地獄腹の家

こばゆん

第1話 プロローグ①

 ときどき、何かに喉を押さえつけられるように苦しくなった。

 声を出すのが辛くなり、ただ相槌を打ってやり過ごす。

 今もそうだ。

 なんとか言って下さいと葉月はづきに言われても、言葉が出ない。

 篤人あつとは曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

 助け舟を求めるように祖母を見る。

 八十過ぎの祖母、静江しずえは居住まいを正したまま、目を伏せていた。


「世間は男子が継ぐのが当たり前ですのに、どうして篤人さんでは、いけないのですか」


 篤人は内心辟易した。


(葉月さん、そのセリフ、何度目ですか……)



 篤人の家、王来寺おうらいじ家は東京JR線のT駅から徒歩十分。

 だがそれは、家の外門から。

 母屋を出て広大な庭園や内門、生い茂った樹木を抜けて、駅に到着するには、全速力で走っても、三十分以上は掛かる。

 その王来寺家は代々、女系相続が続いていた。

 女ばかりが産まれただけではなく、血縁に男が生まれても短命または、素行が悪く後継に相応しくないと、除外されてきた。


 篤人はそのような家に嫡男として産まれた。

 その後妹でも産まれれば女相続人ができて、親類縁者皆が万々歳だっただろうが、篤人の母親は篤人一人を産んで早くに亡くなった。


 いとこ——母親の妹の子供——との縁組は、早い段階で周囲が決めた。

 同い年のその子からも『あっちゃんと結婚したい』と、言われた。

 篤人が異論を挟む余地はない。

 

 ところが去年、この縁談に暗雲が立ちこめた。

 婚約者の父親が、王来寺の名前を使い、投資詐欺で世間を賑わせたのだ。

 女たちは大騒ぎをし、婚約解消を訴えて、篤人と自分の娘との縁組を画策し始めた。

 母親の死後、篤人の母親代わりであり、この家の家政を取り仕切る葉月は、女系相続撤廃を言い出した。

 

「あのような人の子供と結婚だなんて、篤人さんがお可哀想です」


(いや俺は、ノリノリですよ)


「第一、その子の名前も伺っていませんよ」と葉月。


(そうですか? 聞いたけど、忘れたんじゃないですか?)


 黙り続けていた静江が、小さく言った。

 

桐子きりこ


 篤人は驚いて、祖母の顔を見た。

 

(違うよ、おばあちゃん! ボケたの?)


 静江はじっと目を伏せたままだ。


「まずは、その桐子さんにお会いしてから判断します」


 葉月は、ピシャリと言うと、行きますよという目で、篤人を見た。

 篤人は黙って立ち上がった。

 葉月の後ろに従いながら、静江をチラリと見る。

 静江は目だけで篤人を見て、微かに首を振った。


(黙ってろってこと? あの子のことは、言わない方がいいんだね?)


 篤人はうなずき、部屋を出た。




 篤人は母屋とは別に、自分専用に造らせた離れに住んでいる。

 元は中学から始めたバスケの練習用の建物だが、そのまま住み着いた。


 自分の居室に入ると心底落ち着けた。

 呼吸するのも楽だ。

 部屋に入ると、最近憂鬱になってきているが、スマホを開いた。

 婚約者からのメッセージをチェックするが、何も来ていない。

 LINEの交換を申し出たのは、篤人からだ。

 それ以来、何度もメッセージを送っているが、既読がついても相手からの返信は来なかった。

 この一週間は、篤人も何も送っていない。


(……嫌われてんのかな)


 それぞれの母親の前で結婚の約束をしたのは、小学校に上がる前だった。

 ——あっちゃん、大好き。

 そんな言葉をいつまでも鵜呑みにしている自分がバカなのか……。


(婚約解消したいって、言ってくれれば、いつだって応じるのに)


 スマホをベッドに放り投げて、シャワールームに向かおうとしたら電話の着信音が鳴った。

 友人のハルからだった。

 

『明日、みんなで飯食おうぜ。秀一しゅういちが帰ってきたぞ』

「身内に不幸があったんだっけ?」


 声がスムーズに出る。


『アイドル復活で、今日は上級生のみなさん、和やかでしたよ』

「テニス部って、気持ち悪い人、多いよな」

『秀一なんて、女の代用品だけどよ、多聞にコクった奴いんだぞ』

「ウソだろ⁈ まさか、怜司れいじ?」

『なんで、怜ちゃんなんだよ』

「……バスケ部、異性交友も同性交友も厳しいんだよ」

「君たち、修行僧なの?」

「あいつ三年抜けたら絶対、七番もらえるし」

『この間、怜ちゃんと合コン行った』

「俺も呼んで」

『フィアンセ、どうした。俺、あの子の顔、覚えてるぞ』

「……会ったの、かなり前だろ?」

『お前んとこで、水遊びしたじゃん。スクール水着、着てたよな。めっちゃ可愛いかった』

「……」

『スクール水着って、よくね?』

「わかる」


 ノックの音がした。


「人が来たから、切るよ」


 篤人は電話に出ながら、ドアに向かった。


『また明日』

「ん」


 スマホをポケットにしまい、ドアを開けた。

 葉月が立っていた。その後ろには、小柄な弥生がオドオドと篤人を見上げている。


「お休みのところすみませんが、非常事態です」


 葉月の顔が緊張していた。


「篤人さんにお見せして」


 葉月に言われた弥生が、おずおずと何やら紙を差し出す。


「内門に貼り付けてあったそうです」


 受け取った篤人は、驚くより感心した。


(……本当に切り貼りしてるよ……こんなの、アプリがありそうだけどな)


 新聞か雑誌から文字を切り抜いて作られたその手紙には、こう書かれていた。


『美也子の娘との結婚を取りやめろ。さもなくば、王来寺の家に災いが起きるぞ』

 

 

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