暴力の日

 智也たち三人は不良たちに引きずられ、人気ひとけのない路地裏へと連れて行かれる。


「おい、てめえらハマコウ浜川高校だろうが! 何ここまで遠征してきてんだよ! 調子こいてんじゃねえぞコラァ!」


 リーゼントの少年が喚きながら、智也に迫って来た。宮崎と安原もまた、似たような目に遭っている。学校の部室では、大きな態度だった宮崎だが……今では、不良たちを前に青くなって震えているのだ。


「おい、てめえ何とか言えやぁ!」


 声と同時に、肉を打つような音が聞こえた。見ると、安原が顔を押さえうずくまっている。殴られたのだ。


「ちょっ、ちょっと待ってください! 本当に、僕たちは何も知らないんですよ! 勘弁してください!」


 そう言うと、智也はその場で土下座した。こうなった以上、なりふり構ってなどいられないのだ。放っておいたら、何をされるかわからない。

 だが、不良たちの勢いは止まらない。智也の髪を掴み、強引に立たせる。


「おい、それで済むと思ってるのか!? てめえら、ここが何だか分かってんのかよ!?」


 怯える智也に顔を近づけ聞いてくる。だが、ここが何であるかと問われても、知るはずもなかった。

 さらに、グシャリと何かが壊れたような音がした。見ると、メガネが踏みつけられ、壊されている。


「メ、メガネ!」


 宮崎が悲鳴のような声を上げる。だが、不良たちはお構い無しだ。彼の体を蹴飛ばしながら、口汚く罵り続ける。

 その時、彼が現れた──

 不良たちの前に突然、パーカーを着てフードを目深に被った男が現れる。無言で、じっと不良たちを見つめていた。

 不良たちも男に気付き、彼を睨みつける。暴力が彼ら興奮させ、警戒心を麻痺させていた。


「ああン! 何だてめえは! 何か用か!」


 言いながら、パーカーの男を威嚇する。だが、男は無言のままであった。


「何とか言えやぁ! 殺すぞ!」


 言いながら、ひとりが男に顔を近づけて行く。だが、直後に不良は倒れた。腹を押さえ、前屈みにうずくまっている。

 その場にいた者たちは、何が起きたのが理解できずに唖然となっている。

 一方、男の行動には躊躇がない。動きが止まっている不良たちに、野獣のごとき速さで襲いかかって行った──


 それは、あまりにも一方的な闘いであった。その場にいた不良たちは皆、それなりに喧嘩慣れしている。少なくとも、地元ではチンピラが避けて通るくらいの連中なのだ。

 そんな不良たちが、完全に子供扱いであった。男の一撃を食らうと、銃で撃たれたかのようにバタバタと倒れていくのだ。

 智也ら三人は自身の置かれた状況も忘れ、その光景に見とれていた。

 そこに、新手が登場する。


「おい! 何なんだ、てめえは!」


 ちょうど店から出てきたばかりの黒岩が、男を睨み付けた。一瞬にして、状況を察したらしい。直後、彼は動いた。カバンを男に投げつけると同時に、一気に間合いを詰める──

 黒岩の前蹴りが、ビュンと放たれた。いや、ヤクザキックといった方が正確か。

 しかし男は、投げられたカバンを手の動きだけで軽く払いのけた。直後、飛んできた蹴りを簡単にさばく。と同時に間合いを詰め、首に腕を回す。ヘッドロックのような体勢だ。

 次の瞬間、黒岩の大きな体が一回転し地面に叩きつけられる。これは、首投げという技だ。

 地面にたたきつけられ、黒岩の口から呻き声が洩れた。アスファルトに叩きつけられる衝撃は、畳のそれとは比較にならない。一発の投げで、彼は戦意を失った──

 男は、ちらりと黒岩を見下ろす。黒岩は苦痛のあまり、顔を歪め呻いていた。

 次いで男は、呆然としている宮崎と安原の手を掴み、強く引いた。


「今のうちです。早く!」


 その声を聞いた瞬間、智也たちは男が誰であるのかを理解する。ペドロだったのだ。


「浦田さん、あなたも早く!」


 声に従い、智也たちは素早くその場を離れた。




 彼らは今、駅近くの喫茶店に来ていた。


「どうも、申し訳ありませんでした。僕があの場を離れている間に、皆さんがあんな目に遭うなんて……」


 そう言って、ペドロは三人に深々と頭を下げる。


「いや、ペドロのせいじゃないよ。何なんだ、あいつらは……俺たちが何をしたっていうんだよ」


 吐き捨てるような口調で言ったのは宮崎だ。メガネを壊され、暴力を振るわれ……宮崎の顔は、屈辱で歪んでいた。


「本当だよ。何なんだ、あいつらは!」


 安原も険しい表情で吠える。直後、顔を上げペドロをじっと見つめた。


「ねえペドロ、君はあいつらをぶっ飛ばしたよね?」


「はい」 


「どうやったら、あんなに強くなれるの?」


 真剣な表情で尋ねる安原に、ペドロは笑みを浮かべてみせる。


「強くなる方法ですか? ごく簡単なことです」


「か、簡単?」


 聞き返したのは宮崎だ。すると、ペドロは自信たっぷりの表情で頷く。


「ええ、簡単です。要は、やるかやらないか……ただ、それだけですから」


「えっ、どういうこと?」


 安原が聞き返す。智也もまた、興味津々という表情で彼らの話に聞き耳を立てている。

 しかし、ペドロの口から出た言葉は想定外のものだった。


「つまり、本気で勝つ気になれば、あんな連中には誰でも勝てるということですよ。例えば、拳銃があれば拳銃を撃つ。ナイフがあればナイフで刺す。それだけです」


「で、でもそれは、喧嘩じゃないよ……」


 蚊の鳴くような声で、智也が言った。すると、ペドロは彼を見つめる。


「では、どんなものがあなたの考える喧嘩なんです? 奴らは、いきなり仕掛けて来たんですよ。しかも、こちらより人数も多かったですよね。つまり、最初から不公平な状態での闘いを強いられていた訳です。そんな連中を撃退するのに、あなたは公平さにこだわるのですか?」


 その言葉に、智也は反論できず下を向いた。確かにその通りなのだ。奴らは、智也たちが弱いと分かっていて暴力を振るっていた。しかも大人数で、だ。

 あれは喧嘩ではない。単なる暴力だ。


「クソ、あいつら殺してやりてえよ。人のメガネ壊しやがって……」


 宮崎は下を向きながら、なおもブツブツ呟いている。物騒なことを言ってはいるが、先ほどは抵抗もせず、されるがままになっていたのだ。

 しかも、元はと言えば宮崎が口火を切ったのである。この男が余計なことさえ口にしなければ、状況はだいぶ違っていたのかもしれない。

 智也はそんなことを考えたが、さすがに口にはしなかった。それよりも、さっさとこの場を離れたい。

 その時、ペドロがとんでもないことを口にした。


「僕のせいで、皆さんには大変な迷惑をかけてしまいました。お詫びに、皆さんの思いを叶える手伝いをしましょう」


 そう言うと、ペドロは安原に視線を向ける。

「安原さん、あなたはどうやったら強くなれるか聞きましたね。もし本当にやる気があるのでしたら、僕が皆さんの手伝いをします」


「て、手伝い?」


 驚いた表情で、安原は聞き返した。


「ええ、手伝いです。あなた方は、このような理不尽な暴力を受けました。このまま、黙って引き下がるつもりはないのでしょう?」


 その言葉で、場の空気が一変した。宮崎と安原の顔には、何かを決意したかのような表情が浮かんでいた。黙ったまま、ペドロの次の言葉を待っている。

 しかし智也だけは、強烈な違和感を覚えていた。

 浜川高校と東邦工業高校、この二校が戦闘状態にあるのは誰もが知っている。そんな時に、東邦工業の最寄り駅でもある小杉駅近辺の店に行ったのだ。客観的に見て、責められても仕方ない部分はある。

 しかも、ペドロはあの店で何をするつもりだったのだろうか。ご馳走などと言ってはいたが、あんな怪しげな店に行く必要があったのだろうか?

 どうにも納得いかない。智也は、おもむろに口を開いた。


「ねえペドロ、あの店はいったい何だったの?」


 その言葉を聞いた途端、ペドロの表情が変わった。


「浦田さん、あなたは何が言いたいんです?」


「えっ……」


 ペドロの表情はにこやかなものだ。しかし、目は笑っていない。瞳の奥には、不気味な光が宿っている。智也はたじたじとなり、何も言えずうつむいた。

 そこに、宮崎が追い討ちをかける。


「おい智也、あの店のことなんかどうでもいいんだ! 俺はな、奴らにメガネ壊されたんだ! あいつら許せねえんだよ!」


 宮崎の怒りは収まっていない。このままでは、その怒りの矛先は智也に向きそうだ。智也は仕方なく黙りこむ。しかし、彼の中の違和感は消えることが無かった。

 いったい、あの店はなんだったのだろう?

 ペドロは何のために、あの店に皆を招待したのだろう?


 智也の思いをよそに、ペドロは語り始めた。


「いいですか、あの不良たちと皆さんとの間には、大した差はありません。皆さんが勝てないと思っているから勝てないんです」


 淡々とした口調ではあるが、ペドロの表情からは熱が感じられる。その熱は、宮崎と安原に少しずつ伝染していった。

 端で見ている智也には、その変化がありありと見てとれた。


「彼らは、格闘家でもなければ軍人でもない。日々、強くなるために訓練しているわけではないのです。つまり身体能力だけで見れば、あなた方とさして代わりない。では、なぜ勝てないのか……それは、あなた方が勝てないと思っているからです」


 ペドロの言葉もまた、次第に熱を帯びてきた。今や、身振り手振りまで用いて宮崎と安原に語りかけている。


「いいですか、あなた方も不良たちも同じ高校生なんですよ。しかも、大義はあなた方にあります。奴らは、社会の害虫なんですよ。正しい生き方をしているあなた方が、なぜ引かなくてはならないのです?」


 そこで、ペドロは言葉を止めた。宮崎と安原の顔を、交互に見つめる。俺の言っていることが分かったか? とでも言いたげな様子だ。


「明日、僕は皆さんのために時間を作ります。ですから、皆さんにここで確認しておきたいんですよ。果たして、皆さんの決意が本物なのかを」


「えっ?」


 困惑したような表情の安原に、ペドロは射るような強烈な視線を向けた。


「僕は、皆さんのためなら大抵のことはします。僕は常に真剣なんですよ。ですから、皆さんにも真剣に取り組んで欲しいんです」


「な、何を?」


 尋ねたのは宮崎だ。すると、ペドロは三人の顔を見回していく。その表情は穏やかなものだった。

 しかし智也は目が合った瞬間、なぜか目を逸らし下を向いていた。

 ややあって、ペドロは口を開く。


「僕はね、皆さんに気づかせてあげたいんですよ。人間の持つ、本当の力を」


「力?」


 聞き返す宮崎に、ペドロは力強く頷いた。


「そうです。皆さんにも、あんな不良どもを潰せるくらいの力はあるんです。ところが、その力は見えない鎖によって縛られています。まず、その鎖を断ち切ってあげたい」


 落ち着いた態度で話す。先ほどの熱を帯びた口調とは、うって変わっていた。その表情は冷静そのものだ。

 だが、ペドロの言葉は……ゆっくりと、しかし確実に彼らの心に染み入っていった。


「古来、我々は獣だったんです。それを何世紀もかけて、人間と呼ばれる生き物へと変化していきました。しかし、人間の持つ原初の本能は未だに消えていません。まずは、その原初の本能を目覚めさせるんです」


「それは、一体どうやるの?」


 尋ねる智也に、ペドロは真剣な眼差しを向けた。


「あなたは、まだわかっていないようですね。肝心なのは、何をやるかではありません。やり遂げる意思があるかどうか、です。それ故に、僕は皆さんに聞いているんです。本気でやる気があるのかを、ね。途中で嫌になったからやめる、というのは無しにしてください」


 そこで言葉を止め、皆の顔を順番に見回す。


「さあ、どうしますか?」


 ・・・


「おい、こいつぁどういう訳だ?」


 地面に倒れている黒岩に尋ねているのは、東邦工業高校のナンバー2である村上隆太ムラカミ リュウタだ。身長はさほど高くないが、肩幅が広くがっちりした体格である。かつて柔道をやっており、有望な選手として目をかけられていた。ところが、喧嘩で相手を半殺しにしてしまい辞めさせられたのだ。餃子のような形の耳は、その名残である。


「わ、わからねえんだ。大三元に行ったら、ハマコウの奴らがいたんだよ。だからコイツらに、外に連れ出してシメさせた──」


「ちょっと待てや。そいつらは、ハマコウで間違いないんだな?」


 尋ねる村上に、黒岩はしかめっ面で答える。


「ああ。ただ、俺たちをやった奴はわからねえ。パーカーを着てたのは分かってるが……」


「パーカーだと?」


 村上の表情が、一気に険しくなる。

 そもそも、この大三元という店は表向きは雀荘である。しかし、裏ではトルエンを扱っている。東邦工業の中でも、将来の就職先がヤクザ以外に無いような連中が、小遣い稼ぎのためにここでトルエンを買う。そして、後輩らに高く売り付けるのだ。

 そんな店に、浜川高校の生徒が訪れた。しかも、東邦工業の人間を叩きのめして去って行ったのである。


「黒岩、おめえはしばらく休んどけ。こうなりゃ、俺が行くしかねえらしいなあ……」







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