5 “ヤリ捨てのカナコ”

 僕の考えが甘かったのだろうか。さわやかで甘酸っぱい感じになるのかと心のどこかで思った直後の余りにも直球すぎるカウンター。


 なぜだろう。失敗しても良いって言う免罪符を胸に一生懸命小悪魔に攻め込もうとしてたらいつの間にか罠に嵌められていたような気分である。


 いや、罠って言うか……告白の返事は?返事の代わりにコンドーム買わせるってそれどういう世界の理論なの?


(……超ビッチな理論か)


 やはり金子さんもそちら側の人間だったらしい。いやまあ、今更なんだけどね。

 今更なんだけど、とにかく。


 僕は金子さんと二人、夜道を歩いていた。いつもの、とは道順が違うが、けれどいつもに近い帰り道である。

 そこを歩みながら……。


「………………」


 僕は何も言えなくなっていた。なんというか、僕のポケットに入っている0.02ミリ先輩がそんなはずはないのに妙に重い気がすると言うか、これ以上ガンガン行って本当に良いのかと僕の中にまだ残っている倫理観が警鐘を鳴らすかのような体裁のままにひたすらビビっていると言うか……。


 とにかく僕は何も言えないままに、歩んでいた。

 そんな僕の前を、やはり今日もスマホを眺めながら金子さんは歩いていき、偶に振り返っては僕の顔を眺める。


「フ、フフフ……」


 そしてクスクス笑っている。どうやら金子さんは一撃で僕を黙らせてご満悦らしい。


 ……金子さんは結局、僕をからかって遊んでいるだけなのだろうか。それとも本当に0.02ミリ先輩のお世話になるような状況がこの後発生するのだろうか。そんな事があって本当に良いのか?本当にこれであってるのか?失敗しに来てみた結果全部良い方に転んでいきなり最後まで行くの?いきなり最後まで行くのは本当に良い方に転んだと言えるの?


 ビビると言うか躊躇うと言うか……とにかく結局流されるように、僕は金子さんの後を歩んでいき、やがて見覚えのある場所に辿り着く。


 マンションだ。金子さんの家があるマンション。バイトから送って帰る時にいつも、金子さんが冗談のように尋ねてくるその場所。


『泊まる?』


 そう問いかけられたら、どうすれば良いのだろうか。いやどうすれば良いも何もないんだけど……良いのか、本当に。このまま行く所まで行っちゃって本当に良いのか?


 ダメな気がする。イヤ、ダメな気がするっていうか……。


(……なんか、引っかかるような)


 ビビっているのはそうなんだけど、それ以外にも何か、引っかかる。

 そもそも結局告白の返事を貰っていないし、結局ちゃんとは話せていない。だから、『泊まる?』と言う問いかけに頷く前に、……話そう。ちゃんと。


 やがてマンションは近づいてきて……足を止めないままにふと、金子さんは言った。


「こないださ」

「……うん、」

「ごめんね」

「え?」


 急に、ごめんね?一体何の話だろう?

 そう疑問に思った僕を前に、金子さんは足を止めないままチラッと振り返り、言った。


「ウチ、マイにバラしちゃったじゃん。ユキちゃん、マイの事好きって。あの後どうだった?」

「あ……うん。ええっと、フラれたよ。陸上やってた頃の朝間さんに憧れてたって、言ったら。それ私じゃないよって」

「ふ~ん……」


 そんな呟きと共に、エントランスに踏み込んだ金子さんはパネルでエントランスのロックを外し、その奥へと踏み込んでいく。僕もその後について……って、待って。


(泊まるかどうかの確認は?あれ?これもう……)


 ……一端ストップするタイミングを失った?いや、ここで立ち止まって僕の方から切り出せば良いじゃないか。


 と、僕が思った瞬間、金子さんはチラッと振り返り、言ってくる。


「……マイにフラれたから、ウチに鞍替えしたの?」


 そして足を止めず、更にマンションの奥へと進んで行った。そんな金子さんの後を、僕は少し慌てて追いかけながら、言う。


「え?違うよ!いや、だから、そう言うんじゃなくて、……その、確かに区切りにはなったかもしれないけど、その、フラれる前から僕、金子さんの事気になり始めてて、だから金子さんをプールに誘ったんだよ。ほら、あれ……朝間さんにフラれる前だったし」

「……ふ~ん、」


 金子さんはそんなことを呟いていた。言い訳している内に乗っていたエレベータの中で、だんだん昇って行く階の表示を眺めながら。


 僕もまた、その表示を眺め……思った。


(……逃げるタイミングを完全に奪われた?)


 追わざるを得ない状況にされた?イヤだって、今の話の途中で追いかけるのやめたらもう終わりだし、……っていう僕の心理を見透かして追いかけさせたのだろうかこの小悪魔は。


 横目で、小悪魔の様子を伺ってみる。

 小悪魔はスマホを見ながら、呟いた。


「ユキちゃんさ」

「うん」

「チョロいよね」

「………………はい、」


 まったく反論できず頷く他になかった僕を横に、小悪魔はクスクス笑い、やがて開いたエレベータのドアの向こうへと歩んでいった。


 その後を、白旗を上げたような気分で僕はついて歩み……やがて、金子さんの家へとたどり着く。


「お、お邪魔しま~す……」


 と小声で言ったら小悪魔はクスクス笑っていた。そんな面白い発言僕今した?ひたすらビビってる僕が面白かったんだろうか。


 とにかく、来るところまで来てしまった……ような気がする。


 踏み込んだ金子さんの家は、普通のマンションの一室だ。


 玄関傍にトイレやシャワールームがあり、その奥にダイニングと部屋が幾つか。

 ダイニングもキッチンもほとんど使われていないようで、なんというか、居間のはずなのに生活感がない。


 人が暮らしている形跡がない、……と言う程ではないけれど、団らんがあるようにも見えない。


 金子さんは毎日言っていた。『泊まる?』と。『どうせ今日もパパは帰ってこない』と。


 家族関係がうまく行っていないのだろうとは、思っていたけれど……本当らしい。


 その話をして良いのだろうか。聞いて良いだろうか。いや……ここまでついて来たんだ。ちょっとくらい踏み込んでも良いだろう。


 そう決めて、


「あの、」


 と、声を上げかけたその瞬間。僕の言葉を遮るかのように、金子さんが言ってきた。


「ユキちゃん、シャワー浴びる?」

「…………ええっと、」

「ウチ、浴びてくるからさ。適当に時間潰してて。あ、ウチの部屋そこだから、入って良いよ」

「……はい」


 僕はそれしか言えなかった。じゃないだろう。ここまで完全に小悪魔に主導権を握られ続けてるが、……その、僕まだ覚悟決まりきってないっていうかもうちょっと色々話したいっていうかせめて告白の返事は先に欲しい。


 という訳で僕は拳を握り締める。


「あのさ」


 話を切り出そうとした僕を前に、金子さんは何でもない事のように言った。


「一緒に入りたい?」

「………………いや、あの、」


 と、またも出鼻をくじかれてしどろもどろになった僕を、小悪魔はクスクスと笑いながら眺め、囁くように言う。


「じゃあ、……ちょっと待ってて?」


 そして、金子さんはお風呂場へと歩んでいく。

 それを使われている形跡のないダイニングで一人、僕は見送り……やがて、ため息を吐いた。


「ハァ……」


 ため息を吐くような状況ではないはずなんだけど、なんだかとっても、情けない。コンビニではあんなにガンガン行けてたのにもはや形無しである。


 失敗しても良いと言う免罪符を失ったからだろうか。もはや勝ったような状況だから?


 それとも……やっぱり何かが引っかかるから?

 何となく、僕は俯き加減に部屋の隅っこに突っ立ち続けた。


 そんな僕の耳に、やがてシャワーの音が聞こえてくる。ホントにシャワー浴びてるらしい。そして、シャワーを浴びた後は?


「……………」


 僕は逃げ場所を探してしまった。シャワーの音を聞くと色々想像してしまう。


 結局、引っかかってるんじゃなくてビビってるだけなのかもしれないが……とにかく、シャワーの音が聞こえない場所に行こう。


 そんなことを思って、僕はさっき、金子さんが指さしていたドアへと向かう。

 金子さんの部屋らしい。入って良いらしい。なら、そこに逃げ込もうか。

 

 いやもうそれすら罠のような気がしてならないけど、後で連れ込まれるか今自分から入るかの違いだけのような気がする。とにかく、聞こえてくるシャワーの音が妙に艶めかしいし……。


「良し、」


 入っちゃおう。逃げ込もう。そう決めて、僕はその部屋の中に入り込んだ。途端、シャワーの音が届いてこなくなり、僕は一つ息を吐く。


 部屋の中は、やはり片付いていた。生活感がないと言う訳ではないが、物欲があまりないのだろう。物が少ない。


 ベットがあって勉強机があって、教科書くらいしか入っていないスカスカの本棚があって、衣装箪笥がある。家具はその程度だ。


 趣味っぽいモノは見当たらない。いや、一つだけある。


 トランプだ。


 勉強机の上に、買ったばかりなのだろうか、真新しいトランプが置いてある。


(……楽しかったんだ、部活)


 じゃなきゃわざわざ、トランプ買わないだろう。意外と金子さんも研究とか練習とかしてたのだろうか。


 僕は嬉しくなった。テーブルゲームを好きになってくれたなら部長として喜ばしい事だし、あの部が楽しかったって事だろう。


 部活で友達とやってみて楽しかったから、新しく買った。新しく、趣味が出来た。

 それ以外の趣味は?……見当たらない。テーブルゲーム部に来る前までは、趣味らしい趣味はなかったのだろうか。それこそ、SNS位?あるいは……。


(男、漁り……)


 結局そこに辿り着いてしまった。


 “ヤリ捨てのカナコ”だ。そう言われるような振舞いを、彼女がしていた事。それが、僕の心のどこかに引っかかっていた、疑念だ。


 前の男がいたらイヤ、とは言わない。いや、気にならない訳ではないけど最初から知ってるし別に、それ自体は良いと思う。


 ただ……手慣れ過ぎている。それこそ、今こうして僕を追い込む“ヤリ捨てのカナコ”の手口が手慣れ過ぎていて、それが直接、疑念に繋がっているのだ。


 金子さんは言っていた。

 告白されて、そのままフるのは申し訳ないから、一度だけ関係を持って、その後フる、と。


 そして今、僕は“ヤリ捨てのカナコ”に告白して……けれど返事を貰えないままに、家まで連れ込まれてしまった。


 だから……。

(一回だけヤって、さよなら?)


 違うと思いたい。けれど……現実は違うのかもしれない。少なくとも僕の人生経験において、ダイスを振ると大抵期待しているのとは違う目が出る。


 僕は難しい顔で、俯き加減に床に直接座り込み……考えた。

 本当にこのまま、流されて良いのか。いや、良くないとは思うけど……。


(……抗えない気がするんだよな)


 そもそも抗えてたら連れ込まれる前に止まれてるはずである。だから、普通に話したって多分丸め込まれる。


 だから……と、考えこみながらも、僕は視線を上げ、その先。


 真新しいトランプへと、手を伸ばした。


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