変化の日

 浦田智也は、いつも通り浜川高校の廊下を歩いていた。気配を消し、静かに進んでいく。智也のような生徒にとっては、校内で目立って得することはひとつもない。

 あちこちの教室からは、下品な笑い声や喚き声が聞こえてくる。たまに、獣の吠えるような声まで聞こえてきている。授業中だとは思えない騒々しさだ。

 さらには、廊下に飛び出てくる者までいる。まあ、これも浜川高校のごく普通の風景なのではあるが。

 しかし、今の智也の心は……全く別の何かに支配されている。そんなものに、いちいちペースを乱されたりはしない。


「ペドロが、この騒動を巻き起こした張本人なんじゃねえのか?」


 昨日、小沼秀樹はそう言っていた。

 一見すると、バカバカしい考えではある。ペドロは頭もキレるし冷静でもある。そんな男が、何のメリットもないことをするとは思えない。

 しかし智也は、ペドロに対し漠然とした違和感を覚えてもいた。上手く言えないが、自分たちとは決定的に違う何かを感じるのだ。

 宮崎や安原は、それを魅力として捉えている。確かに、ペドロには抵抗しがたい魅力がある。智也ですら、彼には引き付けられるものを感じていた。

 同時に、底知れぬ恐ろしさも感じている。ペドロは、自分のような凡人には理解不能な男なのだ。凡人にとってのメリットやデメリットなど、ペドロにとっては取るに足らない事態なのではないだろうか。

 智也がテレビのバラエティー番組を観るのと同じ感覚で、ペドロが事件を起こしているのだとしたら?


 昨日、秀樹はこうも言っていた。


「お前に頼みがある。この先、ペドロが何を言い、何をするか……わかる範囲でいいから俺に教えてくれ。ペドロは恐ろしい奴だ。俺たちでは、止められないかもしれない。知り合いの刑事に相談してみるが、警察を動かすには証拠がいる。その証拠集めのため、お前の協力が必要なんだ」


 智也は、どうすればいいのか分からなかった。一応、秀樹にうんとは言ったものの……自分に何が出来るのだろうか、という疑問は拭いきれない。少なくとも、秀樹が期待しているような行動が出来るとは思えなかった。

 どちらにしても、今からペドロたちと会うことになる。今日は、どんな話をするのだろうか。智也は不安を感じながら、オカルト研究会の部室へと歩いていった。




「智也、遅いじゃねえかよ。何してたんだ?」


 部屋に入ると同時に、宮崎の声が飛んできた。最近、この男の横柄さが増してきた気がする……などと思いつつ、智也はいつもの通りパイプ椅子に座った。今日は全員そろっている。宮崎、安原、仁平。いつも通りの風景だ。

 そして、ペドロもいる。一年生とは思えぬ貫禄で、悠然とパイプ椅子に腰掛けている。入って来た智也に対し、軽く会釈した。


「皆さんにひとつ聞きたいのですが、皆さんは死んだらどうなると思います?」


 智也が席に着くと同時に、ペドロが声を発した。

 宮崎と安原は、お互いに顔を見合せる。いったい何を言い出すのだろう、とでも言いたげな様子だ。これが智也の発言だったら、バカ言ってんな、という一言で切り捨てていただろう。

 だが、今のペドロは絶大なる権力を持っている。頭がキレる上に喧嘩も強い。しかも、得体の知れない何かを感じるのだ。そんな彼に、逆らうことなど出来はしない。

 智也もまた、ペドロの突然の言葉には困惑していた。だが、彼の中の冷静な部分はこう言っている。


 これは、ただの思いつきの発言ではない。

 ペドロは何かを始める気だ。


「し、死んだら……やっぱりあれかな、幽霊になるのかな?」


 まず、口火を切ったのは安原だった。そう言った後、照れ隠しなのかヘラヘラ笑う。


「俺は違うと思うな。死んだら終わりだよ。幽霊なんか、俺は信じてないし」


 クールな表情を作り、そう言ったのは宮崎だ。すると、ペドロは笑みを浮かべながら頷いた。


「まあ、霊に関しては様々な解釈の仕方がありますからね。存在するかしないかは意見の分かれるところでしょうね」 


 そう言った後、ペドロは智也に視線を向ける。


「浦田さんは、どう思いますか?」


「えっ?」


 いきなり話を振られた智也は、何も言えずに目を白黒させる。すると、宮崎が舌打ちした。


「お前は人の話を聞いてなかったのか?」


「いや、聞いてたよ。でも、死んだらどうなるかなんて、僕にはわからないよ。まだ、死んだことないし……」


 その答えを聞き、宮崎はまたしても舌打ちした。いかにも不快そうな表情で、智也を睨みつける。


「お前なあ、バカなこと言ってんじゃねえよ。頭を使えよ」


「あ、うん……ごめん」


 一応は謝ったものの、智也は内心では呆れ果てていた。宮崎はもはや、ペドロの腰巾着のような存在になりつつある。しかも、智也を罵倒することで、この会における自身の地位を確立させようとしているのだ。

 このオカルト研究会で、今もっとも権力を持っているのはペドロである。宮崎は、ペドロに取り入るだけでなく、智也をけなすことで自身の価値を上げようとしているのだ。

 宮崎の中に、こんな部分があったとは……などと思っていた時、ペドロがこちらを見た。


「浦田さん、あなたの言ってることは実にもっともです。いや、素晴らしい答えだ」


 予想外の言葉に、智也は困惑した。口を半開きにしたまま、ペドロを見つめている。

 その様子がおかしかったのか、ペドロはくすりと笑った。


「あなたの言っていることは正しいです。死んだことの無い人間が、死後どうなるかなど知るはずがありません。当たり前の話です。ところが、様々な宗教家たちは……死んだらこうなる、と自信満々に語っています。バカバカしいと思いませんか」


 そう言って、ペドロは皆の顔を見回す。

 始まったぞ、と智也は心の中で呟いた。この話題をみんなに振ってきたのには、何か理由があるはずだ。ペドロは無駄話をする男ではない。

 この話が、果たしてどういった方向に進んでいくのか。


「いいですか、死後どうなるのか……など、誰も知らないんです。何故なら、誰も死んでいないのですから。にもかかわらず、我々は死に対し過剰なまでの恐れを抱いています。その恐れが、我々を縛る鎖となっているのです」


 ペドロの口調は熱を帯びてきた。まるで演説する政治家のような勢いで、彼は立ち上がる。宮崎と安原は、この男の発するものに圧倒されていた。二人のペドロを見る目には、恐れと崇拝とが同居している。

 状況を冷静に観察しているはずの智也ですら、ペドロの言葉には心を動かされていた。この男の声には、何か不思議な力がある。耳を傾けざるを得ない何かがあるのだ。

 静まりかえっている四人に向かい、ペドロはなおも語り続ける。


「いいですか、人間は誰もが必ず死にます。その事実だけは曲げられません。どんな英雄であろうが偉人であろうが、ひとりの例外もなく死んでいます。我々は、死を避けることなど出来ないのです」


 そこで、ペドロは言葉を止めた。全員の顔を、じっくりと見回す。

 言葉では表現のしようのない何かが、智也の心に入り込んでいった。ペドロは、ここからどんな話をするのだろうか?

 少しの間を置き、再びペドロは語り始める。


「我々は、死を避けることは出来ないのです。ならば、今のうちに死を受け入れる準備はしておくべきでしょう」


 何を言っているのだろうか……智也は、思わず首を捻る。

 その時、秀樹が言っていたことを思い出した。


(ひょっとしたら、伊藤信雄と金子博はペドロに殺されたのかもしれない)


 もしペドロが、自身の快楽のために人を殺す殺人鬼だとしたら?


 背筋が寒くなるのを感じた。死について、饒舌に語るペドロだが……もし彼が殺人鬼だとするなら、全て辻褄が合う。

 人は死を避けることが出来ない。ならば、人を殺すのは罪ではない。ペドロが、そう考えているのだとしたら?


「浦田さん?」


 いきなり話しかけられ、智也は慌てて顔を上げる。すると、ペドロがこちらを見つめていた。さらに宮崎や安原も、智也の顔をじっと見ている。


「おい智也! 聞いてなかったのかよ! 何ボーッとしてんだ!」


 チンピラのような顔つきで、宮崎が怒鳴りつけてきた。


「あ、ごめん。ちょっと考え事しててさ」


 慌てて、ペコペコ頭を下げる。すると、ペドロが目を細める。


「考え事、ですか。いったい何を考えていたんですか?」


「えっ……」


 智也は口ごもった。そんなことを聞かれるとは、完全に想定外である。なんと答えればいいだろう……と必死で考えを巡らせた。

 その時、ペドロが立ち上がる。


「何も悩むことはないはずですよ。今、浦田さんは考え事をしていたと言ったはずです。そこで、僕は何を考えていたのか聞きました。もし悩み事があるなら、僕でよければ相談に乗りますよ」


 そう言うと、ペドロはじっと智也を見つめる。全てを射抜くかのごとき視線を感じ、智也は思わず目を逸らした。ペドロの目は、X線でも放射しているかのようだ。心の奥底まで覗き込まれているかのような気分になる──

 その時、智也の口から出たのは、自分でも想像していなかった言葉だった。


「き、君は前に言ったよね。自分の中に、最大の味方がいるって……その言葉の意味を考えてたんだ」


 すると、ペドロの顔におかしな表情が浮かんだ。それまで見たこともないような、奇妙な表情で智也を見据えた。


「あなたは、本当に面白い人だ。数日前に僕の言ったことを覚えているとはね」


 言いながら、ペドロは智也に近づいていく。智也の鼓動は早くなり、体は緊張のあまりこわばっていた。

 もっとも、感じているのは緊張だけではない。


「あなたは先ほど、死んだことがないからわからない……と言いましたね。言うまでもなく、全ての生者は死んだことがありません。つまり、死後なにが起きるかは誰も知らないんですよ。それなのに、死を過剰なまでに恐れています。中には、死後の世界について見てきたような顔で語る愚か者までいる始末です。嘆かわしい話ですね」


 ペドロの口調が、徐々に熱を帯びてきた。顔つきも変化している。自信に満ちた表情が浮かんでいた。

 宮崎や安原はもちろんのこと、智也もペドロの言葉に抗うことなど出来はしない。黙ったまま、ペドロの言葉に耳を傾けていた。


「無論、死を恐れるのは仕方ないことです。しかし、先ほど浦田さんも言っていましたが……我々の中には、最大の味方もいるんです。その存在を知っていれば、我々は死の恐怖を克服することが出来ます」


 そこで、ペドロは言葉を止めた。すると、待ち構えていたかのように安原が口を開く。


「み、味方って何?」


「味方、すなわち自分自身ですよ。どんな人間にも、恐怖心はあります。ですが、恐怖と勇気とは表裏一体です。強い恐怖を感じる時、それは自身の内に潜む勇気を忘れている時ですね」


「勇気……」


 今度は、宮崎が声を発する。彼も安原も、ペドロの放つ言葉のひとつひとつに聞き入っていた。

 ペドロは、二人のそんな態度に満足げである。


「そう、勇気です。僕は思うんですよ。人間はね、もっと自分自身の内にあるものを尊ぶべきなんじゃないかと。自身の内にあるものを尊び、そして信じることが出来れば……あの連中よりは、確実に高いステージに行けますよ」


 そう言うと、ペドロは窓を開ける。


「見てください、彼らの姿を。人間の愚かしさの集大成、と言ってもいいのではないですか」


 その言葉を聞き、宮崎と安原は立ち上がった。窓のそばに行き、外の風景を見つめる。

 校庭には、いつもと同じく不良たちがたむろしていた。何が楽しいのか、ゲラゲラ笑っている者たちがいる。意味もなく大声で会話している者たちもいる。さらに、まだ校庭にいるのにタバコをくわえている者もいる。

 上から見ると、彼らの行動はいつにも増して愚かに見える。宮崎と安原は、冷たい表情で不良たちを見下ろしていた。

 一方、智也は宮崎と安原を見ている。二人の表情には、共通する何かがある。不良たちを見下ろすことで、優越感に浸っているらしい。

 今までは、宮崎と安原にとって脅威の対象であった不良たち。だが、ペドロの言葉が二人の意識を変えたのだ。ペドロは、宮崎と安原に様々なことを教えた。その教えが、二人に選民思想のようなものを植え付けていっている。

 その事実には、智也は以前より気づいている。だが彼は今、不思議な感覚を覚えている。宮崎と安原は、ペドロによって奇妙な思想を植えつけられ、洗脳されていっているのだ。

 彼らは、どうなるのだろうか。そして、ペドロの目的は何なのだろう。

 智也はペドロのしていることに恐怖を覚えつつも、同時に強い興味が湧き上がっていた。


 僕は出来ることなら、最後まで見届けたい。

 宮崎と安原が、最終的にどこにたどり着くのかを──






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る