ソノキスタンプ ~小さな魔女となりゆきの弟子~
まやひろ
第一話 ある日の占い館
「あなたはとっても頑張っていると思うけどなぁ」
茶色のローブをすっぽりとかぶったアプリが程よく冷えたエクレアをもぐもぐと食べている。
「いいえ、まだやれることはあるんです!」
切れ長の目で整った顔立ち、長髪の美少女、
壁にはレトロな振り子時計が並び、室内には淡い花の香が漂っている。
二人はメガネやクリスタルの小物が並ぶガラスのショーケースを挟んで話していた。
「うーーーん」
アプリは指についたチョコを舐め、腕組みして天井を見上げる。
「アプリさん、ちゃんと指拭いて」
美菜がアプリに紙ナプキンを渡した。
「ああ、どもども。このエクレア、定番だけにいつ食べてもおいしいねぇ」
「アプリさんあいかわらず指ちっちゃいなぁ」
指を拭くアプリを見ながら美菜がぼそりと呟く。
「そうかなぁ? シラウオのようなとは言わないけどスラッとしてない? それなりに器用な方だと思うし」
美菜はわずかに眉をひそめ、シラウオと言うよりは正直イモ? と言いたくなる指を見て。
「なんでこの指であんな細かい……」
「んー?」
「いいえ」
美菜は考えても仕方ない、と頭を切り替える。
天井には本物のアルコールランプの炎が灯っていた。
揺れる炎に照らされたアプリの顔は長い前髪で半分以上隠れているが、美菜とは対象的に目をつむっていてもかなりのタレ目だと分かる。
「んー」
アプリの眉はまだ悩み、歪んでいた。
美菜はそろそろかな、と次の矢を放つ。
「そういえば今日発売のチョコシューがありましたよね」
「えっ? それって、あの『季節限定 さっくり生地のベルギーチョコ入りシュークリーム』の事?」
「実はここにあるんですけど、どうしようかなぁ」
「うっ……」
美菜がオレンジ色の小さい手提げをチラチラと揺らすとアプリはバッグの揺れに合わせて頭を振り、そして数秒後に「降参」と足元から大きな銀色のコスメボックスを取り出した。
美菜の瞳がきらりと輝く。
「そこまでお願いされちゃあ仕方ない。お代はもらっちゃったし。やるなら本気。よし、じゃあアイラインとあと周りをちょっといじろうか」
「やった! あ、ナチュラルにですよナチュラル。あくまでも自然にです」
美菜がショーケースに肘をつけ、慣れた仕草で目をつむる。
「わかったよ。じっとしててね、お客様」
さっきまでのふわふわした口調から一転、その一言だけは確かなオトナの口調だった。
閉じたまぶたに細い筆が近づく。
穂先は痙攣しているかのように細かく動き、塗るというよりも何かを描いているかのような動きだった。
物音一つしない時間が過ぎ、秒針の音がうるさいくらいに響く。
「……よし」
アプリがうん、と頷いて筆を置く。
美菜のまぶたには、まつげに沿ってうっすらとアイラインが描かれていた。ぱっと見は化粧したとはほとんどわからないのに、顔の印象は明らかに変わっている。
鏡を見た美菜はほう、と顔をゆるませる。
元がいい子は薄化粧が映えるなぁ、とアプリは半ば呆れながら思っていた。
「じゃ、最後の仕上げ、と」
その言葉に美菜が大きな瞳を更に丸くし、早く早く、と顔を近づけ目を閉じた。
アプリは落ち着いて、と困ったような顔で微笑む。
アプリが指先にファンデーションを付け、パフにうっすらとうっすらとなにかの模様を描いた。パフを見ても何も見えないくらいに薄い。
「いくよ」
美菜は返事をするかわりに小さく頷く。
アプリは美菜の頬にパフを寄せ、遠くで鳥がさえずっているような小さな声で何かを唱えながら頬に触れさせる。
ぽん、ぽん、と頬に触れるたびにファンデーションの触れた頬が雪の結晶のようにきらめいた。
美菜は小鳥が吐息を吹きかけたようなくすぐったい暖かさにピクリと身を震わせる。
「ん、スタンプ一丁上がりだよ」
アプリの言葉に美菜が目を開ける。
「わぁ……」
改めて鏡を見る。
大きな瞳が輝いている。
美菜は自信に満ちた笑みを溢れさせていた。
「うん、……うん!」
何かを言いたいのに言葉が出ず、美菜が椅子の上で体を跳ねさせる。
こういうところは年相応だな、とアプリも顔をほころばせた。
「ところでさぁ」
「何ですか」
上機嫌の美菜が上の空で返す。
「学校は?」
「えっ?」
壁の振り子時計を見る。時計の針は八時五分を過ぎていた。
「あっ! ヤバ! 遅刻する! ありがとうございます! また今度!」
美菜は素早く頭を下げ、置いていたランドセルを掴んで飛ぶように出ていった。
「気をつけー……って、あああっ! ちょ! しゅ、シュークリムぅ!」
美菜は手提げも持っていってしまった。当然中身もそのままに。
「ああ……」
アプリは恐る恐る扉から顔を出すがもう美菜の姿は見えない。
「チョコシュークリームぅぅ……」
アプリは捨てられた犬のようにしょんぼりとした顔で空を見上げ、太陽の眩しさに目を細める。そして体がしぼんでしまいそうなほどのため息をついてからそっと扉を閉めかけ……。
「おっと」
もう一度顔を出し、扉にかけてある『閉店』の看板をくるりと回し、アプリは店の中へ戻っていく。
『占い中♪』の看板が風で静かに揺れていた。
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