンチャンズズンチャンって、めちゃくちゃに鍵盤を叩いて、へんちょこりんな歌詞を唄う……そんな日常を、滅ぼされた」

『……どうかな。あたしが捻くれてる間は、どのみち一緒に音楽なんてやらなかっただろうし……今頃、はなればなれになってたかも』

「わたしが言ってるのは可能性の話だよ、ブリランテ。一緒に歌い合って、弦を響かせ合ってたかもしれない未来が、この状況ではあり得ない……そんなの、わたしは嫌だ……またちゃんとブリランテの顔を見て、お話したい」

『……こだわり過ぎだよ。あたしたち顔だけじゃなくて、身体や髪型までそっくりじゃん。並んで立ってるだけならどっちがどっちか判らないって、何度も言われたよ? 鏡をみて話すのと変わらないって』

「全然違うよ」

『どこが?』

「……ホクロの位置」

『それお腹の上側か下側にあるかの違いだろっ。そのローブを脱がないと分かんねーわ』

「まあ……それは本当だけど冗談として。わたしよりブリランテの方が、表情が豊かなんだよね。逆に思われがちだけどさ」

『……そんなの誰かに伝わらないだろ。何が冗談だ、それこそ冗談に使え』

「あはは確かにっ」

『……あたしはその笑顔に敵う気がしないよ……なあ、ルーチェ——』


ブリランテはバレーノのことをそう呼ぶ。

かつての彼女の本名を久々に。


「——ふふ……今のわたしは、バレーノだよ? そもそもブリランテが名付けてくれたんだよー? もっと呼んでくれていいのに」

『……なんか、小っ恥ずかしいだろ。意味が安直過ぎて。そっちがブリランテブリランテって気軽に呼ぶ方がおかしいっ』

「ふふんっ。いいでしょ、ブリランテって名前。華やかにだんだんと輝く、月が瞬くこの夜にはぴったり」

『新月なら真っ暗で何も見えないけどな?』

「もう、すぐそう言う……そこから、輝くんだよ」

『どうかなー?』

「どうかなー……じゃないよっ。わたしなりにかなり熟考して付けたんだから」

『……そうだったな。あたしの元の名前の比喩表現を音楽用語として引用したのが、ブリランテ……悪くはない』

「悪くない?」

『ああ悪くないっ。でも別に良くもないっ。もっとカッコいい名前にしてくれても、良かったのになー』

「今から変える?」

『……冗談だよ。せっかく付けてくれた名前なんだ、大事にするよ……バレーノ』

「ふふ、わたしもだよ、ブリランテ」


 真夜の暗幕を照らす、華々しい月明かり。

 その閃く光はバレーノとブリランテそれぞれの、瞳孔と七つの弦を銀白に輝かせる。

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