後悔の日

 浦田智也にとって、学校とは騒がしい場所である。ただでさえ、ゴミ溜めとの異名を取る底辺校なのだ。お調子者やロクデナシも多い。普段から、動物園のごとき奇声が響いているのが当たり前であった。

 だが、今日は少しばかり様子が違っている。何せ、学校前には数台のパトカーが停まっているのだ。さらに学校から数十メートルほど離れた川原にはロープが張られ、制服姿の警官が見張っている状態だ。完全に入れないようになってしまっている。

 智也は、とてつもない不安を感じた。あの時と、全く同じである……伊藤や金子の死体が発見された時と。




 予想は当たっていた。


「また死体が見つかったんだってさ」


 オカルト研究会の部室で、吐き捨てるような口調で宮崎は言った。不快そのもの、といった表情を浮かべている。


「聞いた話じゃ、東邦工業の生徒だってね」


 言葉を返した安原もまた、顔をしかめている。だが、それも当然であろう。朝から警官たちがうろつき回り、道行く生徒たちに鋭い視線を送ってくる。

 その上、カメラマンやレポーターといった人種も来ている。彼らは道行く生徒たちにマイクを突き付け、「事件のこと、どう思う?」などと聞いていたのだ。


「うっとおしいったら、ありゃしねえよ」


 いかにも不快そうな口調の宮崎。その時、部室の扉が開く。

 入って来たのは、ペドロであった。


「や、やあペドロ。昨日はどうしたの?」


 案じ顔で尋ねる安原に、ペドロは笑みを浮かべる。


「家の事情で、色々ありましてね。それより……また何やら騒ぎがあったようですね」


「そうなんだよ。全く困るよなあ」


 答える宮崎は、いつもと違い落ち着いた様子だ。自信に満ちているような悠然とした態度を作り、ペドロに向き合っている。

 一体どうしたのだろうか? と智也は思わず首を傾げる。しかし、すぐにその理由が分かった。宮崎は、自分も大物であることをペドロにアピールしているのだ。今の宮崎はペドロに対し、尊敬の念を抱いている。だからこそ、自分も凄い人間だと……他の生徒たちとは違うのだ、ということを見せたいのだ。

 もっとも、智也から見れば宮崎の態度は間抜けでしかなかった。


「殺されたのは、トウコウ東邦工業高校の奴らしいね」


 安原の言葉を聞いたペドロは、大げさに首を振って見せる。


「実に嘆かわしい話ですね。どうせ、ウチの学校のバカ共に殺されたのでしょう。警察という連中の無能さには、目を覆いたくなりますね」


「えっ?」


 それまでの印象とは違うペドロの言葉に、智也は驚愕の表情を浮かべる。安原と宮崎も、唖然として顔を見合わせていた。

 そんな三人の反応を見て、ペドロは小馬鹿にしたようにクスリと笑う。


「わからないのですか? 東邦工業高校と浜川高校は、今や戦争状態です。浜川高校の不良が、東邦工業の不良を叩きのめした挙げ句に殺してしまったのですよ」


「ほ、本当に?」


 恐る恐る、といった様子で安原が尋ねる。ペドロは、自信たっぷりの表情で頷いた。


「ええ。物的証拠はありませんが、間違いないでしょう」


「ど、どうして? 何でわかるの?」


 智也が、反射的に聞いた。だが、すぐにその質問を後悔する。宮崎が、恐ろしい目で睨んできたのだ。


「智也、お前はバカなのか? この状況を考えたら、犯人はウチの不良以外に考えられないだろうが」


 宮崎の口調にはトゲがある。ペドロの言うことを、完璧なまでに信じているのだろう。

 同時に気づかされたことがある。宮崎は、ペドロの言うことを信じきっている。だが、それだけではない。信じている自分の姿を、ペドロにアピールしているのだ。この少年に気に入られたい、その一心から智也を攻撃している。

 ここまで来ると、もはや宗教に近いものすら感じる。何とも言い様の無い不気味さを感じていた。ペドロがこのオカルト研究会に出入りするようになってから、まだ一月も経っていない。にもかかわらず、宮崎から崇拝に近いような目で見られているのだ。


「いえいえ、智也さんの言うことももっともだと思いますよ。確かに、ウチの不良がやったという物的証拠はありません。ですが、この状況から考えると、ウチの不良がやったと考えるのが、自然な答えかと思いますね」


 智也の思いをよそに、ペドロは冷静な口調で答えた。その表情からは、圧倒的な自信が感じられる。自分の意見が間違っていることなど有り得ない、とでも言わんばかりの態度だ。

 そんな彼に、横にいる宮崎と安原は熱い眼差しを向けている。

 その熱さとは対照的に、智也の背筋には冷たいものが走っていた。この部屋で、いったい何が起きている? ペドロは二人に何をしたのだ? そもそもペドロは何者なのだ?

 智也の中に、様々な疑問が湧いてきた。一方、ペドロは語り続けている。


「このままだと、我々にも確実に火の粉が降りかかることになります。ろくでもない不良どものせいでね。皆さんは、どうするつもりですか?」


 その言葉を聞いた瞬間、智也は顔をしかめた。この会話の行き着く先が、おぼろげながら見えてきたのだ。


「あ、あのさ、僕らには関係ないんじゃないかな。ふ、不良同士が揉めてるだけだし」


 恐る恐る、という感じで智也は言った。すると、宮崎が苛立ったような表情で口を開く。


「お前、本当にバカだな。大滝さんのことを忘れたのかよ」


「大滝さん?」


「そうだよ。大滝さんは何もしてないのに、奴らにボコられたんだぞ。今も入院してるんだ」


 言いながら、宮崎は顔を歪めた。

 智也も顔を歪める。しかし彼のそれは違う理由からだった。宮崎はもう、自分の言うことに聞く耳は持たない……という事実を思い知ったからだ。

 もともと宮崎は、傲慢なところのある男だった。不良たちの前では小さくなっているが、智也や安原たちの前では大きなことを言っていたのだ。そのため、時には大滝にたしなめられたりもしていた。

 しかし今は、その大滝がいない。その上、ペドロという男は大滝とは真逆の人間である。過激な思想を持ち、頭もキレる。さらに喧嘩も強い。まるで少年マンガの主人公のようだ。

 ある意味では、ペドロは宮崎の理想像であろう。だから宮崎は、ペドロに教祖のごとき畏敬の念を抱いているのだ。

 それだけでない。安原も同じ気持ちのようである。もともと安原は、非常におとなしく温厚な性格の持ち主だ。宮崎とは違うタイプである。にもかかわらず、ペドロは安原までも虜にしてしまった。


「いずれにしても、死んだ不良もロクデナシでしょうからね。ちょうど良かったのではないかと思います。不良なんていう人種は撲滅すべきでしょう。どうせ、成長してからも世の中に害毒を垂れ流すだけでしょうから」


 そう言うと、ペドロは笑みを浮かべる。


「本当だよね。前から俺も思ってたんだよ。あいつらはみんなクズだ」


 宮崎がウンウンと頷き、同意を表す。一方、智也はそっと顔を背けた。この状況では、何も言えない。ここでペドロに反論でもしようものなら、確実に宮崎から口撃される。下手をすれば、安原までもが口撃に加わりかねない。

 そうなった場合、智也にとって唯一の安らぎの場であったオカルト研究会が、一転して居づらい場所となってしまうのだ。

 ここは、皆に合わせるしかない。

 そんな智也の気持ちを知ってか知らずか、ペドロは穏やかな表情で語る。


「本当に奴らはクズです。法律を守ろうともせず、毎日を自堕落に過ごしている。そんな人間が死んだからといって、哀れむ必要などありません。それに、我々には彼の死を悼む余裕などありませんよ」


「えっ、どういうこと?」


 不安そうな面持ちで、安原が尋ねる。


「東邦工業高校の生徒たちが、このままおとなしくしているとは思えません。彼らは必ずや報復に出るでしょう。その場合、我々のような生徒が標的にされる可能性は低くないと思いますよ」


「ほ、本当に?」


 今度は宮崎が、不安そうな表情で言った。

「ええ。大滝さんが、どのような目に遭ったかは覚えていますよね。結局、奴らは弱い者を狙うんですよ」


 ペドロの言葉は、自信に満ち溢れている。だが、智也の胸の不安は大きくなるばかりだった。


 ・・・


 授業が終わった後、小沼秀樹は教室で座り込んでいた。

 今日一日、何をしていたのだろうか。自身ですら全く記憶がない。未だに呆然とした状態で、彼はじっと黒板を見つめていた。




 かつての友人である薬師寺が死んだと聞かされたのは、登校した直後のことである。しかも、いきなり刑事の取り調べを受けたのだ。


「あいつの元気な姿を最後に見たのはお前だからな。一応、話は聞かなきゃならねえんだ。すまねえな」


 大下刑事は、そんなことを言いながら調書を書いていく。最後に、大下はこう付け加えた。


「お前がどう思うかは知らねえが、あの薬師寺は学校でも家でもおとなしくしてたらしいぜ。昔はお前と同じく、手の付けられねえヤサグレだったらしいがな。だが、奴は立ち直ろうとしていたようだ。お前みたいにな」


 大下が何のつもりで、その話をしたのかは分からない。だが結果として、秀樹の絶望をより深めただけだった。

 中学時代は、本当に手の付けられない不良だった薬師寺。だが鑑別所に入れられたことにより、己のこれまでの生き方を深く反省した。そして、立ち直ろうと努力していたのだ……しかし今では、死体となってしまった。


「あれは、どっかのチンピラの仕業だろうな。伊藤や金子の時と違い防御創がある。それに、しつこく痛めつけられたような跡もあったしな」


 大下はそう言っていた。

 チンピラだろうが何だろうが関係ない。薬師寺を殺した奴を、このままにしてはおけない。

 ようやく秀樹は立ち上がった。まずは、学校のアタマである藤井に聞いてみる。万が一、ハマコウの生徒の犯行であるなら……藤井にも、何かしらの情報が入っているはずだ。




 屋上に来た秀樹は、真っ直ぐに藤井たちのたむろしている一角へと向かう。正直、藤井が素直に話してくれるとは思っていない。だが、やれるだけのことはやる。秀樹は己の内に蠢く何者かに突き動かされるように、藤井の前に立っていた。


「ようヒデ。どうしたんだよ?」


 陽気に尋ねる藤井に、秀樹は顔を歪めた。


「今朝、川原でトウコウの奴の死体が見つかったのは知ってるよな?」


「当たり前だろうが。俺も、マッポ(警官を指すスラング。八〇年代に使われていた)にさんざん聞かれたよ。うっとおしいったらありゃしねえ」


「ああ、うっとおしいよな。で、やったのは誰か心当たりはあるのか?」


「んなもん、俺が知る訳ねえだろうが。まさか、俺が殺ったとでも思ってんのかよ?」


 そう言って、藤井はゲラゲラ笑った。周りの手下たちも、つられてゲラゲラ笑う。

 だが、秀樹は笑っていなかった。


「まあ、そうだろうよ。薬師寺とやり合ってりゃ、お前でも無傷で済むとは思えないからな」


 淡々とした口調で、秀樹は言った。すると、藤井の笑い声が止まる。


「んだと? おいヒデ、そりゃどういう意味だ?」


「別に大した意味はねえ。言葉のまんまだよ」


 秀樹の言葉には、どこかトゲがあった。藤井もそれを感じ取ったらしく、ゆっくりと立ち上がる。

「おい、誰に向かって言ってんだ?」


「お前以外にいないだろうが」


 冷めた表情で言葉を返す秀樹。藤井に対する恐怖心は無かった。むしろ、誰かと殴り合いたい気分だったのだ。

 殴り合いの最中だけは、嫌なことを忘れていられるから。

 薬師寺の死に対し、自分を責めずに済むから。


 睨み合う秀樹と藤井。二人の間の空気には、歪みが生じている。その歪んだ空気はあまりにも濃密で、気弱な者なら息苦しさを感じていただろう。周りを囲む取り巻きたちも、二人の睨み合いを固唾を飲んで見つめている。

 だが、それも当然だろう。藤井は現在、この浜川高校の不良たちの頂点に立つ男なのだ。一方、秀樹は皆が一目置く存在である。その両者の対決は……この浜川高校の真のトップを決めるものである。

 二人の間に流れる無言の対話。しかし、そこに乱入してきた者がいた。


「ちょっと大変っスよ! トウコウの奴らが来てますよ!」


 ひとりの生徒が、叫びながら現れた。すると、藤井の視線がそちらを向いた。


「んだと? どういうことだ?」


 言いながら、藤井はのっそりと歩いていく。秀樹も彼に続いた。屋上を囲む柵から、二人で下を覗く。

 浜川高校の校門前に、制服姿の数人の少年が来ている。リーゼントやパンチパーマや金髪といった不良少年の見本のような髪型の彼らは、ズボンのポケットに手を突っ込み敵意剥き出しの視線を向けている。


「あいつら、トウコウの連中らしいっス。なんか、アタマを出せって言ってますよ」


 呼びに来た生徒が、案じ顔で近づいて来る。すると、藤井はニヤリと笑った。


「上等だよ。潰してやろうじゃねえか」


 低い声で言いながら、階段へと向かう藤井。すると、他の者たちも後に続く。

 秀樹は一瞬、どうしようか迷った。だが、このままにしておきたくはない。彼もまた、階段に向かい歩いて行った。







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