後篇1 急に変わる天気、見えてくる事実



落ち込んでいる時には、太陽みたいな笑顔と心に響く言葉をくれて。


嬉しい時には、当事者の私よりも嬉しそうな顔して一緒に喜んでくれて。


そんなありきたりな行動だけど、そういう一つひとつが私の気持ちを動かした。


動かすだけ動かして、急にいなくなるなんて本当に酷い人。


思えば、天馬の最期について知らないことだらけだった。


今までの私は知ろうとせずその事実に見ないふりをして、思い出の天馬にばかり縋りついていた。

知ろうとしてしまったら、自分の命を投げる選択をする可能性があって、それをなんとなく肌で自覚していたことが踏み込めなかった理由だ。


天馬が死んで一年。長い間関わらないようにしていた天馬の死への気持ちが、急に動いた状況が、目を逸らし続けることは無理なのだと言っているようで。


どうやらついに天馬の死と向き合う時が来たらしい。



ーーーーーーーーーーーーー


田原と私は、また朝から集まり天馬のお墓に来ていた。


普段生活しているところよりも少しだけ標高の高い墓地は、私の家も田原の家も学校でさえ見ることができる、とても見通しの良い場所だった。


天馬の家だけ、天馬のお墓からは見えない。


姉と母は、もう死んだ天馬からの視線を怖がっているのか。


やたらと天馬の霊を恐れているような行動は、やはり罪悪感があったからなのか。



天馬のお墓に手を合わせた時、隣の田原は少し泣いていた。

死者への感情のうち最も苦しいのは、その人への後悔だと私は思う。

田原も、生前の天馬に伝えたかった言葉や行いをできずに後悔しているのだろうか。

目を閉じ長い時間手を合わせ続けている田原を見て、同情した。


私たちを包むのは、少しの切なさを混ぜた不思議な雰囲気の沈黙。


否が応でも故人のことを考えてしまう、そんな沈黙だった。


ーーーーーーーーーーーーー


沈黙が破られ、ぎゅむぎゅむ、と雪の上を人が歩く音が聞こえる。

人が来ることが珍しく、その音の方へすぐに視線を向ける。



雪の上を歩くその人は、天馬の母だった。

手には、天馬の好きだったスポーツドリンクと花を持っていた。


途端に自分の胸から動悸の音が聞こえる。

お葬式からずっと会わなかった、天馬と同じ苗字を持っている人。


もしかしたら、天馬を殺した可能性がある人。


母親の足は完全に天馬のお墓の方に向いており、お葬式の日からより一層老けた母親は、天馬のお墓と目が合わないようにしているのか、はたまた悲しいのか分からないが、俯いて歩いているため私たちに気付いていないようだった。


田原も向かってくる母親の存在に気付き、体を母親の方に向けた時、ぎゅむと雪の音が鳴ってしまった。

母親はその音に気付き、まるで弾かれたように顔をあげ、私たちの存在に驚き目を見開き立ち止まった。


さぁどうする?逃げるか?

逃げようとしたらどうやってでも捕まえて隠していることを吐かせてやる。


母親にどこか気弱さを感じていた私は、勝手にその母親が逃げるのではないかと思っていた。


しかし予想に反し、母親はまっすぐ前だけを見つめ、方向転換はせず歩き始めた。

その顔は、老け顔というよりやつれ顔で、何も知らない人が見たら心配するくらいの顔色の悪さだった。

ゆっくりと、でもしっかりと、意思のこもった足取りで、天馬のお墓に近づいてくる。


天馬のお墓まであと三十歩。

徐々に近づいてくる。


あと十五歩。

近づいてくるにつれ、私の眉間に力が入る。


あと五歩。


そこまで近づいた時、足取りの違和感に気づいた。


もしかして、

母親が向かっているのは、天馬のお墓ではない…?


”あいつ”はあろうことか天馬のお墓を通り過ぎ、その隣にあるお墓の前で足を止めると、お花とスポーツドリンクをおき、しゃがみ目を瞑り手を合わせた。


その動作の全てとても遅く感じる。

そのお墓には、天馬と同じ苗字の男の人らしい名前が書いてあった。



ふざけるな。


殺してやる。



何か言おうと口を開けた瞬間、隣からものすごい剣幕の田原の怒号が聞こえた。


 「ふざけるな、ババァ」

 「手に持っているのは天馬の好きだった、スポーツドリンクじゃねぇか」

 「天馬のお墓には興味ないってか!正気か?てめぇ血は通ってんのか?おちょくってんのか?」



田原から発せられる暴言の数々。

田原の衣服が擦れる音。

母親の赤い目元。

母親の腕には、大量のリストカットの痕。


情報量の多さに私の脳は働くことをやめ、

ただ母親を見つめることしかできなかった。


母親は目を開きゆっくりと顔をあげ、父親の墓らしき石を見つめながら、

 

 「あなたには関係ないでしょ」

 「私の愛していた夫のお墓に来て何が悪い」


と、冷酷な言葉を吐いた。

まるで何かを決心したようなそんな表情で。

天馬など、息子など、愛してはいないと、そういうことなのだろうか。


深くため息を吐いて、憎しみという感情をお腹の奥深くにぐっと押し込み、立ち上がり雪を丁寧に払って、なるべく冷静に母親に尋ねた。


 「天馬はどうやって死んだの?」


飛び降り自殺ということは知っていたが、あえてそれは出さなかった。


 「急に失礼なこと聞くのね」とため息をつき、それでもなお父親らしきお墓から目を逸らさず、ぼんやりした様子で答えた。


 「飛び降り自殺だった”らしい”。私はその場にいなかったから分かんないわ。」

 「あなたたちの見ていた天馬のことは知らないけど、あなたたちの知らない家での天馬は、病んでたの。自殺しそうな傾向にあったの。」


そう、早口で答えた。

どこかで聞いたことのある回答。

まるで姉と母親で示し合わせたみたい。


 「何を焦っているんですか?」とさっきと全く同じトーンで言う。


母親はハッとした顔で私をみる。

 「そ…れは…」

 「あなたたちが…わ、私を疑ってるようだから…」



予想外の質問には回答を用意していないのか、目を忙しなく動かし瞬きは多くなって、もごもごとした喋り方へ変わってしまった。


この人は絶対に何かを隠していると確信を得た。

捲し立てるように言葉を出す。


 「なぜ、私があなたを疑っていると思ったんですか?」


その言葉にぐっと口をつぐむ母親。


こんな頭の悪い母親のせいで、天馬は。


そう思うと、私の口は閉まってくれなかった。


 「母親のくせに息子に愛を注げないなんて可哀想」

 「バレない人殺しは楽しいの?」



 「天馬はきっとあなたを愛していたのに」



その瞬間、声にならない叫びが墓地に響いた。

その悲しみをたくさん詰めたような声に、

心臓が握りつぶされたような気持ちになった。


その母親の声は、何度も、何度も墓地に響き、やがて沈黙へと変わった。


どのくらい沈黙が鳴っていたのか。

その沈黙が鳴り止んだのは、別のぎゅむ、という足音と「お母さん…?」という不安そうな声だった。


聞き覚えのある声は確実に私の知っている声で、その声の方に視線を向けると、そこにはやはり天馬の姉がいた。

どうやら母親がお墓参りをしている時、近くで待っていたらしい。

おそらく母親の強烈な奇声を耳にして、何事かと見にきたのだろう。


姉が来たことがわかると、母親は何かに怯えるような目で、「あっちいってなさい」と告げた。

その声は震えていた。


姉も震えた声で、私たちの目を見ながら「何の話をしているの?」と言った。


母親は姉に、「どこかに行ってなさい」と、もう一度言った。


母親が姉を遠ざけようとしていると言うことは、姉はここにいたら困る存在なのか?


私はすかさず、姉に「天馬が殺された話をしています。」と言った。


姉はヒュッと喉を鳴らし、顔が暗くなりその場に固まった。

そうしたあと、うずくまり「お母さん…」と力のない声で言った。

まるでお母さんに助けを求めるみたいに。


私は耐えられなかった。腹立たしかった。

ただただ憎かった。



 「あなたたちがどんな手を使ってこようとも」

 「人生をかけてあなたたちの嘘を剥がす。」



私は母親と姉の心に響くように、

そして私自身決意するかのように、

どこかにいる天馬に伝えるように、

そう言った。


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