解体の日

 学校が終わると同時に、小沼秀樹は浦田智也の家に向かった。

 彼は、ようやく理解したのだ。ペドロは本物の怪物である。ひとりの高校生にどうこうできる相手ではない。こうなると、警察の手を借りる必要がある。

 しかし、今のところペドロは目立った行動はしていない。警察を動かすには、何らかの物的証拠が必要だ。あるいは、誰か身近にいた者の証言か。

 そのためには、智也に協力してもらわなくてはならない。




 智也と同じクラスにいた後輩から、彼の住所を聞き出した。そのまま電車に乗り、彼の自宅へと向かう。

 智也の家は、下町にある小さな一軒家だった。辺りは木造の家が立ち並び、すぐそばには小さな工場もある。その工場からは、独特な機械音が聞こえている。

 そんな中、秀樹は浦田家のブザーを押した。

 ややあって、中から中年の女が顔を出す。どこか疲れたような雰囲気だ。恐らく智也の母親であろう。秀樹は、愛想のいい顔を作る。


「あ、すみません。僕は智也くんの友人の小沼秀樹という者なんですが、プリントを届けに来ました」


 出来る限りの笑顔で、秀樹は言った。すると、母親の表情は一変する。


「あら、あなた智也の友だちなの? よくいらしてくれたわね! 早く入ってちょうだい。あの子、昨日から具合が悪くて……」


 急にニコニコ顔になった母親は、半ば強引に秀樹を招き入れる。秀樹は面食らいながらも、おとなしく従った。




「智也、小沼くんが来てくれたわよ」


 ドアの外から、母親がそっと声をかける。

 ややあって、ドアが開いた。中から、やつれた表情の智也が顔を出す。

 智也は、何の用だとでも言わんばかりの様子で秀樹を見た。その顔からは、生気が感じられない。死んだ魚のような目で、秀樹を見ている。

 一方、秀樹は智也の顔色の悪さに思わず目を見張った。確かに、普通ではない体調だ。しかも、これは単なる体調不良ではない。目は落ち窪み、頬はこけている。まるで、ヤク中のような痩せ方だ。先日に会った時は、こうではなかった。いったい何が起きたのか。

 少しの間を置き、智也は口を開く。


「入ってください」


 秀樹は頷き、部屋に入っていく。


「おい浦田、あいつは……ペドロは、何なんだよ?」


 ドアを閉めると同時に尋ねたが、智也は死んだ魚のような目で口を開いた。


「僕が知るわけないじゃないですか。わざわざ来たのは、そんなことを聞くためですか?」


 ひどく疲れた口調で言葉を返す。どうでもいい、といいたげだ。その態度に、秀樹はムッとなった。


「んだと……」


 低く唸り、智也を睨む。だが次の瞬間、どうにか気持ちを落ち着かせる。今は、争っている場合ではない。


「最近また、トウコウ東邦工業高校の奴らがボコられたらしいんだよ。しかも、その犯人がウチの生徒らしい。お前、何か心当たりはあるか?」


 だが、智也は首を横に振った。


「知りませんよ。トウコウが何しようが、僕には関係ないです」


 投げやりな口調だ。呆けたような表情は変わらない。

 秀樹は首を捻った。智也の態度は妙だ。つい二、三日前までは、他人の顔色を窺う臆病な少年という印象しかなかった。

 しかし今は違う。秀樹のことなど眼中に無い、とでも言わんばかりである。

 これは、体調が悪いせいだろうか。それとも、別の理由があるのか。


 秀樹は基本的に、智也を自分より下に見ている部分がある。かつては手の付けられない不良だった秀樹から見れば……智也は頭は悪くないが、要領の悪いヘタレでしかないのだ。しかも、秀樹はスクールカーストにおいて、智也より遥かに上位にいる。

 一方、智也から見れば、秀樹はそこらにいる不良と大して変わらないような人間である。彼の中では、不良という人種は力ずくで物事を決めるバカな連中でしかない。

 しかも、智也は観察眼の鋭い少年である。秀樹が自分をどう見ているか、既に気づいていた。秀樹が智也を見る目……そこには、さげすみの感情がある。

 普通の少年なら、気づかないかもしれない微かな部分だろう。しかし、智也は気づいてしまった。

 両者の間にある溝は、はたから見れば些細なものである。しかし、当人……特に智也にとっては重要なものであった。

 もし秀樹がつまらない意識を捨て、智也もプライドを捨て、お互いを深く理解しようと努めていれば……この件は、違った結末を迎えたのかもしれない。

 だが、双方ともに歩み寄ることが出来なかった。しかも、前日に経験したことは、智也のキャパシティを遥かに超えていた。


 智也は、無言のまま座っていた。彼にとって、もはや秀樹は仲間でも何でもない。学校にいる、その他大勢の不良と同じ扱いである。

 そんな人間が、あのペドロに対抗できるはずがないのだ。


「小沼さん、僕は具合が悪いんです。今日は帰ってもらえませんか?」


 淡々とした口調で言った。疲れていたし、気分が悪いというのも本当だ。秀樹に対する恐怖心は無かった。

 その言葉を聞いた秀樹は、胸の奥から怒りが湧き上がってくるのを感じていた。この態度は何なのだろう。わざわざ家まで来てやったというのに。その場で智也を殴り倒したい衝動に駆られた。

 しかし、その気持ちを必死で押さえ込む。ここで智也を殴っても、何もならない。


「そうか。わかったよ。お大事にな」


 低い声で言うと、秀樹は立ち上がった。不快そうな様子で、無言のまま部屋を出ていく。

 智也はというと、ベッドに寝転がった。秀樹がわざわざ家までやって来たのは、学校でよくよくのことがあったのだろう。

 だが、智也にとってはどうでもよかった。彼の頭の中は、昨日見たもので占められていた。


 ・・・


 昨日。

 目の前で、ペドロは手際よくホームレスの死体を解体していく。服を脱がせ、用意していた刃物で人体をバラバラにしていく。いとも簡単にやってのけた。

 だが、そばで見ている智也は違っていた。彼は耐えきれず、何度も吐いた。にもかかわらず、ペドロの「作業」から目を離すことが出来ない。取り憑かれたかのように、ペドロの悪魔のごとき所業を見つめていた。




 やがて智也の目の前で、ホームレスは綺麗に解体された。骨と肉や内臓とが、きちんと分けられている。ペドロは、肉と内臓をゴミ袋に詰め始めた。ひどい匂いが辺りにたちこめている。しかし、ペドロには気にする素振りもない。


「さて、肉や内臓は川に捨てれば済みます。しかし、骨となるとそうはいきません。細かく砕かないといけないですね。このまま海に捨てても見つかることは無いでしょうが、念には念です」


 そう言うと、ペドロは地面に置かれていたハンマーを拾い上げた。ニッコリと笑いながら、智也にそれを手渡す。


「浦田さん、吐いたばかりのところを申し訳ないですが、骨を細かく砕いてください」


 あの作業は、本当にキツかった。

 ペドロから手渡されたハンマーは、大きく重い。その重いハンマーで、血や肉のこびりついた骨を砕いていく。智也の体には、ひとかけらのエネルギーも残されていない。にもかかわらず、彼はハンマーを振るい骨を砕いた。

 なぜなら、ペドロに言われたからだ。しかも、彼は隣で同じ作業をしている。智也もやらない訳にはいかなかった。




 やがて、骨は全て粉々に砕かれた。端から見れば、そこら辺に散らばっているゴミくずやコンクリート片と代わりないように見えるだろう。


「これなら問題ないでしょう。まあ、念のため掃き集めておきますか」


 言いながら、ペドロはほうきと塵取りを手に掃除を始める。

 しかし、智也は限界であった。へなへなと崩れ落ちる。きびきびした動きで掃除をするペドロを、呆けたような表情で見ていた。

 やがて、智也はクスクス笑い出す。無性におかしくなってきたのだ。眉ひとつ動かさず、ひとりの人間を解体してのけたペドロ。

 そんな極悪人が、目の前で箒と塵取りを手に、いそいそと床の掃除に励んでいるのだ。客観的に見れば、コントのような風景である。

 今の智也は、笑うしかなかったのだ。もっとも、ただおかしかったから笑っていた訳ではない。笑うことで、様々な感覚や思考を麻痺させていた部分もある。

 すると、ペドロがこちらを向く。ニッコリと微笑んだ。


「フッ、あなたは大したものですね。この状況で、笑っていられるとは。あなたはやはり、彼らとは違う。実に面白いですね」


 そう言うと、ペドロは置いてあった水筒を手にした。蓋を外し、中の液体を注ぐ。


「さあ、これを飲んでください。あなたの体には、カロリーが必要です。これは味は今いちですが、栄養に関しては申し分ないです」


 勧められるまま、智也はその液体を飲んだ。ドロリとしており、恐ろしく甘い。だが、その甘さが彼の疲労を癒してくれた。僅かとはいえ、体力が戻って来た気がする。


「さて、これで死体の始末は完了です。ところで浦田さん、僕たちはしばしの間お別れとなります。やらなくてはならないことがあります」


「お、お別れ?」


 聞き返す智也に、ペドロは頷いた。


「ええ。お別れとは言っても、すぐに戻りますがね。恐らく、終業式の日には会えますよ」


「終業式?」


 智也は訳が分からなかった。この男の言動は、全く理解不能だ。いったい何をするつもりなのだろう。

 混乱する智也に、ペドロは語り続ける。


「そうそう、宮崎さんと安原さんも、しばらく学校を休むことになると思います。彼らには、してもらうことがあります。彼らは、自身の願望を叶える機会を与えてあげますよ」


 そう言うと、ペドロはいかにも楽しそうな表情を浮かべた。


「えっ、どういうことなの?」


 呆然となりながらも、智也はかろうじて声を発した。ペドロだけならともかく、宮崎と安原までも休むとは、一体どういうことなのだろう。

 しかし、ペドロは語り続ける。


「彼らはもう、ボーダーラインを越えてしまったんです。あなたと違ってね。あの二人は、本当に愚かで臆病な人間です。そんな彼らが、果たして変われるのか? 実に面白いですね」


 そう言うと、ペドロは深々と頭をさげる。


「そういう訳です。申し訳ないですが、僕たち三人はオカルト研究会をしばしお休みすることとなります。我々は、来る日に備えて合宿しなくてはなりませんので」


「どういうこと……君は、何をする気なの?」


 狼狽えながらも、智也はどうにか言葉を発した。


「今に分かります。恐らく、明日は僕たちにとって最後の登校日となるでしょう。そうそう、オカルトといえば……あなたは、幽霊というものを信じますか?」


 突然、訳の分からないことを聞いてきた。智也はきょとんとなった。この怪物は、いきなり何を言い出すのだろうか。


「い、いや……僕は見たことないけど……」


 戸惑いながらも、智也は言葉を返した。すると、ペドロは笑みを浮かべる。


「僕も見たことはありません。しかし、ほとんどの人間は霊を信じています。中には、霊が見えると言っただけで無条件に崇め奉る者までいます。実に都合のいい概念ですね」


 ペドロは言葉を止め、クスクス笑いだした。

 一方、智也は唖然とした顔でペドロを見つめる。何がおかしいのか、全く理解できない。

 だが、笑うペドロの姿を見ているうちに、何故かおかしさがこみ上げてきた。智也もまた、クスクス笑いだす。

 すると、ペドロは智也を真っ直ぐ見つめる。その目には、純粋な感情が浮かんでいた。




 二人は、肉や内臓の詰まったゴミ袋の置かれた廃墟内で、古くからの友だち同士のように笑い合う。

 智也は、不思議な想いを感じていた。目の前にいるのは、全てがデタラメな上に人殺しであり、かつ人間の死体をものの二十分ほどで解体してしまった男なのだ。

 にもかかわらず、智也は生まれて初めて、他人に対し親愛の情を抱いた。

 ペドロという名の怪物に対し、友情らしきものを……。










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