第15話 花屋

一週間後。エレンはすっかり良くなっていた。熱も下がり、あちらこちらにあった怪我も、すっかり綺麗になっている。

「こんなに丁寧な治療を受けたのは初めてだよ。ふふ、ありがとう。俺は運がいいね」

 包帯がとれた手で、スープを飲みながらエレンは向かいのレインに微笑んだ。その様子に、レインもすっかり上機嫌だ。

「レイン。ご機嫌なところ申し訳ないが、食べたら手伝ってくれないかい。ワタシでは、何が何やらサッパリだ」

 扉の向こうから、ローシュがそう声をかけた。手には花を持っているが、種類がめちゃくちゃだ。

「うん、分かった。すぐ食べちゃうから、もう少し待ってね。」

「ゆっくりで構わないとも。すまないね」

 この家は、一階が花屋になっている。小さな花屋には、レインの両親が生きていた頃に受注していた花で溢れていた。一月先までの仕入れの予定が決まっていたようで、ローシュもレインもその処理に追われている。

 まだ六歳のレインであるが、花の知識は大人顔負けで、彼がいなければ今頃家中が花で溢れかえっていたかもしれない。レインが仕分けをし、ローシュが持ち前の商売能力で花を捌いているおかげもあって、むしろ元店主の時よりも売れ行きはいいらしい。受付にちょこんと座っているレインの姿は大変愛らしく、それ目当ての客も少なくない。昨日は近所のマダムがお菓子をくれたと、大層喜んでいた。

「レイン、俺に何か手伝えることはあるかい?花の見分けはつかないけれど、荷物持ちくらいなら出来るよ」

 一週間、ひたすら寝て食べてを繰り返したエレンは、正直なところ暇を持て余していた。自分でレインのものになると決めた以上、勝手に家を出るのもはばかられる。何より、怪我を治してくれたことに恩がある。彼は仕事を選ばない冷静な一面を持つ一方で、恩を忘れるような人ではなかった。

「うーん、無理はしない?」

「しないとも。そろそろ動かないと、寝たきりになりそうだよ」

「ふふ、分かった。それじゃあ、これを食べたらお店開けるの手伝って。あ、エプロンあるかしら。僕のじゃ小さいものね、それも探すね」

 二人は朝食を食べ終え、花屋のある一階に向かう。ローシュがレジの釣り銭を数えているところだった。

「おや、今日は二人ともお揃いかい?」

「うん。エレンが、何か手伝えることはないかって」

「それは上々。そろそろキミも、身体を動かしたくなる頃合いだろうとも」

 レインに花の説明を受けながら、あれやこれやと移動させていく内に、あっという間に開店時間になった。以前より営業時間を短縮しており、花屋にしては遅い十時に店は開く。

「あら、今日はもう一人いるのねぇ」

「あ、ステラおば様!今日も来てくれたの?」

 開店後、早速現れたのは一つ隣の路地に店を構える女店主だ。ローシュより幾ばくか若いであろう彼女は、この街一番のケーキを焼く腕前の持ち主だ。レインの両親が生きていた頃から度々花を買いに来ていたが、レインだけになってからは、ほぼ日をおかず訪れている。

「レインちゃんに会うのが楽しくてねぇ。今日も来ちゃった。そちらの方は?見たところ、この辺りでは見かけない顔だけれど」

 ステラは笑顔でエレンを見る。その瞳には警戒の色が浮かんでいる。突然現れたエレンを、不審に思っている様子だ。そのことに気づいたエレンは、ふわりと笑ってみせた。

「エレンと申します。今日からこちらで働くことになりました。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 丁寧なお辞儀までしてみせたエレンに、ステラは目を丸くしている。

「今日は、何かお探しですか?」

「え、えぇ。レインちゃんに、ピンク色のブーケを作って欲しくて来たのよ」

「かしこまりました。レイン、どれを持ってこようか?」

「えーっと、じゃあラナンキュラスと──」

 エレンは指示通りに花を運び、残りの作業をレインに任せた。その様子を見ていたローシュが、小声で声をかける。

「エレン。随分手慣れている様子だが」

「貴方の想像する通りだと思うよ。俺は、俺の価値を一番知っているからね」

 そう笑ってみせるエレンに、ローシュは彼がどんな生き方をしてきたかを察した。

「ふむ。レインは、良い拾い物をしたかもしれないね」

 レインがステラを見送るのを見ながら、ローシュは今後のことを考えていた。

 

「ふー、これで今日はおしまい!いっぱい売れたねぇ」

 夕方、花屋を閉めた後。今日納品された花の八割ほどが売れ、レインは随分とご機嫌な様子だ。

「こんなに売れるなんてすごいねぇ。初めてかも」

「そうなのかい?ふふ、売り上げに貢献出来たようで何よりだよ」

「今日はありがとう、エレン。明日はお店、おやすみなの。久しぶりに動いたから、疲れたでしょう?明日はゆっくりしてね」

「ありがとう。レインはどうするんだい?」

「僕?僕は別の仕事があるから」

 レインの言葉に、エレンは首を傾げた。花屋以外の仕事が、この小さなレインに?

「今日はありがとう、エレン。おやすみなさい」

 幼いレインの夜は短い。夕飯も入浴も済ませると、レインは早々に自分の部屋に引き返した。リビングには、エレンとローシュだけが残っている。

「ローシュ。レインの仕事というのは、一体いくつあるんだい?」

 レインを見送ってすぐ。エレンは事情を知っているだろうローシュに訪ねた。コーヒーを飲みながら、ローシュは話し出す。

「花屋は、レインの母──ワタシの姪がやっていた仕事だ。レインの本来の仕事は、父親がやっていたものだよ。この家は花屋も営んでいるが、元来葬儀屋でね」

「葬儀屋?」

 エレンには、縁もゆかりもない職業だ。エレンが生きてきた世界には、誰かの死を悼むという行為はないものだった。皆、それどころではないのだ。

「明日、レインの仕事を見るといい。キミなら、大丈夫だろうからね」

 ローシュの意味深な発言に疑問を抱きながらも、エレンはうなづいた。

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