第7話 死生観

あれから数ヶ月が過ぎた。季節はすっかり夏だ。外に出ると日差しが眩しい。この街の夏は短いけれど、太陽の輝きは日々増している。

「レイン、ちょっといいかしら?貴方宛のお手紙がきているの」

 二階でご遺体を処理していると、リリーがやってきた。手には一通の手紙。爽やかな水色の封筒には、僕の名前とオラトリオの文字。

「オラトリオ……は、きっと彼だよね。何かあったのかな」

 リリーから手紙を受け取り封を切る。滑り出てきた手紙には、丁寧な字でこう書いてあった。

 

 『日差しが眩しい時期となりました。いかがお過ごしでしょうか。

 二週間後にマリアンヌ姉様の小旅行に、同行させていただくことになりました。そこで突然なのですが、レイン様もご一緒しませんか?貴方ともっとお話がしたいのです。ぜひご検討ください』

 

 彼はエレンに似ているけれど、字は似てない。エレンはかつて読み書きができなくて、大きくなってから覚えたから、あまり綺麗な字ではなかった。

「まぁ、旅行のお誘いね!素敵ね、行ってきたらどうかしら?」

「うーん。僕がここを空けるのは、難しいかな」

 花屋を閉めるわけにはいかないので、リリーを置いていくことになる。それが気がかりだった。それに、エレンのこともある。あまり離れた場所には行きたくない。

「でも、あなたに特別なお話があるのではないかしら。あの小さなお客様、あなたにとても関心があるようだったし」

「……随分背中を押すね?」

「ふふ、たまにはあなたに羽を伸ばしてほしいからよ。お店のことはわたしに任せて、いってちょうだいな。今は作品の仕事はないでしょう?」

 夏は神さまが遠いのか、依頼がグッと少なくなる。この街の夏は人が死ぬほど暑くはないから。今受けてる一件さえ終われば、しばらくは予定もないだろう。

「うーん、リリーがそこまでいうなら。返事を書くよ、便箋と封筒はどこにある?」

「机の一番右の引き出しよ。以前あなたがそこに入れたから、動かしてなければね」

「ありがとう、探してみるね」

 仕事道具以外にあまり頓着がないので、こういう細かいものをどこにしまったのかは、リリーが覚えていてくれている。リリーが来るまでは、なくしものも多かったものだけれど。今はかなり少なくなった。目的の引き出しには使っていないレターセットが2通分。文面、どうしようかな。あまり難しい単語は使わない方が良いだろうか。そんなことを考えながら、返事を書くことにした。

 

「荷物はこれで全部かしら?忘れ物はない?お財布はあるかしら?」

「うん、大丈夫だよ。必要なものは全部持ったよ」

 手紙が来てからちょうど二週間。なんだかあっという間に約束の日になってしまった。迎えに来てくれた馬車は、随分と立派なものだ。

「リリー、もし何かあったらハルカのところに連絡してね。すぐに来てくれるように頼んであるから。花屋の方は明日予約の人が受け取りに来るから、渡してあげて。ええと、それから」

「ふふ、そんなに心配しなくても大丈夫よ。早く行ってあげて。小さなお客様が首を長くして待っているわ」

 リリーが指を指すを見ると、馬車の中からそっとオラトリオがこちらの様子を伺っていた。これ以上待たせるのは確かに申し訳ない。後ろ髪を引かれる思いで、馬車に乗った。出発した馬車に向かって、見えなくなるまでリリーは手を振っていた。

「今日は、ありがとうございます。一緒に来ていただけて本当に嬉しいです」

 馬車が出発してすぐ、オラトリオが声をかけてきた。

「こちらこそ、招待いただきありがとう。その、本当に僕がついてきて良かったのでしょうか?今回はミス・マリアンヌとオラトリオのための小旅行なのでは?」

 オラトリオの隣に座っているマリアンヌは、すこし驚いた顔をした後、優雅に笑ってみせた。

「ええ、もちろん。今回の旅行は、オラトリオの希望を目一杯叶えようと思ってのものなの。オラトリオが望んだのだから、貴方のことも歓迎するわ」

「そう、そうなの。ありがとう、オラトリオ。僕を選んでくれて」

「こちらこそ、お付き合いいただきありがとうございます!レイン様ともっとたくさん話してみたくて。道中まだまだありますし、よければお話してくれますか?」

 オラトリオの目は輝いている。もちろん、とうなづき返し。目的地に着く間、僕とオラトリオ、時々マリアンヌも混ざりながら他愛無い話をした。

 馬車が走ること数時間。時々休憩を挟みながら、ようやく目的地に到着した。馬車を降りる。長時間座っていたためか、少し腰が痛い。うんと伸びをして、辺りを見渡す。

「わぁ、海だ」

 目的地のことをあまり聞いていなかったので、目の前に広がった景色に驚く。水面に反射した光が、キラキラと輝いている。

「ふふ、驚いたかしら。私の家が所有する敷地の一つなの。あちらに別荘があるから、そちらに行きましょう」

 マリアンヌについて砂浜を行くと、小さな家が見えてきた。白を基調にした可愛らしい外装。中に入ると、思ったより涼しくて思わず息をついた。

「オラトリオの希望で、今回は使いの者は別のところに待機しているわ。食事の時には来るから安心して頂戴。不便かもしれないけれど、その分ゆっくりできると思うわ。私も自由に過ごすから、二人もゆっくりしていって」

「マリアンヌ姉様、ありがとうございます。あの、荷物を置いたら早速外を見てきていいですか?わくわくが止まらなくて」

 オラトリオはとてもソワソワして、落ち着きがない。本当に海が楽しみなことが伝わってくる。その様子は年相応の少年だ。

「ふふ、構わないわ。楽しみにしていたものね。でも、あまり遠くには行かないで。海は美しいけれど、危険な場所でもあるの」

「はい、気をつけます。ふふ、楽しみです!荷物を置いてきます」

「オラトリオはこの部屋、レイン様はその奥を使ってくださいませ。私はこちらの、水色の扉の部屋にいるわ」

 指定された部屋に入る。海の見える大きな窓がついた、落ち着いた内装。波の音が遠くに聞こえた。荷物を整理していると、ノック音がした。オラトリオだった。

「あの、レイン様。よければ、一緒に外に行きませんか?帽子もお持ちしましたので」

 そう尋ねる彼は、すぐにでも外に行きたい様子だ。先ほどマリアンヌが言っていた通り、海は危険な場所でもある。頼りないかもしれないけれど、僕がついて行った方がマリアンヌも安心するだろう。

「うん、いいよ。一緒に行こう」

「ありがとうございます!では、行きましょう!」

 オラトリオから帽子を受け取り、外に出る。自然と繋がれた手が、早く早くと僕を急かす。慌てなくても、海は逃げないよ。そう微笑んで、彼の進む方へ向かった。

 

 砂浜をしばらく探索した後。ちょうど良い岩場があったので、休憩することにした。少し洞窟のようになっていて、しっかりと日陰がある。風の通り道のようで、奥から静かに涼しい空気が流れる。道中拾った貝殻を数えながら、ふとオラトリオは話しだした。

「レイン様は、海にきたことがありますか?僕はなくて。だから、海に行きたいとお願いしたんです。住んでいる場所から海は少し距離がありますが、小旅行には丁度いいですし」

「海に?うーん、確か……」

 記憶を辿る。まだ両親が生きていた頃に一度。そしてエレンが生きていた頃に一度。その二度だけだ。両親がいなくなってからは、遺された仕事をするのに精一杯だったから。最初の一度はおぼろげだけど、エレンと行った海のことは覚えている。

「ちょうど僕が、オラトリオくらいの頃かな。一度行ったことがあるよ」

「そうなのですね。どんなところでしたか?こことは違う海は、景色も違うのでしょうか?」

「うーん。確か今日と違って、冬に行って。すごく寒かったことを覚えてる。なんでこんな寒い時に行ったのかは、覚えてないのだけれど」

 海に行こうと言い出したのは、僕だったのかエレンだったのか。はたまた別の誰かだったのかはわからない。とても寒い日だった。雪こそ降っていなかったけれど、海風はとても冷たくて。でも、とても楽しかった。エレンも僕も、笑っていた。最後は雨が降ってきて、慌てて帰ったんだ。

 『お前といると、雨がよく降るね。でも、レインとなら。冷たい雨だって、美しく見えるよ』

 なんて、笑ってたっけ。なんだか近いようで、遠い記憶だ。

「レイン様には、素敵な方がいるんですね。ふふ、ちょっぴりその方が羨ましいです」

「そう、なの?」

「はい。レイン様にそんな目をさせるだなんて、どんなに綺麗な方だったのだろうと」

 オラトリオは、出会った頃のエレンと似てるよ。とは、言えなかった。それを認めてしまうと、僕の中で何かが崩れる気がした。

「……僕も、聞いていい?」

「?」

 潮騒が遠くに聞こえる。涼しい岩陰の温度も、今は少し冷たいくらいだ。でも、聞いておかなければならない。これは僕が、いつか来るその時に、ちゃんとやるべきことをやるために。

「オラトリオは、どうして僕の作品になりたいと思ったの?綺麗だって褒めてくれたけど、少しそこが気になって」

 本来なら、死してなお誰かの所有物として観衆の元に晒されるだなんて、嫌なはずだ。作品のためのご遺体は、本人の意思を無視してやってくる。そういうケースがほとんどだ。それを彼は、自分の意思で選んだ。それがどういう意味を持つのか、気になっていた。

「……長くなりますが、聞いていただけますか?」

「もちろん。少しずつでいい、僕に聞かせて」

 オラトリオは一息つくと、僕の方に向き直る。星の輝きの宿る緑色の目が、僕を捉えた。

「僕は、もうすぐ神様の元へ行きます。その時、どんな姿だったら母様が安心するか、考えたんです。僕の最後が、綺麗な終わり方をするとは限らない。最後は本当に、見れたものではない姿になるかもしれない」

 人の死の形は様々だ。事故のように外傷が激しい時もあれば、闘病により痩せこけてしまった人まで。出来る限り日常を過ごしていた時の姿に、戻るようにするのが僕の仕事だ。

「レイン様の、美しい作品の一つになりたいのは本当です。あの輝きの一つになれるなら。これほど光栄なことはありません。けれど、それ以上に。僕のことを最後まで心配し、愛してくれた母様のために、僕は僕であった日の姿で旅立ちたい。そう思いました」

 僕から視線を逸らし、オラトリオは遠く海を見る。星の輝きは、今は深い海の底のようで。彼の目は。翠よりもっと深い、深い青色だった。

「レイン様の作品は、永遠を約束するもの。死の向こうにある道を照らし、遺された人を癒す時間を与えるもの。亡くなっても、確かに近くにあること。それを証明するものだと思っています。もちろん、美術品としての価値もありますが……」

「そう、かな?確かに、ご遺体は可能な限り、そのままの状態で保管できるけれど」

 僕がそう言うと、オラトリオは首を横に振った。再び目が合う。

「形が遺ること、それ自体は重要ではないのです。問題は、死のその時に、どうあったか。その先で待っている人に、どんな姿で会いたいか。僕は、それは自分らしくあることだと思っています」

「自分らしくあるため……」

 こちらを見つめる目は、凪いだ海のように静かだった。時間が止まる前のような、動き出す初めのような。

「死が怖くない、と言うと嘘になります。生きていけるなら、もっと生きていきたかった。けれど、それは叶わない。それでも母様がそばにいて、見守ってくれている。道行きを照らしてくれている。それなら少しだけ、寂しくない。僕は、僕と僕を愛してくれた全ての人のために、貴方の作品になりたいのです、それがきっと、僕が僕のまま死ぬために必要なことだから」

 拾った貝殻が、ひとつ。またひとつと、風に飛んでいった。涼しい風が僕と彼の間を抜けていく。こんなに澄んだ青を見たのは、初めてだった。

「そう、そうなんだね。ありがとう、オラトリオ。君の最後に、僕を選んでくれて」

 死は終わりではなく。ただ永遠になるだけ。たとえ亡骸が朽ちたとしても。そばにいることは変わらない。最愛の人エレンは、きっと今も。

「レイン様、涙が……」

 オラトリオに言われて、泣いていることに気づいた。慌てて袖で拭う。いつからこんなに涙もろくなったんだろう。でも、不思議と心は穏やかだった。

「大丈夫、悲しいわけじゃないから。ふふ、そっか。僕はずっと、そんなことにも気づかなかったんだ」

 あの日、エレンが言った約束。その意味がようやく分かった。分かったんだ。

 最後の貝殻が、風に攫われていく。ただただ静かな海が、太陽の光で煌めいていた。

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